クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2021/7/15 オーケストラ・アンサンブル金沢

2021年7月15日  オーケストラ・アンサンブル金沢  石川県立音楽堂コンサートホール
指揮  マルク・ミンコフスキ
ベートーヴェン   交響曲第6番「田園」、交響曲第5番


超アグレッシブ。
ミンコのベートーヴェン、一言で言うと、これだ。これに尽きる。

例えばベト5なんかは、「アグレッシブな演奏だ」と形容されれば、それを聴いてなくても、なんとなく「こんな演奏だろうか」みたいに想像が付くだろう。なぜなら、そういう曲だからだ。つまり、険しい曲にはアグレッシブな演奏が似合うからである。

ところが、だ。
ベト6田園にも、聴いた感想として私は「アグレッシブな演奏だった」と感じたのだ。
こうした時、それを聴いていない人は、「田園でアグレッシブって??」みたいに思うだろう。
でも、今回の演奏を聴いた人なら、「あー、そうだったね、確かにね」「なんとなく分かる」と言ってもらえるかもしれない。そう信じたいものだ。

アグレッシブ。
要するに、ミンコフスキのリードが前掛かりで、積極果敢であり、推進力に溢れているのだ。
田園の第1楽章や第5楽章のゆったりした音楽でさえ、タクトの弧は大きく描かれ、オーケストラを激しくプッシュする。

緩徐楽章でそうなのだから、アレグロ楽章の急速な展開は、まさに電光石火のごとしである。
単にテンポを上げているのではなく、しっかりと変化と緊迫感が伴い、メリハリが効いているので、実に目まぐるしく、鮮烈なのだ。


ミンコフスキのベートーヴェンは初めてだったが、本当に良いものを聴かせていただいた。
ロビーには、都内のコンサートホールでよく見かけるコンサートゴーアーや、評論家さんなどのお姿もチラホラ。さすが、目ざとい方々である。
今回は、ベートーヴェン交響曲演奏会チクルスの中の一公演。このあと10月に4番と7番、来年3月に第9が控えている。
うーん、これはまた金沢に行かなければならないか。まいった。
確かに、気軽に行ける場所であることは、今回でよくわかったのだが・・・。

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2021/7/15 金沢

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金沢にやって来ました。

目的はオーケストラ・アンサンブル・金沢のコンサート。

びっくりしたのだが、本公演は午後6時30分開演。クラシックの公演はどれもだいたい2時間くらいだから、午後8時半くらいには終わるだろう。

そうすると、午後9時の新幹線に乗れば、その日のうちに帰京出来てしまうのである。日帰り可!!

開演を午後6時30分に設定しているということは、おそらくそういうお客さんがいることも想定しているんだろうね。きっと。

さすがに私は日帰りはしなかったが、翌日、つまり明日、金沢始発の新幹線に乗ると、なんと、職場に通常定時出勤出来てしまうのだ。休まなくても良いのである。これまたびっくり。

 

せっかくだから兼六園も訪ねたいところだったが、天気が不安定なので止め。まあ、別にいいでしょう。

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2021/7/10 神奈川フィル

2021年7月10日   神奈川フィルハーモニー管弦楽団   カルッツかわさき
指揮  川瀬賢太郎
津田裕也(ピアノ)、務川慧悟(ピアノ)、松尾由美子(ナレーター)
サン・サーンス  組曲動物の謝肉祭
プロコフィエフ  ピーターと狼
ショーソン  交響曲 変ロ長調


オレさあ、テレ朝の松尾由美子アナ、結構好きだったんだよなー。
いわゆる女子アナ人気ランキングには、それほど上位に名前が挙がって来なかったけど、アナウンスの実力はあったと思うし、笑顔はかわいい。おじさんキラーだったな。朝の番組では結構癒やされてました。へっへ。

そんな彼女がクラシックの老舗番組「題名のない音楽会」の司会に抜擢されたと思ったら、そこに出演した指揮者の川瀬賢太郎クンと出会っちゃって、ゴールイン。

まったくムカつくヤローだなー、川瀬てめー(笑)。

えー、すみません・・。
別に本公演に行ったのはそんな松尾さんを見たかったわけではなくて、絶妙なプログラムに惹かれたからである。
何を隠そう、私はこの「動物の謝肉祭」、ちゃんとした組曲版を生で一度も聴いたことがなかった。結構有名な曲なのにね。それからナレーション付きの「ピーターと狼」も。
ちょっと早い夏休みお子様向けコンサートと思いきや、メインは少々マニアックなショーソンを持ってきて、定期演奏会の趣をきっちり整える。
こういうプログラムを組まれると、オイラ尻尾を振りながらチケットを買ってしまうわけですなー。

というわけで、行ってきました川崎まで。オペラグラス持参で。
は? なぜ!?
いや、まあその、なんだ。
許せ(笑)。


肝心の演奏について。
「動物の謝肉祭」も「ピーターと狼」も、各キャラクターの表現作りを含め、指揮者がしっかりと音楽を構築している。ストーリーテラーとしての仕上げも上々。
各ソロ・パート、特にピアノはもっと自由に遊んでもいいと思ったが、別にコンチェルトではないわけだし、もしかしたら自らを進んで指揮者の統制下に置いたのかもしれない。

残念だったこと。
曲がつまらん(笑)。2曲とも。特にピーターと狼は完全に退屈してしまった。
松尾さんのナレーションなのに・・。まあそれはいいとして。
なんつうかね。結局は子供向けの絵本なわけよ。初心者向けの教科書なわけよ。

もちろん曲はとっくに知っていたわけだから、今さら気が付いたわけではない。
ただ、生鑑賞なら少し違う印象を抱くことが出来るかもしれない、という期待はあったわけで。
でもダメでした。
初めて生で聴いたことで、これらの曲を自分のコンサート・データベースに新たに加えられたことが唯一の収穫。やれやれ。

気を取り直そう。大丈夫。この日はちゃんとメインが残っていた。
ゴージャス、甘美、そして濃厚な味付け。それでいて、フランス音楽らしい明るさ、洗練さも兼ね備えた本格的な演奏。素晴らしい。

川瀬さん、さすが常任指揮者。統率力があるよね。タクトもキレがあって、かっこいいしさ。
才能輝く若き俊英。デキる男にはイイ女もくっ付いてくるというわけ。
くそー、やっぱりムカつくヤローだ(笑)。

2021/7/9 日本フィル

2021年7月9日   日本フィルハーモニー交響楽団   サントリーホール
指揮   沖澤のどか
三浦文彰(ヴァイオリン)
モーツァルト  魔笛序曲
ベルク  ヴァイオリン協奏曲
メンデルスゾーン  交響曲第3番 スコットランド


沖澤のどかさんは、なんとなく気になっていた指揮者だった。
私自身、別に若手、ニューフェイスを常に気にかけているわけではない。ブザンソン国際指揮者コンクールの優勝者だからといって、そんなの単なる一つの登竜門通過くらいにしか見ていないし、女性だからみたいな視点もまったくない。
まず、2年続けて東京・春・音楽祭主催のリッカルド・ムーティによる「イタリア・オペラ・アカデミー」に選出され、巨匠から音楽の何たるかを直伝されていたトピックスを見た時、「へぇー」と思った。
次に、昨シーズンからベルリンに拠点を移し、カラヤン・アカデミーに参加すると同時に、世界最高の指揮者の一人と称されるあのキリル・ペトレンコのアシスタントを行っているということを知った時、「ほぉー」と思った。

彼女には何かがあるのではないか。何かを持っているではないか。
その何かが、名指揮者を引き寄せている。
買いかぶりかもしれないが、そう思ったのだ。

で、今回初めて彼女が指揮するコンサートを聴く。本公演は、元々は別の外国人指揮者で予定されていたもので、コロナの影響で来日不可となり、その代替により出演することになったもの。もちろん私も、沖澤さんの出演が決まったことで、チケットを買った次第。

そのタクトに注目する。
基本に忠実な印象。とても丁寧で、オーケストラをぐいぐい引っ張ろうみたいな力みはない。スコアは掌握しているし、オケとの間合いも程良い。
音楽的にも、しっかりとした起伏があって、表情があって、色彩的だ。いいじゃないか。

一方で、どことなく優等生っぽい感じもする。そつがなく、強烈な個性、キャラは見当たらない。
そこらへんは、果たしてどうなのか。
例えば、同じ若手女性指揮者で、既に頭角を表しているミルガ・グラジニーテ・ティーラなんかは、「ちゃんと私のやるとおりに演奏してよね!」みたいな強い押しがひしひしと感じられて、ある意味とても指揮者らしい。沖澤さんはどうやらそういうタイプではなさそうだ。

これからもっともっと進化していくだろうから、もう少し長い目で見ながら注目していこう。

彼女は11月の神奈川フィル定期公演にも出演する予定で、シベリウス交響曲第5番などのプログラムを並べている。私も馳せ参じる予定だ。

2021/7/4 東京フィル

2021年7月4日   東京フィルハーモニー交響楽団   オーチャードホール
指揮  チョン・ミョンフン
ブラームス  交響曲第1番、第2番


チョン・ミョンフンが東京フィルのスペシャル・アーティスティック・アドバイザーに就任したのが、2001年。つまり、共に歩んで20年、ということになる。

今回の公演(この日だけでなく、東京オペラシティホール、サントリーホールでも行われた一連の定期公演)は、その強固な絆が実を結んだ最高の結晶と言えるのではなかろうか。両者の幸福な関係は、ついにここに極まったのだ。

揺るがぬ信頼の証がはっきりと見え、そして聴こえた。
もちろんリハーサルの段階から厳しく練習を積み上げ、着実に音楽を構築させて、その上で完成させた結果なのだと言えば、確かにそうだろう。
でも、チョン・ミョンフンの指揮を見ていると、なぜかそのように見えない。オーケストラにあれこれ指示を出して音を作ったという感じではないのだ。
あたかも、指揮者が頭の中で描く理想の音形を求め、目を瞑りながら手を動かした時、その懐の中から音楽が自然と湧き出てくるかのよう。

まさに神秘。これぞ芸術の奥深さ、創造の賜物なり。
もしかしたら、ここまで到達するのに20年を要した、と言えるかもしれないが。

それにしても、なんて自然体なブラームス
聴こえてくるのは、演奏家の解釈が注入されたブラームスではなく、素の作品そのもの。素朴で、等身大で、どこか懐かしい。こんな純真なブラームスを聴いたのは、いったいいつ以来だろう。
いや、もしかしたら、初めてかもしれない。


私が初めてチョン・ミョンフン指揮の公演に足を運んだのは、2002年1月の東京フィル。
つまり、スペシャル・アーティスティック・アドバイザー就任の翌年だ。
その時のプログラムは、ブラームスだった。(ドッペル・コンチェルトと、メインがブラ4)
なんてことだ。まるで、原点への回帰ではないか。

そのブラ4を、今度は9月に聴くのだ。待ち遠しい。

2021/7/3 新国立 カルメン

2021年7月3日   新国立劇場
ビゼー  カルメン
指揮  大野和士
演出  アレックス・オリエ
管弦楽  東京フィルハーモニー交響楽団
ステファニー・ドゥストラック(カルメン)、村上公太(ドン・ホセ、歌唱のみ)、村上敏明(ドン・ホセ、演技・セリフのみ)、アレクサンドル・ドゥハメル(エスカミーリョ)、砂川涼子(ミカエラ)、妻屋秀和(スニガ)、吉川健一(モラレス)   他


終演後、私の隣りの席だったご夫妻の旦那さんが、唸るかのように奥様に語りかけていた。
「いやー、斬新だったねえ・・」

斬新かぁ・・。

そう言えば、大野和士さんも開幕前の宣伝プロモーションで言ってたっけ。
「是非お越しいただき、斬新な舞台をお楽しみください」と。

斬新ねぇ・・。

まあな。伝統的なオーソドックス舞台を期待していたファンからすれば、確かに斬新なのだろう。

だが、読替演出を前提でこの舞台を眺めれば、はっきり言って別にそれほどでもない。

演出家は、物語を現代に置き換えた。ならば我々も、カルメンみたいな連中が今の世の中でどういうカテゴリーに属するのか、想像を巡らしてみよう。
そうした時、ゴーイング・マイウェイを地で行き、ちょっとアングラで、いかにも裏で酒やタバコにまみれているバンドとかミュージシャンなどのイメージに辿り着くのは、実はそれほど突飛なことではない。公演ツアーで各地を飛び回り、ホテル暮らしが長くなる売れっ子ミュージシャンは、ある意味ジプシーみたいなもんだからね。事実、まったく同じようなコンセプトの舞台を、私はドイツ国内の劇場で観たことがある。(むろん、舞台装置などは全然異なるが)

嫌味ったらしいが、あえて私個人の感想として言ってしまえば、「アレックス・オリエほどの著名な演出家にしては、凡庸な演出」である。確かにぱっと見た目は斬新っぽく見えるが、それでごまかされたりはしない。


世界の最先端演出の潮流において、もはや物語を単に現代に置き換えるだけではダメなのだ。
自由で、信念を貫き、死の運命から逃げなかったジプシー女カルメンは、確かにこの舞台でステージ・シンガー、スター歌手として蘇った。
だが、現代女性のどの部分と相通じるのか、今どきの彼女が心の中に何を抱えているのか、そうしたものが見えてこない。掘り下げ方が浅いのだ。

更に曖昧だったのが、ドン・ホセ。何者なのか、現代社会に身を置く男性としてどういうキャラなのかが、全然はっきりしない。

現代に置き換えるのなら、いっそのこと、例えばネットの仮想空間にいるアイドルに夢中で、生の奔放な女性の扱い方を知らないオタク、みたいなキャラを作った方が、よっぽどタイムリーのような気がするが。
要するに、二人とも現代衣装を着ているだけで、私にはオーソドックスな「カルメン」というオペラの物語にいる主人公二人と同じに見えてしまうのである。

結局、演出における人間の描き方が表面的で薄っぺらいのだ。

・・やれやれ、私は結局ただの口うるさい辛口ド素人評論家なのだろうか・・。

私が上に述べたようにドン・ホセをオタクに仕立てて実際の舞台で展開させたら、今度は保守的なお客さんから「物語をぶち壊すな!」と非難轟々になるんだろうな・・・。

最初に述べたように、これで「斬新だ!」と唸ったお客さんもいたわけだ。オリエの目的はこれで十分達したのだろう。残念ながら、深く考えさせられる舞台を見慣れていない日本人の浅はかさが、図らずしもこういうところで露呈してしまうわけである。


本公演で、むしろ目を見張ったのは、指揮者大野さんが作り上げた音楽全体の完成度であった。
実に隙が無い。劇的で、リアルで、情緒的な「カルメン」を丁寧に描いている。場面のどこを切り取っても音楽的。特に序曲や間奏曲は鮮やかで、聴かせる。
これぞ芸術監督の仕事といった感じで、感服した。


タイトルロールを歌ったステファニー・ドゥストラック。
一生懸命に、「ドゥストラックのカルメン」を披露していた。声そのものはそれほど強い印象を抱かせるものではなかったが、音楽的には実に考え抜かれていたし、確立されていた。

この日、ドン・ホセを歌う予定だった村上敏明氏が、大野さんの説明によれば「本番までに声の調子が上がってこなかった」とのことで演技とセリフのみとなり、急遽、カヴァーだった村上公太氏が舞台袖で歌うことになった。

ライブである以上こういう事は起こりうるし、私自身もこれまでの数多くのオペラ鑑賞体験の中で、何度か遭遇している。でも、日本ではきっと稀なことだっただろう。

カヴァーの村上さんは、立派な歌唱で見事に代役をこなした。素晴らしかったと思う。
一方で、最初からカヴァー役だったのだから、袖で楽譜を見ながら歌うのではなく、舞台出演できなかったのか、と思った。
だって、そのためのカヴァーなんでしょ?? カヴァーってそういう準備をしているものなんじゃないの??

懐かしのチケットぴあ

チケットぴあの店舗営業が、昨日である6月30日をもって全国一斉に終了となったとのこと。
「ええっ!! そうなの~!?」と驚いたが、ぴあ社によれば、チケット販売は今や完全にネットが主流。販売数に占める店舗の割合は、全体の僅か1%未満なのだそうだ。最盛期には全国に600店以上もあった店舗も、最後はたったの77店。完全に時代の趨勢に抗うことができなくなったというわけ。

なるほどー。確かになぁ。仕方がないよなー。
自分だってチケットは今ほとんどネット購入だもんな。


昔を思い出し、思わずノスタルジアを感じてしまう。
上にも書いた最盛期というのは、おそらく1990年代頃だったと思う。アイドル歌手、ロック、ポップ・ミュージックなどに熱を上げていた愛好家やファンたちは、ご贔屓のアーティスト公演のプラチナチケットを入手するために、すべての情熱とエネルギーを注いで各ぴあ店舗に並んでいた。

クラシック音楽の場合、チケット獲得合戦が白熱するような公演はごく一部に限られていたので、そこまでする必要はあまりなかった。
私の場合、むしろ当時、日本全国に一大ブームを巻き起こしたサッカーJリーグの観戦チケットを手に入れるために、何度となくぴあ店に並んだっけな。

午前10時発売開始の前。事前に配布された購入申込書に必要事項を記載すると、それをお店のスタッフが回収。
そして、発売開始時刻ジャスト、時報が鳴った瞬間、発券担当者が素早くシステムを稼働させ、ものすごい勢いでキーボードを叩き、一分一秒を争いながら、次から次へとチケット発券に奮闘している姿をよく目撃した。担当者の眼差しは真剣そのもの。ぼやぼやしていたら、あっという間に売り切れてしまう。
「早くから並んで待っていた人たちのために、何としても、是が非でもチケットを取ってあげたい!」
お客さんのため!という熱意に溢れ、それがひしひしと伝わってきた。

私は思った。あの時、お店のスタッフと客は同士であった、と。チケットを取れた喜びと感動を、まさに共有していたのだ。なんだか感動的でさえあった。


今は昔・・・。かつてそういう時代があったが、今は廃れてしまった。時代の流れとともに消えていく文化。

寂しいっすね。