クラシック、オペラの粋を極める!

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2019/7/20 新国立 トゥーランドット

2019年7月20日  新国立劇場(オペラ夏の祭典2019-20)
指揮  大野和士
演出  アレックス・オリエ
合唱  新国立劇場合唱団、藤原歌劇団びわ湖ホール声楽アンサンブル、TOKYO FM少年合唱団
イレーネ・テオリン(トゥーランドット)、テオドール・イリンカイ(カラフ)、中村恵理(リュー)、リッカルド・ザネッラート(ティムール)、持木弘(アルトゥム)   他
 
 
新国立劇場東京文化会館が共同制作し、更に全国各地の劇場と連携して上演する大型のオペラプロジェクト。管弦楽も、わざわざバルセロナから連れて来るほどの気合いの入れ様だ。
演奏を聴いて、確かにその気合いが伝わって来る。仕上がり具合、完成度が非常に高いことに感心した。
 
芸術監督である指揮者、大野和士が果たした役割が大きいに違いないと感じる。プッチーニのエッセンスを一つ一つ丁寧に編み込んだ成果が、はっきりと手に取るように聞こえるのだ。
 
まるで、リハーサルでの大野さんの細かな指示が目に浮かぶかのよう。
「ここの場面はこういうことですから、このように演奏してください。」
「この音はこういう感情を表現しているのですから、このように鳴らしてください。」
リアルかつ具体的、的確な指示が、説得力を持って演奏者に浸透する。
だから、物語の展開に沿った多種多様な音が、わかりやすく散りばめられるのだ。これは聴いていて、実に楽しかった。
 
バルセロナ交響楽団の演奏も、合奏能力の上質性はさておき、非常に意欲的だ。レスポンスに優れ、ラテン気質が作用してノリノリ。プロジェクトの意義を理解し、わざわざ招待してくれたことに意気を感じて、いつもよりボルテージをアップさせているのではないか。
 
更に、合唱は燃焼度が高くてパワフル、ソリスト歌手も渾身の歌唱を聴かせるなど、演奏に関しては国内プロダクションとして久々の充実度を誇ると言っていい。
 
 
オリエの演出、特に衝撃のラストシーンについては、様々な意見が出てくると思う。だがその前提として、彼のコンセプトはきちんと理解しておきたいところだ。
 
私自身、この物語のハッピーエンドについては、常日頃より違和感を覚えていた。重要なことが欠落しているのだ。
 
それは、一つの尊い命が愛のための犠牲によって失われたという頑然たる事実。
 
ハッピーエンドは、そんな犠牲なんかどうでもいいとばかりに忘れ去り、脳天気さに溢れている。
オマエらそれでいいのか? それで幸せなのか? 本当にそれは愛の勝利なのか?
 
オリエが導き出した答えが次のとおりだ。
 
・カラフがリューの犠牲を軽々と踏み越えてしまうのは、愛ではなく権力を追い求めていたからだということ。
・トラウマが要因となって染み付いているトゥーランドット姫の絶対的な信条は、愛なんかでコロッと克服されるはずがなく、追い詰められた末に重大な進退を覚悟せざるをえなかったこと。
トゥーランドットは、カラフとは対照的に自分のせいで一つの命が犠牲になったことにショックを受け、そこで自分がこれまでの数々の求婚男性を死に追いやった非業さに初めて気が付き、その償いを自らに果たす必要があったこと。
 
以上の結論を得たことで、物語に信憑性と説得力を与えることに成功したと、私は思う。
これは、ドラマに誠実に向き合い、奥底に何が潜んでいるかを探求した成果。その努力とアプローチは、きちんと評価すべきだ。
 
一方で、そうした核心の部分に注力しすぎてしまい、もう一つのハイライトである第二幕の謎解きの場面が、ひどく傍観的で、演技的に無策だった。結果、緊迫感に欠けてしまったのは惜しい。
ここらへんが、映画や演劇の畑出身ではないオリエの限界かもしれない。