クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

ドヴォルザーク「新世界より」

昨日7月18日、チョン・ミョンフン指揮の東京フィル定期演奏会シベリウスのヴァイオリン協奏曲とドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」というプログラムの公演は、本日の東京オペラシティホールの公演と共に、全席完売だったとのこと。
 
へえー。そりゃまたすごい。
やっぱり、実力と名声を兼ね備えた指揮者が名曲中の名曲を振る公演は売り切れるんだねえ。
なんだかんだ言っても、新世界は人気があるんだねえ。
 
私は今シーズン、東京フィルの定期会員になっているので、シリーズ中の一公演として会場に足を運んだわけだが、これがもし連続券じゃなかったら、つまり単独公演だったら、おそらくチケットは買わなかっただろう。
なぜなら、私はドヴォルザークがどうも苦手だからだ。(これまで何度も言及しているので、知っている人も多かろう。)
 
なぜ自分はドヴォルザークが苦手なのだろう。
私は演歌があまり好きではないが、ドヴォルザークの作風は演歌に相通じるものがある。彼の音楽の源泉はチェコ民謡にあるのだから、ある意味当然だが、要するにそういうことなのかなあ、と思う。
ドヴォの音楽を聴いていると、なんだか村祭りのお囃子や盆踊りの音楽を聴いているような感覚に陥ってしまう。どんなに形式的に交響曲の体を成していても、音楽の主軸は民謡風の旋律に完全依存。響きの構成やオーケストレーションは、後から取って付けたようなもの。
そういう印象がどうしても拭えないのだ、悲しいことに。
 
さて、こんなドヴォ鬼門の私であるが、何を隠そう10代の頃は交響曲第9番「新世界より」を好んで愛聴していたのだから、不思議なもんである。
 
きっかけは一枚のレコードだった。その演奏によって、私はこの曲にのめり込み、夢中になった。
1972年に録音されたR・クーベリック指揮ベルリン・フィル。半世紀経った今でも評判の誉れ高い名盤中の名盤だ。
 
また、新世界は、私が大学に入学してオーケストラ部に入り、初めてステージで演奏した曲でもある。一生懸命練習し、仲間と力を合わせて演奏した青春の思い出の曲なのだ。
 
そういうことなので、私はコンサートで新世界を聴く機会があると、いつも、毎回、常に、「昔、この曲に夢中になっていた感覚を取り戻したい」という思いに駆られる。
そう、あの時、この曲の魅力は間違いなく存在していた。私は情熱を持って聴いていた。ゾクゾクするような箇所、ツボが確実にあった。
それを今、私は必死に探しながら聴いている。
 
昨日のチョン・ミョンフンの新世界はどうだったか。
演奏は実に素晴らしかった。集中力があり、研ぎ澄まされた鮮明な新世界だった。
だが、昔夢中になったあの興奮は最後まで蘇らなかった。相変わらず私は、まるで演歌歌手が歌うオペラアリアを聴くような違和感とともに、「面白くない曲だなあ」と思いながら聴いていた。
 
もうこの曲を聴いても、あの頃のようなときめきは生まれないのか。
それはつまり、美しい過去の情熱はもう取り戻せないという意味なのか。
 
いや、そうは思いたくない。もう一度新世界を聴いてゾクゾクしたい。
そういう公演にきっといつか巡り会える。
私はその日を待ち望んでいる。