2021年11月11日 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 サントリーホール
指揮 リッカルド・ムーティ
モーツァルト 交響曲第35番「ハフナー」
シューベルト 交響曲第8番「ザ・グレート」
前回記事でウィーン・フィルの演奏に相応しい表現として、私は「風格」と「薫香」という言葉を用いた。
今度は、ムーティがタクトを振るウィーン・フィルとの関係について、相応しい言葉を探してみたい。
簡単に見つかった。
「盤石」、そして「鉄壁」。
もう、これに尽きるんじゃなかろうか。
ムーティとウィーン・フィルの間には、50年という熟成の歳月を経て、阿吽の呼吸が完全に出来上がってしまった。
ムーティ自身が年齢的に円熟しているというのもあるが、オーケストラをいちいちグイグイ引っ張らない。オーケストラはマエストロのやりたいことを分かっており、だからグイグイ引っ張る必要がない。
極論かもしれないが、ムーティがやっていることは、もしかしたらエッセンスの投入だけかもしれない。それで、あの名演が生まれる。
これぞ「盤石」、「鉄壁」たる所以なのだ。
こうした名人芸が生まれる要因は、実はプログラムにもある。
この日演奏されたのは、モーツァルトとシューベルト、アンコールでヨハン・シュトラウス。いずれもオーストリアの作曲家だ。要するに、ウィーン・フィルの十八番。
思い出すのは、ムーティがニューイヤーコンサートに招かれた時、「これらの音楽はあなた達の物。だから、私は学ばせてもらう立場」と語ったというエピソード。
天下無双、皇帝と称されるムーティだが、実はこうした謙虚さ、懐の大きさを併せ持つ。
で、その懐の大きさが、イコールそのまま音楽の雄大さに繋がっているのだ。
一方で、この日の演奏で見られたような盤石さというのは、一歩間違えば予定調和化し、スリリングさを欠いてしまうという危険性が孕む。
もし、私がこの日の演奏だけを鑑賞したとしたら、もしかしたらそのような感想を抱いたかもしれない。
だが、私は聴いているのだ。3日前のアンコールで演奏された、目眩を起こすほどの鮮烈なヴェルディを。
だから心配する必要は無し。この日は、モーツァルトとシューベルトの確立された作品の様式美をオーソドックスに楽しめれば、それでいい。
奇を衒わない王道の演奏。よく考えてみれば、これもまたウィーン・フィルの十八番と言えるのではないだろうか。