クラシック、オペラの粋を極める!

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2019/10/10 優雅なインドの国々

2019年10月10日   バリ国立オペラ座    バスティーユ劇場

ラモー  優雅なインドの国々

指揮  レオナルド・ガルシア・アラルコン

演出  クレマン・コジトレ

管弦楽  オーケストラ・カペッラ・メディテッラネア

サビーヌ・ドゥヴィエル(エベ/パーニ/ジーマ)、フロリアン・センペイ(ベローヌ/アダリオ)、エドゥウィン・クロッスリー・メルセ(オスマン/アリ)、ジュリー・フックス(エミリエ/ファティマ)、マティアス・ヴィダル(ヴァレル/タクマ)   他

 

 

バスティーユ劇場に熱狂の渦が巻き起こった。

「ブラヴォー」という野太い声が飛び交う喝采ではない。まるで若者の嬌声が入り混じったかのような「ウォー!!キャー!!」という熱いほとばしりだ。

 

ここで繰り広げられたのは、Jポップでもパンクロックでもない。

フレンチ・バロックだ。ジャン・フィリップ・ラモーなのだ。そういう意味では、かなり異様な光景である。

 

演出家コジトレは、クラシック・バレエの代わりにコンテンポラリー・ダンスやストリート・ダンス、ヒップホップなどを採り入れ、この古典作品に斬新なモダニズムの風を吹き込んだ。

観客は、若いダンサーたちによる肉体の躍動に酔いしれた。オペラを観に来た大の大人たちが「ウォー!! キャー!!」と叫ばずにはいられないほど、彼らのダンスは、素早くて、キレがあった。

 

ダンサーたちは常に踊っていたわけではない。舞台にはお立ち台のような物がいくつか設定され、そこの上で音楽に合わせてポーズを取る。そうしたポーズさえも、ビシッと決まる。

「動」の時も「静」の時も、彼らはかっこいい。そこには若者が発散するオーラがあり、圧倒的なエネルギーがあった。

 

演出家は、ソロ歌手にも合唱団にも振付をし、時に、ダンサーと同様の動きを容赦なく求めた。

歌手たちは大変だったと思う。名が通ったベテランキャストが見当たらなかったのは、こうした演出上の要請だったのだろうか。

 

驚いたのは、そうした見た目のモダンさと、聴こえてくる古典音楽が、何の違和感もなく見事に結び付き、融合していたことだ。

こうして聴いてみると、ラモーは決して古くない。

考えてみれば、イタリアンバロックや、バッハ、ヘンデルなどのドイツバロックの流れがフランスという地に飛び火した際、このラモーによって独自の進化発展を遂げ、「オペラ=バレ」というニュー・ジャンルがそこに確立したのだ。

つまり、当時、ラモーは最先端、「Cool」だったのだ。

 

そのように感じ取ることができたのは、演出だけでなく、音楽を統率した指揮者アラルコンの力も大きい。

古楽指揮者にありがちな、単なる「当時の演奏様式を蘇らせる」ためのアプローチでは決してない。現代人の聴衆の感性に訴えかける音楽作り。勢いに任せていると思いきや、実は巧みなほどに懇切丁寧なのだ。

 

音楽ルネッサンス

もしかしたら、演出家コジトレと指揮者アラルコンがこのプロダクションを通じて共同で訴えたかったことは、これだったのではなかろうか。

なんだかそう思えてきた。

 

歌手では、やはりというか、S・ドゥヴィエルの活躍が目立った。彼女が登場すると、客席の視線が一斉に振れるのがわかる。小柄で、声量も大きくないが、全身で音楽を発信する姿が凛々しく、そして清々しい。

彼女を聴くのはこれで3回目。以前も感じたが、見た目も含め、ナタリー・デセイを彷彿とさせる。歌って演じることが出来る歌手。

デセイがオペラ出演を引退しても、ちゃんとお膝元フランスから後継者が現れるのは、フランスの舞台芸術界にそうした才能が育つ土壌が備わっているからであろうか。