クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

マッティ・サルミネン

 本当はサヴォンリンナ音楽祭のボリス・ゴドゥノフ鑑賞記を書いたすぐ後にでも書こうと思っていたのだが、かなり遅れてしまった。だが、どうしても記事として残しておきたかったので、こうしてアップ出来たのは良かった。
 
 バスという声のカテゴリーは、オペラの配役上、ヒーローのような主役にはなれないし、それどころか神父、王様、老人、お父さんなどの落ち着いた役が多くて、どうしても脇役に追いやられてしまう。仮に主役級であったとしても、まさに今回鑑賞したボリス・ゴドゥノフなどのようにどこか影があったり悩みを抱えたり、クセがあったりして、華やかさに欠ける。これはもう仕方がないことで、とにかくいぶし銀で勝負するしかない。
 
 だが、マッティ・サルミネンは、そんな中でも一際存在感を発揮し、主役を食ってしまうような歌と演技を披露することが出来る数少ない歌手であった。
 彼が持っている数々のレパートリーの中で一番真価が発揮されていたのはやはりワーグナーだと思うが、そんな中でも特にハーゲンが最高だ。いろいろな意見があるかもしれないが、私自身はサルミネンが史上最高のハーゲンだと思う。
 
 ニーベルングの指環における主役は、そりゃ言うまでもなくジークフリートでありブリュンヒルデでありヴォータンということになろう。
 だが、アルベリッヒもヴォータンも、本人はそのようなつもりはなかったジークフリートにしても、誰も成し得なかった世界制覇を、裏切りや破壊によって直接的に手を伸ばそうとしたのがハーゲンであり、彼の悪知恵と行動こそがエルダが警告したカタストロフィの大元であった。そういう意味では、ハーゲンこそが真の悪役であり陰の主役と言えるのではないだろうか。
 そして、この陰の主役を務めるためには、強烈なドス黒さと憎しみに満ちた暗い炎が人物像から湧き出てこないとダメで、このドロドロさをパーフェクトに成し得て演じていたのがマッティ・サルミネンだったと思う。
 
 幸いこれを証する映像ライブが二つ残っている。1989年バイエルン州立歌劇場版(サヴァリッシュ指揮レーンホフ演出)と1990年メトロポリタンオペラ版(レヴァイン指揮シェンク演出)である。
 当時、映像で指環全曲を収録したこと自体が画期的で、両劇場とも威信を賭けて当時最高のキャストを揃えていたが、その両方のハーゲン役にサルミネンが抜擢されているのは偶然ではない。つまり、そういうことなのだ。
 特にミュンヘンの方がすごい。すごいっていうか、怖い。悪の力で世界征服を狙う奴というのは、ああいう顔をしているに違いないと誰もが納得してしまう。
 
 サルミネンのハーゲンを何としても直接の生公演で観たかった。歌劇場でも指揮者でも演出家でもなく、ジークフリートでもブリュンヒルデでもなく、「サルミネンのハーゲン」を観たかった。
 じっと窺っていたら、そのチャンスが訪れた。2003年3月、バイエルン州立歌劇場「神々の黄昏」(メータ指揮)だった。
 この時のリングは4連作で手掛けるはずだった演出家H・ヴェルニケが急逝してしまい、途中で演出家が代わってしまったこともあって、シリーズ上演としては大きな成果を上げることができなかったと聞く。だが、私ははるばるミュンヘンに駆け付け、念願の「サルミネンのハーゲン」を観ることが出来て大満足だった。
 
 2006年4月にウィーンで観たトリスタンとイゾルデ(P・シュナイダー指揮)のマルケ王以来、約10年ぶりに観たサヴォンリンナでのサルミネンの印象は、本記事にも書いたとおり「やはりというか枯れてきたな」であったが、だからといって私のサルミネンの評価が落ちることは決してない。私にとっては、今でもなおサルミネンはハーゲン、世界最高史上最高のハーゲンなのだ。
 
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