クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2019/10/13 サロメ

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2019年10月13日   バイエルン州立歌劇場
R・シュトラウス   サロメ
指揮  キリル・ペトレンコ
演出  クシシュトフ・ワルリコフスキ
ヴォルフガング・アプリンガー・シュペルハッケ(ヘロデ)、ドリス・ゾッフェル(ヘロディアス)、マルリス・ペーターゼン(サロメ)、ヴォルフガング・コッホ(ヨカナーン)、エヴァン・ルロイ・ジョンソン(ナラボート)、ラッヒェル・ウィルソン(小姓)   他


シュトラウスが大好きな私にとって、シュトラウス作品を鑑賞するのは特別である。
シュトラウスの生誕地ミュンヘンで、シュトラウスのオペラを鑑賞するのは特別である。
今シーズン(来年7月末)をもってバイエルン州立歌劇場の音楽監督を退任するK・ペトレンコが振るオペラを鑑賞するのも、特別である。

つまり、バイエルン州立歌劇場キリル・ペトレンコ指揮によるR・シュトラウスサロメ」は、私にとって最大級に特別な公演である。

ずっと楽しみにしていたのだ。「バイエルンシュトラウス+ペトレンコ」の黄金の組み合わせの観賞は、これが初めてだったのだ。で、おそらくこれが最後になるはずである。
今回の旅行の計画にしても、まずこの公演が第一にあって、残りはそれに合わせて取ってつけたようなものだ。

本プロダクションは、昨シーズンのミュンヘン・オペラ・フェスティバル(といっても、今年の6月末から7月末)の開幕を飾り、話題になったプレミエ公演の再演。ヘロディアスとナラボートのキャストが変わったものの、強力な布陣は引き続いている。

ペトレンコのタクトによって演奏が開始されるやいなや、いきなり仰け反るくらいに驚嘆し、息を呑んだ。
ピットの中で鳴り響くオーケストラサウンドのなんと優雅なこと!
目に飛び込んでくる舞台のなんとスケールの大きなこと!

パリ、リヨン、フランクフルトを経て、ここミュンヘンにたどり着き、グレードが一気に二段も三段も上がった印象だ。
実は、こうしたインパクト、何も本公演に限らない。近年、この劇場にやってくる度に、常に感じること。

そうだ、この記事の冒頭に「特別なこと」というのを書いてみたが、もう一つ加えなければならない。
バイエルン州立歌劇場、この劇場は特別である!!」

この劇場のステータスを世界最高水準にまで押し上げた功労者の一人が、キリル・ペトレンコであることは、衆目の一致するところだろう。この大きな功績が世界最高のオーケストラに認められ、シェフの就任に至ったのは間違いない。
実際、今回の演奏のタクトを見て、出てくる音を聴いて、改めて思った。
「この指揮者、すげえ・・」

タクトから音楽が生まれる - このいかにもごもっともらしく語られる現象を、真実として目の当たりにする衝撃。その生まれた音楽が即座に輝きを放つ瞬間の神々しさ。
これは魔法か? ペトレンコは魔法使いなのか?
そんなことをボーッと考えていると脳内が混乱するだけなので、とにかく音楽と舞台に集中することを心掛ける。なんせ勝負は1時間45分しかないのだ。

タイトルロールのペーターゼン。渾身の歌唱、そして鬼気迫る演技。
その歌からは、拍子だとか音符だとか、強弱記号だとか、いわゆる譜面上の規則が感じられない。
彼女の口から発せられているのは、旋律ではない。サロメの言葉であり、感情である。それがいつの間にか音の振動となり、指揮者が煽る風に乗って、音楽として溢れ出ている。

これは果たして意識的な表現なのか? 彼女の高度な歌唱技術とセンスなのか?

・・・いかんいかん。
集中・・なんて心掛けたくせに、やっぱりあれこれ考えが巡ってしまう。

演出は“ポーランドの奇才”などと称されることが多いワルリコフスキ。
読み解くのが本当に難しい。ていうか、完全にお手上げ。

見えるものはある。
図書室の中。ユダヤ教の祭事・・。
それが「サロメ」という物語にどう繋がっているのか、皆目見当が付かない。
サロメはヨカナーンの首ではなく金属製のような箱を抱えてモノローグを歌い、ヨカナーンは首を刎ねられない。彼はラストシーンで、生きたまま再登場する。
なぜそのようになるのか、まったく理解が及ばない。

音楽の友誌による海外レポート、本公演のプレミエ評には、次のようにある。
「映画との関係が明らか」「ステージにはワルシャワのゲットーのサロン、図書室が設えられている」「ミュンヘンユダヤ問題に正面から向き合った非常に政治的な演出」

このように解説されても、「映画との関係って何なのさ?」「ワルシャワのゲットーのサロンだと、どうして分かるのさ?」「正面から向き合ったユダヤ問題って何なのさ?」と、とにかくさっぱり分からない。

オペラの演出で、いわゆる「読替え」手法が採り入れられて久しい。
だが、最近の超最先端演出は、もう単なる読替えではなくなっている。

そこに見えている物だけを見つめても、理解に到達することなど不可能。
歴史、宗教、政治、哲学、観念論などの専門知識をベースにした、思考や理論の飛躍と展開。
オペラはもはや、美を主眼とした芸術の領域を越え、高級な学術・教養の範疇に入ろうとしている。

いいのか?  本当にそれでいいのか!?


~ ~ ~ ~ ~

今回の旅行記はこれで終わり。
で、もう既に決まっている次の旅行の予告をしておこう。
次回は12月。最初の訪問場所はミュンヘン。そう、続きがあるというわけだ。
観賞演目は、コルンゴルト「死の都」新演出。
指揮:キリル・ペトレンコ、出演:マルリス・ペーターゼン、ヨナス・カウフマン、他。

演出は、今シーズンのパリ国立オペラ座最初のプレミエ公演「椿姫」において大胆な読替演出で話題を呼んだサイモン・ストーン。

キャンセル魔カウフマンは(予定)くらいにしておくか(笑)。
別にキャンセルしたって構わないぜ。カウフマンなんてどうでもいい。バイエルンでペトレンコが振るオペラをまたもう一つ観られるというのが、最大のポイントだ。

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