クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2020/8/3 バッハ・コレギウム・ジャパン

2020年8月3日   バッハ・コレギウム・ジャパン   東京オペラシティコンサートホール
指揮  鈴木雅明
櫻田亮テノールエヴァンゲリスト)、加耒徹(バス:イエス)   他
バッハ   マタイ受難曲


バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)、今年は創立30周年という記念年なのだそうだ。
せっかくの喜ばしい年だというのに、こんな情勢になっちゃって・・・。
本公演は、本当は4月に行う予定だった。
30周年記念公演だって、5月に行う予定だった。
「まったく・・まいったよなあ・・・」みたいなボヤキが聞こえてきそうである。

もっとも、こういう厳しい時だからこそ、選ぶべき道は「原点回帰」。
考えてみれば、この原点回帰こそ、BCJの長年にわたる活動の基本軸と言っていいのではなかろうか。
BCJ以上にバッハを研究し、バッハのオリジナルを見つめ、そして極めている演奏団体は、世界中を見渡してもそうはないだろう。それくらい彼らは真摯にバッハに向き合っている。

そんな彼らのマタイを聴こうではないか。
心の扉を開け、バッハの敬虔な音楽に虚心坦懐に耳を傾けようではないか。
もうなんだか、私は今、バッハにすがりたい気持ちでいっぱいだ。

人々は困難に直面した時、神に祈る。世界が厳しい状況にあるからこそ、キリストの受難を描いたバッハの音楽は、きっと心に響く。
かつての日常が失われてしまった今だからこそ、そこに一筋の光明を見出すことが出来るかもしれないのだ。


鈴木雅明氏のタクトによるBCJのマタイは、昨年の4月にも聴いた。
今回改めて聴いてみて、感じたこと、気付いたことがある。
それは、物語が非常に劇的であるにも関わらず、その劇的さを表現するために、カンタービレの抑揚やフレーズへの感情移入といった演奏者の技法に頼ることなく、ひたすらテキストと、そのテキストに当てている音符の強調でそれを成し遂げていること。
そして、そうしたアプローチと解釈が、すべての演奏者に浸透徹底されていることだ。

鈴木さんは、見た感じはとても穏やかそうだが、こうした厳格な姿勢を伺うにつけ、やはり相当のリーダーシップ、カリスマ性を持っているのだな、と見受ける。
あるいは、作品に対する圧倒的な理解と造詣、共感がすべてを物語っている、ということだろうか。

マタイを改めて聴いて感じたこと、もう一つ。
これは物語に関することだが、キリストを糾弾し、死刑求刑へと駆り立てる群衆行動のなんと恐ろしく、おぞましいことか。
彼らは、所詮は無知で、表層的で、迎合的な大衆。
そうした集団が何かの圧力によってけしかけられた時、抑えきれないほどの衝動エネルギーが発生する。
それは、なんだか戦争へと突き進んでいく狂気の心理状態に似ていなくもない。

そうした危うさや人間の弱さを物語る一面と、穏やかな信仰心を表す静謐なコラールが、美しいコントラストを織り成す。
これぞバッハの真骨頂であり、心揺さぶられる瞬間なのだ。