クラシック、オペラの粋を極める!

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2020/11/21 新国立 アルマゲドンの夢

2020年11月21日   新国立劇場
藤倉大   アルマゲドンの夢(創作委嘱作品、世界初演
指揮  大野和士
演出  リディア・シュタイアー
管弦楽  東京フィルハーモニー交響楽団
ピーター・タンジッツ(クーパー)、セス・カリコ(フォートナム、ジョンソン)、ジェシカ・アゾーディ(ベラ)、加納悦子(インスペクター)、望月哲也(歌手、冷笑者)   他


なるほど、これは確かに「新国立劇場が世界に向けて力強く発信した一大プロダクション」と言っても良さそうだ。それは率直に認めよう。

前回のブログ記事で、私は「新国立で、創作オペラの制作なんか必要ない!」と言い放った。
しかし、こうした尖鋭的な作品を世に打ち出していくことは、もしかしたら無意味なことではないのかもしれない。
内外に対して劇場の姿勢や方向性を堂々と誇示する、それが新国立の存在価値を高めることに寄与する、というのならば、それは案外重要なことなのかもしれない。
そのように思い直した。

もっとも、前提となるのはあくまでも「世界に通用する作品の創作」。そのことは言わずもがな、肝に銘じなければならないことではある。
(日本人のための日本語オペラじゃアカンということ)

その意味で、①イギリスを拠点にして次々と意欲作を発表し続けている藤倉大という作曲家、②普遍的価値を持つ題材、③英語上演、④L・シュタイアーという気鋭の演出家、⑤大野和士という新作上演に自信がある有能指揮者、という5つの要素が揃ったというのは、絶妙にして完璧ではなかったかと思う。


原作はH・G・ウェルズの短編小説。
作品が完成した1901年当時、既に第一次世界大戦に向かうただならぬ時代の空気が漂っていたのかどうかは分からないが、作者がこの時既に、その後の全体主義の台頭、ナチの出現、そして第二次世界大戦という破滅までを予見していた、というのが驚きだ。

更に、物語に内在するテーマは、実は戦争だけに留まらない。
コロナパンデミックによる世界の動揺、アメリカ大統領選挙における民族や思想の分断化など、世の中がいかに不安定な構造下にあるか、扇動のパワーがいかに人々の不安を募らせ、混乱させるか、といった現代社会の闇が、まさにこの台本の中に含有されていることに、戦慄を覚える。
演出家シュタイアーが「タイムリーな作品」と言ったのは、要するにそういうことであり、我々は上演の鑑賞を通して、世の中を直視し、「今」について考えなければならない。本上演は、そのことを我々に突き付けてきたわけだ。

「劇場は、上演を通じてメッセージを受け取り、どう感じたのか、何を考えたのかについて思慮する機会の場。」

つまり、そういうこと。
ならば、今回、音楽や演奏に関する好みを棚上げしてでも観る価値は十分にあった、観て良かったと、清々しく言えるだろう。


藤倉さんの音楽は、基本的には現代音楽の範疇に入ると思うが、旋律に対するこだわりが感じられるし、恐怖を煽る不協和音を炸裂させつつ、時にホッとするような温かいハーモニーを創り出しているし、心にスッと染み入ってくる優しさがあった。
それはおそらく、「物語や人物の描写を忠実に行うアプローチ」が作曲のベースになっているからだろう。結果として音楽は印象的になり、あたかも映画を観ているかのように分かりやすかった。


このように、難しい現代音楽であっても、オペラ作品ではどういうわけか違和感なく受け入れられる、ということがある。
例えば、B・A・ツィンマーマンは私にとって非常に厄介な作曲家であるが、「兵士たち(軍人たち)」は大好きな作品だ。

ドラマであり、人の心情の変化を映し出すことを可能にする「オペラ」は、もしかしたら「現代音楽」あるいは「新作」につきまとう難しさを緩和させる装置の役割を果たしているのかもしれない。