2023年11月9日 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 文京シビックホール
指揮 ファビオ・ルイージ
ビゼー 交響曲第1番(交響曲ハ長調)
ドヴォルザーク 交響曲第9番 新世界より
本公演は、自分にとって、もしかしたらエポックメイキング的なものとなったかもしれない。それくらいの画期的インパクトを及ぼしたコンサートになった。
第一に、単純にオケの上手さに舌を巻いた。コンセルトヘボウの実力ってやつだ。
当ブログでも何度か言及しているのだが、私はずっとこのオケについて、優秀なオーケストラであることについて認めつつ、「世界のトップ3」扱いされていることについては、個人的に異議があった。バイエルン放送響の方がずっと高性能である。その点について、強い確信を持っていた。
「世界のトップ・オーケストラにはそれぞれの特性があるものだ。どっちが上手い、どっちの方が優秀、1位とか2位とか3位とか、そんなこと意味が無いだろう!?」
そう。そのとおり。まさにそこ。今回、私の価値観を覆した事象の一つだ。
何を隠そう、私だってそんなことくらい理屈では分かっている。音楽に、演奏に、順位など無い。比較は無意味である。
その一方で、「いやいや、バイエルン放送響の方が絶対に上だね」なんてほざいている自分がいる。
矛盾というより、理屈ではない自意識、風潮に対する自分の目利きの良さを誇りたいみたいな、セコい、しみったれた感情というか、そういう割り切れないスタンダードを内に持っていた。
本公演でのコンセルトヘボウ管は、そこに見事にドスンと楔を打ち込んでくれたわけである。
引っ叩かれちゃったってわけですな。
第二に、ドヴォルザーク「新世界」という作品の捉え方、個人的偏見の方向転換。
これまた何度となくブログで書いているとおり、私はこの作品が苦手だ。「新世界」がというより、ドヴォルザークそのものが苦手だ。
ガーシュインなんかもそうだが、一見、管弦楽曲、交響曲を装っているが、要は民謡の旋律をオーケストレーション化し、その旋律を繋いでいるだけじゃん、という穿った見方。
今回のコンヘボの演奏、グッときた。久々に、ていうか、今までで生で聴いた「新世界」の中でダントツ、最高の感動体験だった。
なぜグッときたのだろう。なぜ感動できたのだろう。今まで常にドヴォ特有の民謡旋律に対してある種のクサさ、ダサさを見出しては、背中がムズムズしていたのに。
原因を探れば、「指揮者ルイージの解釈、アプローチ」と「コンセルトヘボウ管による作品の美質の音化」であったという結論に、いとも簡単に行き着く。
ルイージの解釈ということで言うと、歌謡的要素を的確にシンフォニックに捉え、演奏のバランスの中に落とし込んでいく整理整頓の巧みさ、視界の良好さが挙げられよう。
そして、コンヘボについては、このオーケストラが持つワールドワイドな普遍性、多様性、均衡性が、ドヴォ特有の民族的表現を浄化し、卓越した演奏能力によって作品の格調を高める貢献を存分に果たしている、ということだと思う。
演奏後の、なんとも言えない清々しい、澄み切った後味。この感覚は、何だか本当に久しぶりだった。いいコンサートだった。