クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2019/12/6 死の都

2019年12月6日   バイエルン州立歌劇場
コルンゴルト   死の都
指揮  キリル・ペトレンコ
演出  サイモン・ストーン
ヨナス・カウフマンパウル)、マルリス・ペーターゼン(マリー/マリエッタ)、アンドレイ・フィロンチク(フランク/フリッツ)ジェニファー・ジョンストン(ブリギッタ)   他


人によっては、これは「カウフマン出演のオペラ」なのかもしれない。
だが、私は断言したい。これは間違いなく「ペトレンコが振るオペラ」である。演奏を聞いての率直な感想だ。
音の中に生命を宿らせ、演奏の中にドラマを創出する魔術師、ペトレンコ。タクトは流麗で、クライバーのようなエレガントさがある。だが、そこに加わる大胆さと起爆力なら、もしかしたらかつての天才指揮者を凌ぐかもしれない。
スコアを徹底的に分析しているのが一目瞭然。すべての音符が彼の頭に入っており、タクトは設計図どおり。その再現は余すところがなく、また一分の隙きもない。演奏は輝きに満ち、やがて聴衆の心に響いて感動へと昇華する。

聴衆は皆、この感動の成果が誰によってもたらされたのか、分かっている。カーテンコールでの、それこそ爆発的とも言えるほどの指揮者へのアプローズ。
殿堂バイエルン州立歌劇場の栄光は、今ここに頂点を極めた。
だというのに、その幕はもうあと半年ほどで閉じられようとしている。パウルがマリーと決別して死の都を去ろうとするラストシーンの感傷さは、そのままミュンヘンっ子たちが噛みしめることになるのだ。

カウフマンの偉大さも、潔く認めよう。
大きな話題となったパウル初挑戦。役への没入の深さが、驚嘆すべきレベルだ。つまり彼は、歌手として演奏家として音楽表現を磨き上げ、それに加えて演技者として、役作りを完璧に仕上げている。演技と歌唱の両面での情熱のヒートアップが、とにかく圧巻の一言だ。
こうしたパフォーマンスを目の当たりにすると、なぜ彼が一流と言われるのか、大いに分かる。

同じく役への没入という意味では、ペーターゼンも決して引けを取らない。前回のサロメもそうだったが、「全身全霊」という言葉は、彼女の体当たりのパフォーマンスのことを表す。
演技は大胆でありながら、一方で歌唱は繊細。更に、あれだけ動きまくっても、歌が乱れない。
ペトレンコは彼女を気に入っている。自らが振ったルル、サロメ、そしてマリエッタ/マリーで彼女を起用し、全幅の信頼を示している。そして、完璧主義者である指揮者の期待に、彼女は100%で応えている。

演出について。
舞台はマンションもしくはアパートメント内の複数の部屋。登場人物が場面に応じて各部屋を頻繁に移動し、回り舞台を使って、それを多面的に見せている。
転換は非常に忙しないが、それにはきちんと意味があって、場面の一つ一つが、パウルの感情であり、思い出であり、更には空想や妄想といった複雑な精神状態と結びついている。部屋そのものは現代的かつスタイリッシュでありながら、現実と非現実の往来が見事に描かれ、その様は死者と生者が複雑に同居する物語を進行させていく上で、見事な解決策と言えそうだ。

すべてがパーフェクトのまま終演を迎えようとしたところで、アクシデントが発生した。
演奏がもうあと2、3分で終わるという最後の最後で、1階席パルケット前方真ん中に座っていた一人の観客が倒れてしまったのだ。周辺は騒然。ただし、演奏は続けられている。客席に背を向けている指揮者はその時何が起こったのか、分からないのだ。
異変に気づいた照明担当が、場内の明かりを点灯する。救護を呼ぶため、近くの観客が外に飛び出していく。ハラハラ・ドキドキの中、ようやく演奏が終わった。
これによって最後のパウルの美しい熱唱が吹っ飛んでしまったのだが、急病人の発生ということで、仕方がないし責められない。ライブというのは、本当に何が起こるか分からない。