クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2023/4/1 エレクトラ

2023年4月1日   フランクフルト歌劇場
R・シュトラウス  エレクトラ
指揮  セバスティアン・ヴァイグレ
演出  クラウス・グート
アイル・アスツォニー(エレクトラ)、スーザン・ブロック(クリテムネストラ)、ジェニファー・ホロウェイ(クリソテミス)、シム・キワン(オレスト)、ペーター・マーシュ(エギスト)   他


今回の旅行、当初は4月1日、つまりこの日に日本出発予定だった。それを一日前倒しして3月31日出発に変更したのは、ズバリ、本公演を見つけたからだ。

ヴァイグレのエレクトラ
お気付きの方もいらっしゃるかもしれない。ヴァイグレは読響でコンサート形式として日本でこの作品を演奏するはずだったのだ。予定された公演日は昨年2月。しかし、コロナで中止。
今思えば、ヴァイグレは、その先に予定していたフランクフルト歌劇場のこの新演出プレミエを見据えていたのかもしれない。

私自身、読響のエレクトラは、シーズンスケジュールが発表されてからとても楽しみにしていた。中止になり、がっかりしたが、こうして今ヴァイグレのドイツ本拠地で、コンサート形式上演ではなくオペラ上演として観られることになった。災い転じての福である。

まず、そのヴァイグレの指揮について。
ご存知のとおり、エレクトラという作品自体が激烈な音楽なため、自ずとタクトをブンブン振り回す指揮者も多いが、ヴァイグレは比較的コンパクトに統制を取っている。もちろん力を込める箇所も多々あるが、決して扇情させない。
じゃあ出てくる音楽が淡白かと言えば、決してそんなことはない。
要するに、ドラマチックな表現については、作品の素材や潜在力を信用し、それに任せているということだろう。

これは歌手にも同じことが言えて、アスツォニーにしてもブロックにしてもホロウェイにしても、決して歌が暴れず、音楽的に声をきちんと旋律に乗せることに集中している。それでも十分しっかり鳴る。
ヴァイグレの的確な指示がきちんと浸透しているのだと思う。

タイトルロールのアスツォニーという歌手を初めて聴いたが、歌唱も含め、非常に存在感があり、好印象だ。演技にも凄みがある。カーテンコールでも盛んにブラヴォーが飛んだ。

盛んにブラヴォー・・・。
そう、情報として知ってはいたが、ドイツはもう普通にカーテンコール時に盛大なブラヴォー発声が飛び交っている。
どこかの国みたいに、「声援は自粛」「マスクでの発声を推奨」みたいなものは、まったくかけらもないわけである。

その結果、どうなるか。
会場は熱気に包まれ、盛り上がる。出演者もお客さんの反応をストレートに受け取り、非常に喜ぶ。出演者と聴衆はこうして美しく結ばれる。

これなのだ。これが劇場のあるべき姿なのだ。
これが失われている日本は憂慮すべき事態であることに、主催者も劇場も、そして我々観客も気付くべきなのだ。


グートの演出については、あまり多くを語れない。現代演出の先鋒を行く彼の解釈は、正直難しくてよく分からない。

物語は読替えにより、劇場あるいは講堂のロビーにて展開される。
本来登場しないアガメムノンだったり、幼少期の3兄弟(エレクトラ、クリソテミス、オレスト)を登場させたりしているのを見ると、なんとなくエレクトラの追憶のような気もするが、そんな単純なものでなく、もっと複雑だ。

まあいい。別にすべてを理解できなくてもいいことを、私は知っている。
現代演出家は問題提起をし、観客に問い掛ける。観客は何かを感じさえすればいい。それが奴らの狙いなのだから。


音楽総監督ヴァイグレの任期中最後の新演出上演。
ヴァイグレは今シーズンをもってフランクフルト歌劇場のGMDを退任し、来シーズンからはベルリン州立歌劇場の若きカペルマイスター、トーマス・グッガイスに引き継がれる。

私はここフランクフルト歌劇場で、セバスティアン・ヴァイグレという指揮者を知った。フランクフルトで彼が指揮する公演を鑑賞したのは、2003年以来、数えて今回で7回目だ。「ヴァイグレって誰?」からのスタートだったが、最初の一公演を聴いて「この指揮者、いいんじゃないか!?」と確信したのだった。
今、読響の指揮者として頻繁に来日している彼の活躍を見ると、感慨深い。

お疲れさまでした、ヴァイグレさん。