クラシック、オペラの粋を極める!

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2019/12/8 ムツェンスク郡のマクベス夫人

2019年12月8日   フランクフルト歌劇場
ショスタコーヴィチ  ムツェンスク郡のマクベス夫人
指揮  セバスティアン・ヴァイグレ
演出  アンセルム・ウェーバー
アニヤ・カンペ(カテリーナ)、ディミートリ・ベロセルスキー(ボリス/老囚)、ディミートリ・ゴロフニン(セルゲイ)、エフゲニー・アキーモフ(ジノーヴィ)、ペーター・マーシュ(ぼろを着た農民)   他


この日、前日からそのままベルリンに留まっていれば、ベルリン・ドイツ・オペラでグールドとシュテンメといった大物が出演する「トリスタンとイゾルデ」を鑑賞することが出来た。
でも私はフランクフルトへ移動。迷いは無し。
純粋に「ムツェンスク郡のマクベス夫人」という作品が好きだということ。「トリスタンとイゾルデ」を日本で鑑賞する機会はあるが、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」は、そうした機会がほぼ無いこと。
それから、グールドとシュテンメの「トリ・イゾ」は過去に聴いたことがあった、というのもあった。

実は、私と同様に、この日にベルリンから移動してきた人がいた。
主役のカテリーナを歌ったカンペさんだ。
彼女は前日まで、ベルリン・フィル定期公演(ティーレマン指揮)に3日連続で出演し、オケ伴奏による歌曲を歌った。つまり、ステージはこれで4日連続ということになる。

歌手は身体が楽器なので、普通なら連日歌うようなスケジュールは組まない。ましてや移動が伴っている。
そこらへんを私は心配していて、本当にフランクフルト・オペラに出演するのか(ドタキャンするんじゃないか)、気がかりだった。
その心配は杞憂となり、無事に出演となって、ホッとした。
カンペ、連投の疲れを微塵にも見せず、むしろ絶好調だった。きっと喉が強靭なんだろうね。大したもんである。

彼女は、既に前年のバイエルン州立歌劇場公演(ペトレンコ指揮)でこの役を体得済みだし、今回もプレミエではなく再演である。経験がカバーし余裕をもたらした、とも言えそうだ。

もう一人、カンペと同様に強靭な歌声で、観客を沸かせた歌手がいた。
ボリスと老囚の役を歌ったベロセルスキーである。
才能をリッカルド・ムーティに見いだされ、彼が振るヴェルディの諸役をいくつも歌ってきたので、イタリア物がすっかり板に付いていたが、元はと言えばロシア人なのであった。このボリス役は、彼のもう一つのレパートリーの柱になっていくことだろう。

出演者の中でちょっと驚いたのが、ジノーヴィ役のアキーモフ。彼、ついこの間のマリインスキー歌劇場来日公演「マゼッパ」に出演していたではないか。あれから一週間も経っていない。またここで会えるとは・・。お疲れ様です。

午前中のムゼウム管に続き、ダブル公演でタクトを振ったヴァイグレ。
その鑑賞記で「タクトをあまり細かく振り分けず、泰然としてドンと大きく構えた演奏」と書いたが、ショスタコでは一転して棒をブンブン振り回し、オーケストラを煽っていたのが、面白い。
そうか、作品によって振り方を変えるのか。
興味深い発見である。(フツウのことなのかな?)
ただし、ブンブン振っていたわりには、出てくる音楽は意外と優等生っぽい。そこはちょっと物足りない。
もって激情的に、狂騒的に、つんざくくらい鳴らしてほしい。多少は品が落ちても構わないから。
そういう作品だぜ、これ。

演出について。
簡素で円筒を切り取ったような形の舞台装置。
この円筒の中というのは、シャットダウンされた隔絶の空間と見ることが出来、孤独な心情、あるいは閉鎖的な人間関係などを表している。
更に、プロジェクションマッピングの映像を投入。主人公の脳内を表出化するのに効果を発揮していた。(カテリーナがVRゴーグルを被って、欲望や現実逃避の様を見せるといった小技も使っていた。)
私自身は、舞台芸術における映像の使用というのは、あまり信用していなくて、頼りすぎるのは危険だと思っている。
今回の演出では、出演者に対し十分に演技を振り付け、映像はあくまでも補助的だったので、わたし的には好感だった。