クラシック、オペラの粋を極める!

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2011/9/19 ボローニャ歌劇場 カルメン

 「海水飲んで喉痛めた」に続いて、今度はバイエルンでやれ中耳炎だとか、歯を抜いたら炎症起こしたとか、ホントにふざけた言い訳で次々とキャンセルしやがって、まったくコノヤロウだな。そんな間抜けでナメた言い訳で「おお、それは大変だ。お大事に。」なんて日本人が納得すると思っているのかアホったら。「放射能が怖くて行きたくありませんので、行きません。」の方が正直で潔くていいと思うぞ。
 
 
 あ、はいはい、ボローニャでしたね。
 
2011年9月19日  ボローニャ歌劇場   東京文化会館
指揮  ミケーレ・マリオッティ
演出  アンドレイ・ジャガルス
ニーノ・スルグラーゼカルメン)、ヴァレンティーナ・コッラデッティ(ミカエラ)、マルセロ・アルヴァレス(ドン・ホセ)、カイル・ケテルセン(エスカミーリョ)   他
 
 
 私にとってのボローニャ歌劇場鑑賞の一発目がこの日のカルメン。「待ちに待った開幕!」と思ったら、なんと、カルメンはこの日でもう終わりであった。カーテンコールでは歌手たちが一連の公演を無事に終えて、達成感と同時にホッと安心したようなほんわか感がありありと見て取れた。おそらく「日本に来るまでは不安でいっぱいだったけど、なんとか終わってよかったね」ってなところだろう。いや、本当にお疲れ様でした。ドン・ホセ、ミカエラエスカミーリョといった主要キャストが変更となってかなりの波乱含みだったが、こうして上演が行われたことは実に喜ばしい。私は立ち上がって最後まで惜しみなく拍手を送った。
 
 だが、私が精一杯拍手したのは、あくまでも困難を押して日本に来てくれたことへの多大なる感謝の気持ちから。上演の成果としては、諸手を挙げて「ばんざ~い!!」というほどではなかった。かといって、低水準で不満タラタラというわけでもない。いわゆる「まあまあ」だったのかな、と思う。
 
 他の二演目(エルナーニ清教徒)の舞台が伝統的でオーソドックスと聞いていたので、演出面においてこのカルメンにはかなり期待していた。
 舞台の場所をキューバにしたというのはなかなかナイスなアイデアである。なぜなら、ラテンの情熱に満ち溢れ、なおかつ政治的にアメリカと対立しつつも多くの国民が心の中では豊かで自由である彼の国に憧れの感情を抱いている(と思われる)キューバという国が、カルメンの舞台にいかにもマッチすると思ったからだ。
 
 ところがフタを開けてみると、ただ場所をキューバに移しただけの感が否めない。稼ぎと自由の両方を手に入れたいと願うキューバ人たちの飽くなき想い、例え貧しくても民族のプライドは決して失わない気高さなど、クローズアップできるところ、斬り込み口はいくらでもありそうなもの。
 もっとも、そのためにはキューバが抱える諸問題、歴史や経済、社会情勢、さらには政治面にまで踏み込んでいかなければならない。それはそれで困難な作業に違いない。だが、そういう複雑な側面を併せ持つキューバという国を舞台にする以上は、演出家は覚悟を持って取り組まなければならない。その意味で、明らかに物足りなかった。
 
 歌手たちも全体的にまあまあ。一番のビッグネームで、よくぞ再びピンチを救ってくれましたマルセロは第一幕こそ調子が出なかったが、尻上がりに良くなって最後は貫禄を見せた。
 
 最近は、単なる妖艶な悪女カルメンを演じる歌手はほとんど見なくなったが(昨年の新国立劇場では、そういう気色悪いカルメンを久しぶりに見たな)、スルグラーゼも自分なりのカルメン像を築き上げようと奮闘していた。ただし、やや中途半端だったのは残念。もちろん演出上の制約のせいもあるだろう。歌は「まあまあ」でした。いくつかのアリアでは、とても魅力的に聞こえた。
 それから、ダメですってばK師匠、ミカエラさんのお姿を「あれはないよな」とか言っては(笑)。よく声は出ていたではないですか!?ねえ。
 
 指揮のマリオッティ、上からピットの中の指揮姿を時々覗きこんで見たけど、手の動きなどなかなか流麗で美しい。特に左手の動きで絶妙に音楽の表情を付けており、いい感じ。でも、カルメンの音楽全体としては、力強さ、エネルギー、熱っぽさに欠けた。もちろん、たった一回聴いただけではまだ分からない。あの若さでボローニャを任されている才能を私はもう少し信じてみる。清教徒、期待しています。