指揮 リッカルド・ムーティ
これがこの日の感想というか、全体的な印象であった。
そう、マエストロは語っていたのである。
あたかも氏にインタビューを行い、彼の面前でブラームスの解釈に関する話を聞いているかのようであった。
語り口は多様である。
静かに淡々と語る時もある。滑らかに雄弁と語る時もある。軽妙な話もある。核心について熱く述べることもある。
30年以上マエストロの音楽を聴き続けているが、このように感じたのはあまり記憶になく、珍しいことかもしれない。
公演によっても、あるいはプログラムによっても、音楽の捉え方、受け止め方は様々で、感じ方は一つではないが、これまでのムーティのあらゆる演奏に必ず存在していたのは、作品に対する思い入れと熱意であったと思う。その熱意が音楽を躍動させていた。
聴衆はそこに魅せられ、惹きつけられ、熱狂し、陶酔する。
そこに理屈はなく、説明もない。ただ圧倒的な統率力で音楽を牽引する姿を我々に示していた。
今、聴衆に静かに向き合って音楽を語ろうとする指揮者の姿は、やっぱり月並みだが「円熟」ということなのかなあと思う。
「昔と違う」「昔は良かった」などと言うつもりはない。円熟したムーティの今現在の境地を受け入れ、その語りに耳を傾ける。かつて五感で受け止めていた音楽は、説得力を持って思考に訴えてくる。
幸運なことに、聴いている私も、年を重ね、だんだんと思考力が増してきている。
それはつまり、年月を経て充実した時間をついに見つけたということではないだろうか。
年を取るというのは、実は案外素晴らしいことなのかもしれないな。