2016年7月24日 東京フィルハーモニー交響楽団 オーチャードホール
指揮 チョン・ミョンフン
ヴィットリア・イェオ(蝶々夫人)、ヴィンツェンツォ・コスタンツォ(ピンカートン)、甲斐栄次郎(シャープレス)、山下牧子(スズキ)、糸賀修平(ゴロー)、志村文彦(ボンゾ) 他
「下手な演出を伴った舞台上演より、純粋に音楽に特化したコンサート形式上演の方が、よっぽどドラマに迫り来る」ことをまざまざと証明した公演。ズバリ、The・名演!であった。
名演の予感はあった。2002年7月、藤原歌劇団主催による蝶々夫人舞台上演。舞台上もさることながら、ピットの中で信じられないほどの美しい音楽をオーケストラから引き出していたのが、他ならぬチョン・ミョンフンだったからだ。
あの公演は、日本のオペラ上演カンパニーとしての成果として(主要キャストは外国人に占められていたとはいえ)、大げさではなく「歴史的」だったと私は信じている。
今回の公演でも、何よりも素晴らしかったのがチョンによるオーケストラのリードだった。音楽がとにかくヴィヴィッド。切れ味鋭くて鮮やか。
東京フィルは明らかにテンションが普段と違う。気合いが入り、熱がこもっている。全員が音楽にのめり込んでいる。
こういう演奏を目の当たりにすると、つくづく思う。結局やっぱり指揮者なんだ、と。
で、こういう優秀な指揮者が振る演奏を聴かされると、もうこちらは通常モードでいられなくなる。激しく揺さぶられっぱなし。いったい何度ジワーンと涙腺が刺激されたことか。
歌手たちも大健闘だった。一生懸命さがひしひしと伝わってきた。
だけどさ。
こんなこと言って本当に申し訳ないけど、皆さんはやっぱり音楽のパーツなんだ。名演を生んだ要因の一つにすぎないんだ。
一番の主役は作品。プッチーニの音楽。そして次が、その魅力を最大限に引き出した指揮者。
でも、それで何の不満もないでしょう。偉大な音楽の一部になれたというだけで、それだけで十分に幸せなのでは??
ところで、蝶々夫人役のヴィットリアさん。
ヴィットリアって何? 芸名?
欧米で生まれた韓国系二世あるいは三世ならわかるけど、ソウル生まれでヴィットリアはないでしょう?
本名だと、キャリアを形成する上で不利なわけ? そんなことないと思うけどねえ・・・。
少なくとも日本人がこういうことやったら、失笑されるのがオチだけどね。