クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2020/2/9 チューリッヒ2

国際サッカー連盟FIFAの本部が、ここチューリッヒにある。
5年前、そのFIFA本部を訪ねたことがあったが、残念ながら建物の中に立ち入ることができなかった。(展示スペースがあるロビーには誰でも入ることが出来るという情報だったのだが・・)
そうしたら、なんと、本部とは別の場所に、最新の博物館が完成した。ちゃっかり24スイスフラン(約2700円)という、決して安くない入場料を設定して。
(もっとも、スイスは物価が高いので、ここが特別高いわけではない。)

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FIFA組織の歴史コーナーなどもあるが、目を引くのは、やはり伝統に彩られたワールドカップ大会に関する展示だ。
歴代の大会開催概要、そして歴史に名を残した優勝チームと戦士の数々・・。
その時々にスーパースターが登場した。そんな彼らの活躍シーンが、写真や映像で紹介されている。
クライフ、ケンペスマラドーナジダン・・・彼らの魔法のようなプレーが、私達の胸を熱く燃やした。懐かしさでいっぱいだ。

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また、2011年の女子ワールドカップ大会で、輝かしい1ページを刻んだ、我らが「なでしこジャパン」。飾られているキャプテン澤穂希さんの絵や写真が、なんとも神々しく、誇らしい。

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あの快挙が、大震災で打ちのめされた我々日本人の心をどれほど癒やし、そして奮い立たせたことか。
そんな感慨にも浸りながら、過去に思いを馳せる。それはそのまま、ガキの頃からサッカー好きで歩んできた自分の人生の懐かしい回顧でもある。(オレ様は、決してクラシックだけじゃないのである。)

ワールドカップの歴史を感じ、同時に、時の流れというものをしみじみと感じた1時間半だった。

博物館を後にしたら、チューリッヒ湖畔をお散歩。この日も天気が良く、真冬のスイスを忘れるくらいに穏やかだ。

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この穏やかさは、文字どおり、嵐の前の静けさ。こんなにいい天気なのに、ヨーロッパに嵐がやってくるなんて・・。自然というのは突然牙を剥く。本当に恐ろしい。

文字どおり、嵐に

今回、事前の予告もなく、いきなり「チューリッヒにやってきた」と旅行記を開始してしまったが、予定していた鑑賞スケジュールは以下のとおりだった。

2月 8日  チューリッヒ
グルック「トーリードのイフィジェニー」

2月 9日  チューリッヒ
ベートーヴェンフィデリオ
ベルク「ヴォツェック

2月10日  ドレスデン
ワーグナーニュルンベルクのマイスタージンガー

以上、3泊の短期旅行で4つのオペラを観る強行軍だった。

さて、私は今、帰国を控え、宿泊しているフランクフルトのホテルでこの記事を書いている。
ドレスデンが最終の滞在地なのに、なぜフランクフルトに泊まっているのか。
申し上げよう。
残念ながら、私はドレスデンに行くことが出来なかったのだ。

原因は、いきなりヨーロッパを襲った猛烈な嵐である。
日本でも台風がやってくると、交通機関が麻痺し、飛行機などが一斉に欠航するのと同様、ここドイツでも飛行機や鉄道が完全に停止してしまったのだ。

まさかこの時期に嵐がやってくるなんて・・・。
日本でニュース報道されたのかどうかは知らないが、イギリスではサッカー・プレミアリーグの一部の試合が中止に追い込まれたというし、ここドイツでも、各地で学校が休校になったりと、大変だったようだ。

ドレスデンマイスタージンガーは、本当に楽しみにしていた公演だった。
ティーレマンが指揮をし、K・F・フォークト、G・ツェッペンフェルト、C・ニールントら豪華キャストが名を連ねた注目公演だった。
新国立劇場東京文化会館との共同プロダクションなので、演出に関して言えば、今年7月に日本でも観ることが出来る。だが、こんなこと言っちゃ悪いけど、キャストに関しては、それこそ「一軍と二軍」である。「さすがドイツ、これぞ本場の本物」という上演が観られるはずだった。

だが、如何せん、天候、自然災害には敵わないのである。

本来なら、残念で、悔しくて、悲しいはずなのに、それほどでもなく、淡々とした気持ちになっているのは、チューリッヒを脱出してドイツに向かうことがめちゃくちゃ大変で、下手したら帰国さえも危ぶまれた事態を、必死に頑張って、なんとか乗り越えることが出来たから。途中から、もう公演どころじゃなくなってしまった。

ということで、悲しいではなく、ホッとしているのだ。

そこらへん、これからまた、もはや恒例としか言いようがない「トラブル旅行記」を書いていくので、ぜひご笑覧いただきたい。

いや、ホント大変だったのよ・・・。

2020/2/8 トーリードのイフィジェニー

2020年2月8日  チューリッヒ歌劇場
グルック  トーリードのイフィジェニー
指揮  ジャンルカ・カプアーノ
管弦楽  ラ・シンティッラ管弦楽団
演出  アンドレアス・ホモキ
チェチーリア・バルトリ(イフィジェニー)、ステファーヌ・デグー(オレスト)、フレデリック・アントウン(ピラード)、ジャン・フランソワ・ラポワント(トアス)、ブリギッテ・クリスティンセン(ディアーヌ)   他


オルフェオとエウリディーチェ」と双璧をなすグルックの傑作。日本ではなかなか観ることができないこの作品を、新演出かつバルトリの出演で鑑賞出来るというのがポイントで、そのためにチューリッヒまで駆けつけた。
ここチューリッヒ歌劇場は、世界最高の歌手バルトリの数少ない拠点の一つ。彼女が登場するオペラを観ることが出来る、世界でも希少かつ価値のある劇場なのだ。

やはりというか、そのバルトリが圧巻の歌唱である。
まあね、そうなることは最初から分かっていたんだけどさ。
それでも圧倒されてしまうのである。最高の歌手はやっぱり最高、というわけだ。

じゃあ、いったいバルトリ様のどんなところが凄いのかというと、例えば卓越したテクニック面だとか人によって挙げる点が色々あると思うが、私は「音楽を、あるいは旋律を、すべて感情に変換させてしまう比類なき表現力」なのだと思う。
迫真の演技がそうさせているというのもあろう。
だが、それ以上に、「オペラというのは人間の感情の物語であり、やるべきことは登場人物の心情表現なのだ」という彼女なりの信念から来ているのだと思う。

彼女が携えている完璧な歌唱テクニックは、こうして100パーセント心情表現のための道具として使われる。
我々観客が彼女の歌唱に胸を打たれるのは、演じている役の心情の揺れ動きが痛いくらいに伝わり、それを真正面から受け取るからだ。バルトリという歌手のおかげで、それくらい物語に没入することが出来るのだ。
これこそ、彼女の圧巻の歌唱のカギであり秘訣であると、私は断言したい。

演出家ホモキは、このように心情を歌で訴えることが出来る稀有の芸術家を得て、まさにそうしたバルトリの表現に寄り添っている。演出家もまた、登場人物の心情表現を見せるための工夫を舞台上に施しているのだ。
全体を黒で統一したシンプルな様式の中、登場人物の心の中に迷いや葛藤が生じた時、舞台に亀裂が入り、地割れを起こす。
この地割れこそ、引き裂かれた人間関係や、断腸の思い、忸怩たる思いの象徴。
生き別れたイフィジェニーとオレスト。妻に裏切られ、殺される父アガメムノン。オレストとピラードのどちらかを生かし、どちらかを生贄で殺すという選択・・・。

そんな息が詰まる展開の中に、「かつて存在していた、暖かい家族関係」として父アガメムノン、母クリテムネストラ、幼少のオレストとイフィジェニーの仲睦まじい姿を、黙役を使って見せた演出上の一瞬の光明は、私の心にしかと突き刺さった。

オーケストラの「ラ・シンティッラ管弦楽団」は、チューリッヒ歌劇場がバロックオペラを上演する際に編成されるピリオド楽器奏団。かつてアーノンクールバロックオペラを振った時も、W・クリスティが同演目の前演出版を振った時も、ピットの中は彼らだった。
カプアーノ指揮の音楽は、誇張がからず比較的オーソドックスながらも、古楽演奏ならではのきびきびとした溌剌さが音楽に新鮮さを呼び起こし、聞いていて大変心地良かった。

2020/2/8 チューリッヒ1

チューリッヒにやってきた。
真冬のスイスだというのに、結構暖かい。この日の最高気温は10度であった。過去に冬季に訪れた時、最高気温がマイナス8度、街全体が完全に凍っていたり、雪で真っ白だったり、ということがあったので、拍子抜けだ。やっぱり温暖化の影響なのか。グレタさんの活動が脚光を浴びるわけである。

チューリッヒ市街を一望できるユートリベルク山に登った。
登ったといっても、頂き付近まで鉄道(Sバーン)が敷かれており、中央駅から20分で訪れることができる。高さにしても、わずか869メートルの小山だ。

山頂には展望塔があって、更にそこを登ると(有料2ユーロ)、360度の大パノラマが開ける。眼前を見下ろすとチューリッヒ市街、細長いチューリッヒ湖のはるか先には、スイスが誇るベルナーオーバーラントの名峰の数々。この雄大な眺めは実に壮観だ。「スイスに来たぜ!」って感じ。

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2020/2/3 都響

2020年2月3日   東京都交響楽団   東京文化会館
指揮  フランソワ・グサヴィエ・ロト
合唱  栗友会合唱団
ラモー  優雅なインドの国々組曲
ルベル  バレエ音楽 四大元素
ラヴェル  バレエ音楽 ダフニスとクロエ全曲


フランソワ・グサヴィエ・ロト。ちょっと冴えないおっさん顔に騙されちゃいけない。この指揮者、只者じゃない。

オーケストラの音を変貌させることが出来る。
音楽に新たな創造を植え込むことが出来る。
作品の魅力を際立たせ、作品から新しい発見を引き出すことが出来る。
いずれも簡単なことではない。卓越した指揮者のみが成し得る奏功だ。

エレガントなタクトで流れを作っているわけでもない。
情熱的に力を込めてグイグイ引っ張っているわけでもない。
カリスマ性に物を言わせてオケ奏者を従わせているわけでもない。

おそらくやっていることは、リハの段階で、音楽を丁寧に一から構築させていく作業だろう。
その際、指揮者が捉えた作品のあるべき姿と方向性が、明確に提示されているはずだ。
これだけオーケストラの音が鮮やかに変容しているのである。奏者は間違いなくインスパイアされている。
実際、どういうリハを行っているのか、ものすごく興味があるが、目からウロコが落ちるような指摘で奏者をハッとさせているのではなかろうか。
こういうのを我々はつい「魔法」と言いたくなるが、ロトからすれば、一言でそんな簡単に済まされるのは心外かもしれない。もっと具体的なものであり、ロジカルなものであり、緻密なビルドアップであるはずだ。

プログラムが前半と後半両方とも魅力的で、同等に輝いていたというのも称賛に値する。
大抵のコンサートにおいて、後半プログラムがメインとなり、そちらに重点が置かれる。私の鑑賞記事も、感想が前半プロを無視してメインのみ、という公演も珍しくない。

本公演の前半プロが魅力的だったのは、ロトが創設した「レ・シエクル」というオケとのコンビによる古楽演奏の功績そのもの。ならば、プログラム全体を古楽の統一様式で整えてもいいところ。
そこを、後半、一転して時代の異なるラヴェルの煌めきで唸らせる。
ロトの懐の大きさ感じずにはいられない。

でも、よく見てみれば、本公演はちゃんと考え抜かれた統一のテーマで整っているのだ。

「フランス人指揮者による、フランス舞曲の時代変遷の考察」

フランソワ・グサヴィエ・ロト。この指揮者、やっぱり只者じゃない。

新型コロナウィルスの影響

新型肺炎コロナウィルス騒動は、だんだんと「他人事」「対岸の火事」ではなくなってきている。
ボストン交響楽団が、今月に予定していた東アジアツアーの中止を決定した。今回はたまたまそのツアー行程に日本が組み込まれていなかったので影響はなかったが、もしかしたらこれは、忍び寄る悪しき前兆かもしれない。
なぜなら、外来の演奏団体やアーティストは、中国などを含め、アジアツアーの一環として来日することがあるからだ。

今回のボストン響は、ソウル、台北、上海、香港を巡る演奏旅行だった。中国本土ではないソウルや台北のファンは、さぞやがっかりし、そして「とばっちりを受けた」という思いが頭によぎったことだろう。

同じようなことが日本にだって起きる可能性がある。
我々からしてみれば「中国と日本は別」である。そうであっても、欧米からしてみれば「同じ東アジア圏」という認識がある。
話を逆にして考えてみれば分かりやすい。
例えばイギリスでテロが起こった時、我々は予定しているフランス旅行に行っても大丈夫なのか、不安になる。そういうのとまったく一緒なのだ。
2月も3月も、様々な外来公演、アーティストの来日が予定されているが、どうか予定どおりとなることを祈るばかりである。

また、ニュースによれば、ヨーロッパなどにおいて、中国人だけでなくアジア系に対しても、避けられたり、蔑視の目を向けられたり、といった、偏見や無知に基づく差別行動が起き始めているという。
悲しいことだし、まったく良いことだとは思わないが、これだってなんとなく理解できる。
私だって、イスラム過激派によるテロが起きると、海外旅行中、髭をはやした中東系の人を見て、内心警戒してしまうことがある。人の心というのは、きれい事だけで済まされないものがあるのだ。

私自身は、これまでに数多く海外に行っているが、露骨な差別を受けて嫌な思いをしたことはほとんどない。所詮は旅行であり、現地の人々と深く関わることがほとんどないためだ。単に金を落としてくれる旅行客は歓迎される。少なくとも表面上は。
だが、今後しばらくは、もしかしたらそういう嫌な目に遭うかもしれない。ある程度は覚悟しておこう。別に、日本人なのだから堂々としていればいい。どうせ言葉だってよくわからないし。

実は今年のゴールデンウィークに、アメリカ行きを計画している。そのフライトとして、初めて中国国際航空のチケットを買ってしまった。東京発北京経由アメリカ行き。
直行便にすればいいのにわざわざ北京経由にしたのは、とにかく航空運賃が安かったからだ。
中国国際航空の評判は非常に悪くて、これまで一度も利用したことがなかったが、つい安さに負けてしまった。普段から飛行機には快適性を求めておらず、「バスのようにただ運んでくれればいいさ」と思っていたから。
しかし、今、アメリカを始めとして、各国が続々と中国便をキャンセルするようになり、にわかに雲行きが怪しくなった。
この騒動がいつ収束するかもわからない。SARSの時は、収束まで半年くらいかかったと聞く。「旅行は大丈夫か、中止になってしまうのではないか。」などと不安を抱えて過ごすのは嫌だ。

ということで、中国国際航空のフライトをキャンセルし、結局日本からの直行フライトを買い直してしまった。
余計な出費がかかってしまったが、仕方がない。もしかしたら、騒動は程なくして収束し、後になって「早まった」と思うかもしれないが、仕方がない。行けなくなってがっかりするよりは、まし。賢明の措置だった、そう思うことにしよう。高い授業料を払ったと割り切るのだ。

2020/1/29 フィルハーモニア管

2020年1月29日   フィルハーモニア管弦楽団   東京芸術劇場
指揮  エサ・ペッカ・サロネン
サロネン  ジェミニ
マーラー  交響曲第9番


なんてハイグレードな演奏なのだろうか。
仕上がりが完璧でピュア。極上の塗装によって磨き上がったピカピカ感。あるいは、圧倒的な高品質を誇る有機ELテレビの8K映像のような解像度。
その眩さは、職人の熟練だとか伝統の粋だとかいったいぶし銀のぬくもりではなく、現代的なデザインと最先端技術による洗練された高級品の光沢みたいだった。

サロネンマーラーは、死の暗示だとか忍び寄る病魔だとかいって、感情過多気味に唸り声を上げることもないし、ウィーン世紀末観をことさら強調することもない。そういうのは作品の周辺につきまとうイメージや付加情報であり、扱う指揮者の勝手な盛り込みであって、スコアが語っていることではない。サロネンのアプローチは、そういうやり方と決別しているのだ。
だから、その音楽は清々しいくらいオプティミスティックに聞こえる。

聴き手にピカピカ感や圧倒的な高品質の印象を抱かせるのは、サロネンが演奏の中に「『指揮者の解釈』という名の不純物」を排し、理想的な音を整然と並べているから。そこに、サロネン流の徹底したスコア主義が見えてくる。

拠り所は、自らに備わる才能への自信だ。
作曲家であるが故に作曲家の視点を持ち、冷静にスコアを捉え論理的に解析するという能力への自信。それから、オーケストラを機能的かつ自在にコントロールするタクトへの自信・・・。

「自信」という言葉を今ここで用いて、あっと思い出した。
サロネンのタクトから発せられる強烈な自信を、今回と同様に感じ、感想記事に書き留めたことが以前にあった。2017年5月、同じくフィルハーモニア管の公演。演奏曲目はマラ6。やっぱり同じくマーラーだ。

https://sanji0513.hatenablog.com/entry/34734807

改めて自分が書いた記事を読んで、大きな意味で、今回と同じようなことを感じ、同じようなことを述べていると思った。「自信こそがサロネンの音楽の美学」という表現は、我ながら的を射ていると思う。

そういえば2010年に、サロネンウィーン・フィル来日公演でマラ9を披露するはずだった。急遽キャンセルとなり、幻となった。
あの時、キャンセルとならずに公演が実現したら、どれほどの衝撃だっただろうか。

いや、仮の話をしても仕方がない。こうしてフィルハーモニア管でハイグレードな演奏を披露したのだ。十分だろう。