クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2017/8/12 アイーダ2

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前回の鑑賞記は、なんだかものすごく個人的、かつ情緒過多な内容になってしまった。
もちろんあれはあれで、嘘偽らざる正直な気持ちである。
でも、決してただ感傷だけに浸って観ていたわけではない。「冷静に、客観的に分析評価することなどできない」なんて書いたけどさ、本当は全身全霊集中して聴いていたのだ。だから、もう少しましな感想を書こうと思えば書ける。
本公演はどんな様子だったのか、興味があって当ブログを訪ねてくれた方もきっといらっしゃるだろう。なので、もう少しレポートしてみたいと思う。
 
会場周辺は、着飾った来場者と、野次馬観光客と、一縷の望みを賭けた「チケット譲ってください」カードを掲げている人でごった返していた。
 
チケットを求めている人はどれくらいいただろうか。30人くらいか、いやもっとか。
「いくらなんでも、無理だよなあ・・」なんて思いながら素通りしようとしていたその時だった。ちょうど私の目の前で、幸運な取引が成立しようとしていた。「チケット、譲りしますよ!」と申し出た人物が現れたのだ。
仏様のような譲渡者は30歳くらいの女性。ラッキーにも声を掛けられた人は50歳くらいの女性。その瞬間、50歳くらいの女性は声をあげて飛び上がり、譲ってくれる女性に抱きついた。
 
分かる!そうしたい気持ち!
おめでとう!本当に良かったね。
 
開演前のひと時、実を言うと、私は不安で仕方がなかった。つい一昨日、N・シュテンメが落っこちたばかり。また劇場支配人が登場して、誰かのドタキャン告知するのではないか? 本当に怖かった。
 
やがて場内が暗くなり、オーケストラのチューニングが終わって、指揮者ムーティが待望の登場。キャンセルもなく、無事に演奏が始まることに、どれだけホッとしたことか。
 
楽しみ以外の何物でもなかった今回の公演だが、もしそこに一抹の不安があるとするのなら、それは上記のようなドタキャンと、それからもう一つ、演出だ。
演出家はイラン出身の女性だそうだが、私はまったく知らなかった。
普段なら現代演出は大いに望むところで、古色蒼然とした伝統的演出を求めているわけではないが、今回のアイーダだけは音楽を踏み台にして身勝手な自己主張をするのはやめてほしいと願っていた。ひたすら音楽に集中したかったからだ。
 
舞台はセミモダン。回り舞台機構を使い、二つの箱型の装置を動かし、つなげ、角度を変え、場面を作る。実にシンプルですっきりした舞台である。
 
ポイントは、戦争で対立する二者それぞれの相反する立場や背景にスポットを当てたこと。特に、敗者側への焦点はとても重要だ。
奴隷にされたアイーダが故郷に思いを馳せ、切々と歌うとき、不安げな表情を浮かべる故郷の家族や友人、仲間達の姿が映像で映し出される。
同様に凱旋行進曲の場面でも、勝者側の晴れやかなセレモニーの中、舞台を回転させ、影でじっと佇む捕虜たちをあえて見せる。不安の表情を隠さない彼ら。勝った国王の判断如何によっては、いとも簡単に殺されてしまうかもしれない運命の敗者なのだ。
 
このようなフォーカスは、手法的にはソフトであったが、見ている人の心に訴える問題提起だ。中東出身の演出家だからこそ踏み込めたこだわりだったかもしれない。
一方、人物の動かし方は物語に忠実で、とても自然。歌手たちも歌いやすかっただろう。そういう意味でもこの演出、十分に素晴らしかったと言えるだろう。
 
指揮者のムーティについて。
円熟の極致である。
かつてと違い、もうマエストロはすべてを振らないのだ。歌手に対しても、オケに対しても、任せるところは任せている。そんな時のマエストロのタクトは、拍子抜けするくらいの小振りである。
その一方で、「ここはこうだ!」という場面での統率ぶりは、相変わらず勇壮果敢。
 
私はムーティのファンを長年やっているし、アイーダの作品も熟知しているから、その「ここだ!」の瞬間がはっきりと分かる。だから、普段は視線を舞台上に置いていても、そういう箇所が来たら、さっとピットに目を移す。
すると、立ち上がり、鋭い眼光と力のあるタクトで猛然と音楽をリードするマエストロが目に飛び込んでくる。そのメリハリ、コントラストがひと際鮮やかなのが現在のムーティの真骨頂であり、有り様なのだ。
 
歌手について。
ドリームキャストの歌声のすごさは、筆舌に尽くしがたい。諸手を挙げて万歳を叫びたいくらい素晴らしい。
 
初ロールのネトレプコは、さすがだった。捕虜となっているものの、自分だって本当は王女なのだというプライドが強く滲み出た貫禄の歌唱だった。
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ラダメスのメーリ。今やヴェルディテノールの王冠は誰が何と言おうと君のものだ。メーリがいてくれるのなら、もう三大テノールなんて要らない。私は喜んで彼に前に跪こう。
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アムネリスのセメンチュクも、遜色がない。ネトレプコやメーリが歌った後でも、彼女が歌えばその瞬間から主役の座を奪還してしまうほどの威力だった。
 
観客の反応は熱狂的で、カーテンコールでは総立ちのブラヴォー。至極当然、分かりきっていたことではある。終演後、場内が明るくなると、世紀の公演に立ち会えた興奮で、お客さんはどの顔も紅潮しているのが分かった。
 
そりゃそうだよな。
私だってこの日は終演後のディナー、滅多に行かないちょっと高級なレストランに思わず行ってしまったくらいだから。
メニュー見て、「やばっ、高ぇ!」と思ったけど、すぐに「今日は特別だ。記念日なのだ。自分へのご褒美なのだ。」と言い聞かせた。
 
ちなみに本公演は収録された。クレジットにユニテルが入っているからDVD化されることは間違いないし、NHKも入っているからBSで放映されることも間違いない。
 
感動の余韻と酒の酔いでフラフラしながらホテルに戻り、テレビを付けると、オーストリア放送局ORFで本日の収録映像がさっそく放送されていた。
しばし見入っていたが、やがてスイッチオフ。生の舞台のライブ鑑賞に勝るものなし、である。
ていうか、美味しいもの食べて、酔っぱらって、眠くなっちゃっただけ(笑)。