2019年1月25日 東京フィルハーモニー交響楽団 オペラシティコンサートホール
指揮 アンドレア・バッティストーニ
ザンドナーイ 白雪姫
本当は同じ曲を立て続けに聴くのはあまり好きではない。
同様に、バッティストーニの濃厚かつ艷やかな音楽作りは、絶対にロシア物に合うと思っていたので、こちらもパスするつもり無し。
かくして、来週のシカゴ響も含め3週連続のシェエラザード祭りが始まった。やれやれ。
かねがね主張しているとおり、演奏を比較してそこに優劣を付けることは、私はあまり意味がないと思っている。
しかし、比較することで個性の違いを浮かび上がらせる発見がそこにあるのなら、それはきっとアリだろう。
ということで、ソヒエフとバッティそれぞれのシェエラザードの特徴に注目してみた。これが笑っちゃうくらい、事前の想像どおりだった。
ソヒエフの演奏は、リムスキー・コルサコフの鮮やかなオーケストレーションの彫琢に磨きがかかっていた。比喩で表すのなら、ソヒエフは「画家」だ。パレットにたくさんの色を持っていて、各パートやソロの演奏に着色して描いていく。
で、バッティの演奏は、アラビアンナイトのドラマ性をダイナミックに表現していた。聞こえてくるのはストーリーの起承転結。比喩で表すのなら、彼は「映画監督」だ。
なんとなくイメージどおりって感じ、しない??(笑)
バッティの音楽からは、シンドバッドの航海での海のうねり、王子と王女の囁き、船を襲う荒波の激しさなどが、手に取るように聞こえてくる。目をつぶって、情景を想像したい衝動に駆られる。
端的に言っちゃうと、バッティの音楽は分かりやすいの一言。これに尽きる。
音楽に没入しやすいし、共感しやすい。こういう音楽作りの上手さは、バッティストーニ特有であり、彼の個性であり、天性のものを強く感じる。
心打たれました。