クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

ブロムシュテット

 プロのオーケストラマンにとっていい指揮者とは、練習を上手にまとめて短時間で終わらすことができる人のことだとさ。私もその昔オケやっていたから、わかるなー。アマとプロではそりゃもちろん違うだろうけど。奏者としてはとにかく弾きたい(吹きたい)わけ。だけど、ちょっと音を鳴らしてはすかさず止めて、あーだこーだと説明が長い指揮者は好かれない。
 
 N響のヴァイオリン奏者だった(過去形)鶴我裕子さんが、N響の舞台裏、マエストロたちの素顔、奏者の本音などを綴ったエッセイ「バイオリニストは目が赤い」を出版(新潮文庫)しているのだが、これが本当に面白い。
 で、その中にブロムシュテットさんのエピソードが書かれているのだが、実に笑える。ちょっとだけ抜き出して紹介します。
 
「彼はよくしゃべる。まず朝「グッド・モーニング」とわめくと、次に「音を出す前にまず」と言い、次々にメモを見ながらの注文が続く。何分くらいだと思います?前回は40分でした。サンフランシスコ響では、楽員が「マエストロ、明日は楽器、要りますか?」と聞いたそうです。」
 
「彼が定刻前に練習をやめることなど、ありません。たいていがオーバーし、インスペクターが「あのう・・・」と言って初めて「これはこれは」と言ってやめます。」
 
「ユーモアはない。一般的に指揮者は楽団員が笑うのを嫌うが、ブロムシュテットは、はっきりと「ドント・ラーフ!」と言う。」
 
 
 N響錚々たる指揮者陣の一角をなし、ドレスデン・シュターツカペレ、サンフランシスコ響、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、チェコフィルなどとの来日公演も重ねてきたこともあって、私もこれまで相当数ブロムシュテットを聴いてきた。さすが名指揮者の誉れ高く、コンサートは常に上等に仕上がる。
 
 だが、どれも水準は一定に高いのだが、「決して忘れ得ぬ決定的な名演!」となると、「はて??」と首を傾げてしまう。個人的な感想として、ブロムシュテットの音楽は、なんか枠にはまっている気がする。堅実であるが、はじけないというか。先日のN響のチャイコ5番がまさにそういう感じだった。決定的名演は、そういう枠を飛び越えなければ生まれない。
 別に上記の鶴我さんのとっておき話を読んだから意識化されてそう感じてしまうのではない。いやむしろ、かねてからそういう印象を持ち続けていたから、上記のエピソードを読んで「やっぱりねえー」と頷いてしまう。
 
 ブロムシュテットが往年の伝説的指揮者に肩を並べて神々しく後光が差す時、それは今のように元気でスタスタと歩いてヒョイッと指揮台に飛び乗ることができなくなり、オケに対して40分も口頭指示を与えるような粘り強さやしつこさが消え、ただ指揮台に乗って後はオーラだけでタクトを振るような時期に差し掛かった時ではないかと思う。
 
 でも、そうなったら逆にブロムシュテットらしくなくなってしまうかな?(笑)