2016年6月5日 フィラデルフィア管弦楽団 サントリーホール
指揮 ヤニク・ネゼ・セガン
五嶋龍(ヴァイオリン)
ヨハン・シュトラウスⅡ ワルツ「ウィーンの森の物語」
プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番
世界3大歌劇場の一つと称される‘あの’METが、ネゼ・セガンを選んだというわけか・・。
アメリカが誇るMETとフィラ管という超メジャー団体二つを征したということは、つまり彼は「それだけの人物、それだけの物を持っている者」という証だ。
実を言うと今回の来日公演、チケットを買ったはいいが、期待の高まりはそれほどでもなかった。
ところが突然のビッグニュース。俄然「お手並み拝見、しかと聴いてやろうじゃないか」と盛り上がった。たかが肩書きだというのに、まったくこちらも調子がいいもんだよな。
というわけで、ステージではどうしても指揮者の一挙手一投足に釘付けになってしまったのだが、そんな彼のタクトを見て感じたのは、この指揮者非常にスマートだということ。
ここでのスマートとは、日本語として使うスリムという意味ではなく英語のsmart。聡明、利発、頭が良さそう、IQ高そうみたいなイメージ。
スコアのすべてが頭に入っていて、どこをどのように振ればいいのか、完全に整理されている。鳴っている音もすべて聞こえていて、処理能力、対応能力に秀でている。頭脳とタクトの手があたかも直結しているかのように、手綱さばきはテキパキと素早い。
このような印象に支配されてしまったため、どうしてもオーケストラが奏でる音楽に、ブラームスの香り、ドイツっぽい香りが漂わない。のどかで美しい欧州の田舎の風景を映像で捉えても、際立つのは高品質HD録画機の性能の良さ、みたいな。
でも、まあいいんじゃないか。だってアメリカのオーケストラなんだ。フィラ管は相変わらず上手いし、能力が高い。それだけでも聴き手は十分に楽しめるのだ。