クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

ブルックナー

バレンボイムシュターツカペレ・ベルリンによるブルックナー交響曲全曲演奏チクルスは、あまり騒がれていない気がするが、すごいイベントだと思う。外来オーケストラによる一挙連続公演としては、本物の一大プロジェクト。予算の都合上さすがに全部は無理だが、どちらかといえば演奏頻度の低い作品の公演を中心にチケットを買っている。
既に、一昨日にN響の5番を聴いており、私のブルックナーチクルスは実質スタートしている。この機会に改めてブルックナーと真剣に向き合ってみたい。
 
以前にもブログ記事に書いたような気がするが、私の場合、クラシック音楽に出会ってからブルックナーに足を踏み入れるまでに、結構時間がかかった。なんとなく難解そうなイメージだったというのがその理由。
高校のブラスバンド仲間で別の大学に進み、そこのオーケストラに入部した友人から、「今度ブルックナーの5番を演奏することになり、練習しているんだけど、この曲はすごいよ!」と言われたのがきっかけ。
なので、私が生まれて初めて手に取って購入したブルックナーの録音は、人気のある4番ロマンティックでも、後期の7、8、9でもなく、5番だった。確かクナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルだったと記憶する。
 
聴いてみると、なるほど、確かに巨大で迫力があって面白い。
ブルックナー、結構いいかも。
生のコンサートで聴いてみたら、更にいいかも。
それならどこかでやっていないものか?
お!?見つけたぞ。N響でやるじゃんか。
チケット購入。
こうして初めてブルックナー生演奏を体験したのが、1984年3月、マタチッチがN響を振った第8番。
まさかこれがN響史に残るような伝説的名演奏になるとは、当時は思いもよらなかった。
 
それ以後、いくつもの歴史的公演に立ち会ってきた。ブルックナーの音楽は名演のドラマを生む要素がある。
 
1985年10月、ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンの第4番ロマンティンク。
SKDを初めて生で聴いたのがこれ。ものすごく感動したが、冒頭の第一主題ホルンの旋律、世界的な名手ペーター・ダムがいきなりひっくり返って音を外したことに驚愕。コンサート終了後、友人たちと顔を見合わせ、第一声が「おいおい、ダムが外したよ!信じられなーい!」
 
1986年9月、ヨッフム指揮ロイヤルコンセルトヘボウの第7番。
コンヘボを初めて生で聴いたのがこれ。ヨーロッパ伝統の美しい音色に腰を抜かした。
「こっこ・・これがあのコンセルトヘボウの音なのか!」
ブルックナーの音楽が教会の鐘の響きのように感じられたっけ。
 
同じく1986年10月、チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルの第5番。
遅い!遅い!何だこのテンポの遅さは!
伝説のチェリビダッケは、所詮はただ耳を澄まして音を聴いているだけのヘッポコ指揮者じゃないか!?
多くの連中に「オマエは音楽の何たるかがまったく分かってない奴だな」と呆れられた。
 
1989年11月、朝比奈隆指揮東京都交響楽団の第8番。
驚いた。朝比奈隆は祭司だった。そこに群がる沢山の信者たち。演奏もすごかったが、信者たちが熱狂的に指揮者を奉るその様は、私にはただただ異様な光景だった。
 
1998年12月、ザンデルリンク指揮シュターツカペレ・ベルリンの第4番。ベルリンで聴いた。
ブルックナー特有の弦のトレモロはしばしばドイツの森に発生する朝霧に例えられるが、この時のトレモロはヨーロッパのどんよりした雲から降ってくる冷たい雨のように陰鬱だった。暗くて重たいロマンティック。ベルリンの壁は既に崩壊していたのに、強烈に「東」を感じて怖かったブルックナー
 
2000年11月、ヴァント指揮北ドイツ放送響の第9番。
この体験は、私の一生の宝物。奇跡の演奏。神の演奏。
全神経を集中させて音楽に聞き耳を立てるすべての聴衆。楽章の合間、肩の力を抜いた際に漏れた客席の「ふうっ」という一斉の息の音がホールにこだました。
 
 
ところで話を今回のバレンボイムに戻すが、音楽雑誌の記事によると、バレンボイムは2009年のスカラ座来日公演で「もう日本行きは終わりにしよう」と思ったらしい。それでも今回来日の運びとなったのは「ブルックナー全曲チクルスをやらせてくれるのなら、行ってもよい」という条件提示だったとのこと。
 
ということは・・・つまり日本に来るのはこれで終わりなんですか?バレンボイムさん。
本当に終わりなんですか?バレンボイムさん。