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2019/11/4 フィラデルフィア管

2019年11月4日   フィラデルフィア管弦楽団   サントリーホール
指揮  ヤニク・ネゼ・セガ
リサ・バティアシュヴィリ(ヴァイオリン)
チャイコフスキー  ヴァイオリン協奏曲
マーラー  交響曲第5番


チャイコンがぶっ飛び級の名演だった。何という鮮やかな演奏であろうか。煌めくような閃光が会場の空気を切り裂いたかのよう。
テクニックは超絶無比。音楽のスケールは極めて大きく、なおかつエキサイティング。かといって、ただ情熱の赴くまま一気呵成にというわけでは決してない。深い洞察による知的な解釈。コントロールも自由自在。そして、オーケストラとの掛け合いも見事。

つまり、完璧。

いやあ聴いて良かった。
バティアシュヴィリが素晴らしいヴァイオリニストであることは、十分知っていた。
が、十分知っていたがゆえに、新たな発見を期待せず、むしろ「またチャイコかよ、なんでこればっかなんだよ」といい加減うんざりで、「パスして、マラ5だけにしちゃおうかな」なんて、一時真剣に考えていたのだ。

当初予定されていたプロコのVn協第2番が変更になったのを知った時は、がっかりした。さてはポピュラーな作品を望んだ主催者側に押し切られたかと、勘ぐった。
だが、たとえそうだったとしても、この演奏なら納得できる。彼女が100%の自信と確信を持ってこの作品を選んだのだと納得できる。
むしろ「チャイコを演奏してくれてありがとう!」と言いたいくらい。
それくらいのぶっ飛び級の名演だった。


マラ5については、色々と考えを巡らせてしまった結果、ちょっと「素晴らしかった!」などと単純な一言で言い表すのは難しくなってしまった。

演奏そのものは大いに盛り上がり、聴衆は沸いた。ブラヴォーもたくさん飛んだ。
だが、この作品には元々盛り上がる要素が含まれているし、ましてや演奏技術が高く、音量の大きいアメリカのオーケストラ。多くの聴衆が喜び、熱狂するのも無理はない。

私は結構クールに、これはただの「バンザーイ」の演奏ではないなと思いながら聴いていた。

日が射すような、あるいはヒマワリのような明るい演奏だったが、それは演奏能力の高いオーケストラ奏者の輝かしい発散によるものでもあり、同時に、指揮者ネゼ・セガンの作品解釈でもあったと思う。
そこには、第1楽章の葬送行進曲から最終楽章に向けて「悲しみから悦びへ」「暗さから明るみへ」というプロセスが必ず存在していて、ネゼ・セガンは、その悦びや明るみの源泉を作品から読み取り、辿っていたのだと思う。

彼は非常に聡明な指揮者。演奏効果だけを狙っているとはとても思えない。そこには、彼なりの真意や理論があるはず。
そこらへんをもう少し聴き探りたかったが、オーケストラのやや脳天気な演奏に押し切られてしまった、というのが、私の複雑な心境の原因だ。

もし、これがマラ6だったら、ネゼ・セガンはどういうアプローチをしただろう。

脳天気な、なんて嫌味ったらしいことを言ってしまったが、フィラ管は過渡期を乗り越え、再び上昇の気運を感じさせる勢いがあった。
色々な可能性、演奏の広がりを期待させる楽しみなコンビ、ネゼ・セガンとフィラ管。