クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2018/11/26、27 バイエルン放響

2018年11月26日、27日  バイエルン放送交響楽団   サントリーホール
指揮  ズービン・メータ
エフゲニー・キーシン(ピアノ)
リスト  ピアノ協奏曲第1番
R・シュトラウス   英雄の生涯(26日)
 
 
病後のメータが今回の代替出演で、杖を突き、介助者の支えを得ながら、弱々しい歩みでステージに登場したというニュースは、衝撃をもって、SNS等でまたたく間に知れ渡った。
あのメータが、元気でパワフルでギラギラしたイメージがあるメータが、弱々しい歩みだなんて・・・。
カーテンコールには車椅子で出てくるなんて・・・。
そんな姿は誰も見たくないし、信じたくもない。
 
私も、もし何の事前情報もなくその姿を目撃したら、少なからずのショックを受けたかもしれない。
でも、予め知ったので、冷静に受け止めた。人間はいつか必ず衰える。抗えない宿命を我々人間は全員背負っている。
 
問題は、彼が生み出す音楽までも枯れ朽ちてしまったのか、それとも依然として生気に溢れているのか。その一点だ。
 
鍵となるのは、彼の眼光である。
タクトを振る腕の力が弱くても、眼力があればオーケストラを引っ張ることができる。音楽に生命力を吹き込むことができる。
安いチケットを買ったおかげで、メータの表情をつぶさに観察できる位置の席に座った私は、静かに指揮者と向き合った。もちろん耳も澄ませていたが、メータの指揮者としての魂を絶対に見逃すまいと集中した。
 
結果を報告する。
メータは、指揮者としてなお生きている。
眼力はみなぎっていた。そして、その眼で音楽を支配し、オーケストラを支配し、会場を支配していた。
数多の老巨匠がそうなったように、テンポは緩やかになったかもしれない。必殺一撃のパンチ力は失われたかもしれない。それは、名盤と目され、私もかつて愛聴したニューヨーク・フィルとのハルサイ録音などと比較すれば一聴瞭然だ。
だが、その分いい感じで円熟し、むしろ神々しささえ湛えていた。
 
世界最高のオーケストラの一つであるバイエルン放響が、メータの手足となり、そのタクトに応えようと、一生懸命音楽を奏でていた。純朴なまでの従順さであった。たぶん、オケの皆さんはメータの眼光にビビッときていたんだと思う。その瞬発力は、さすがであった。
 
ヤンソンスがキャンセルになり、代わりにメータになって、少なからずの落胆を覚えた人はいるだろう。
でも、ついについに神の領域に到達したメータと崇高な時間を共有し、聴衆は音楽の神秘に迫ることができた。ただひたすら、これに感謝しようと思う。
 
最後にソリストキーシンについて。
本当はこのピアニストの凄さについても、もっと思い切り語りたい。
だけど、今回はメータに敬意を払い、次の一言だけに留めることとしたい。
キーシンこそ、偉大なるリヒテルの後継者である!」