クラシック、オペラの粋を極める!

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指環の思い出6

 バイエルン州立歌劇場のリング鑑賞の旅パート3。2002年11月、ジークフリート
 
 ミュンヘン・リングは、演出家の交替によって完全に糸が切れた凧になってしまった。
 
 演出家D・オールデンのコンセプトはこうだ。(と思った)
ジークフリートは大人になりきれない少年。軽薄短小でポップなアメリカ文化に染まっている。(まさに新国立劇場ジークフリートと同様のアプローチ!)成長の過程で右往左往し、突拍子もない発想をし、誰も理解できない夢想をする。大蛇もブリュンヒルデも、そんなジークフリートの隔絶された世界の中にある。」
 
 まあ、コンセプト自体はいいかもしれない。こうやって書いてみると、アリだなと思う。
 
 悪かったのはその体現手法だ。
 舞台にこれでもかとばかり、陳腐で、安物で、悪趣味なゴミを並べた。どれもこれも観客にとって意味不明で嫌悪感が漂う物ばかり。
 目を背けたくなったのは、ジークフリートのノートゥンク鋳造のシーン。熱した刀を冷ますためにトイレの便器に放り込み、そこに小便をかけたのだ!
 
 観客は怒った。拒絶反応を起こした。上演中のブーイングは一度や二度ではなかった。
もちろん、終演後は凄まじいほどのブーイングの嵐であった。
 私は、その前年ザルツブルク音楽祭で、演出家のやりすぎで騒然となり事件となったノイエンフェルス演出のこうもりを思い出していた。
 ノイエンフェルスが全てを壊してしまった。彼こそが犯人で、「オペラの演出では何をやってもいい」という前例を作ってしまった。オールデンはその潮流に乗っただけだ。   

 私は頭を抱えた。悩みに悩んだが、結局翌2003年3月にプレミエ上演された「神々の黄昏」にも足を運んだ。

 酷いシーンは目をつぶる。目さえつぶれば、そこにワーグナーの音楽があるのだから。
 幸い黄昏には、例え演出上の問題を抱えていたとしても、それを補って余りある最高の物があった。
 当時、「右に出る者がいない」と言われていたマッティ・サルミネンのハーゲンである。
 このサルミネンのハーゲンが聴けたことが収穫であった。
 
 
 こうして、煮え湯を飲まされながらも、一年をかけた私のミュンヘンリング巡礼の旅はなんとか終えることができた。
 ちなみに、このミュンヘンリング、その後、数回程度の再演が行われただけでお蔵入りとなったそうだ。
 当然だろう。
 今も再演が繰り返されているのは、結局ラインゴールドだけというのは何とも皮肉としか言いようがない。
 
 ミュンヘンでは、当時のP・ジョナス総裁と音楽監督メータの体制が既に変わっており、今また新たなリングの製作について準備中との噂を聞く。
 是非今度こそ、世界にドスンと機軸を打ち出すようなリングをお願いしたいものである。