クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2022/8/2 都響(フェスタサマーミューザ)

2022年8月2日  東京都交響楽団(フェスタサマーミューザ)  ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮  アラン・ギルバート
プロコフィエフ  交響曲第1番「古典」
ビゼー  組曲アルルの女より
ラフマニノフ  交響的舞曲


フェスタサマーミューザKAWASAKI。私は短く「サマーミューザ」と呼んでいるが、夏のクラシックコンサートの祭典として定着し、すっかり風物詩のようになっているのは素敵なことだ。
この時期というのはいわゆる夏休みで、各オーケストラも定期演奏会は催されず、マニアックなコンサートゴーアーにとっては通常ヒマな季節。そんな中で在京を中心としたプロオケが集い、音楽祭として連日公演が開催されるのは、行事としてなかなか粋。この機会に普段は行かないクラシック専用ホールに足を運び、各オーケストラの聴き比べをしてみるのも、楽しいひと時だろう。もし小学生高学年や中学生くらいだったら、宿題となっている自由研究のテーマにしてもいいんじゃないかな。

このように在京オーケストラが連日出演する音楽祭といえば、もう一つ、「都民芸術フェスティバル」が老舗だが、こちらの方はどちらかと言えば初心者向け。チケット価格は安く設定され、プログラムもいわゆる名曲ばかり。「クラシック音楽に触れてみてはいかがでしょうか?」的な都の文化振興施策の一環なのだろう。指揮者も若手に委ねられるパターンが多い。

これに対しサマーミューザは、まあこちらも万人向けの名曲コンサートっぽい雰囲気はあるものの、プログラムは趣向を凝らした感が見受けられるし、そのオーケストラを実際に率いている指揮者が振ることも多い。「気軽な感じで行ってみたら、本格的な演奏に出会えちゃいました」という結果が結構期待できるのだ。これもまたサマーミューザの魅力と言っていいだろう。
実際、7月29日の読響(井上道義指揮)、7月30日のN響下野竜也指揮)などの公演も、SNSなどで綴られた感想を覗くと、とても好評だ。


さて、これに続けとばかり、都響の出番である。負けちゃいられない、こちらも満を持して首席客演指揮者の登場だ。

まさに上に書いたとおり、本格的な演奏であった。
とにかく真面目、真摯。「そんなにマジにやっちゃう? いいじゃん、フェスタなんだし」みたいな気楽なツッコミは否定され、全力演奏の真剣勝負にかなり圧倒されてしまった。

ギルバートの良い所は、細かく繊細な表現と、ゴージャスで豊かな表現の両方が出来ることだろう。
それはきっと「日本人とアメリカ人の血が半分ずつ入っているから」といった短絡的なものではなく、作品に応じて描き分けが出来る指揮者としての才能、懐の大きさのゆえだと思う。


サマーミューザ、私はあと1公演、この1公演だけのために来日する(?)D・エッティンガーが指揮する東京フィルに駆けつける予定。

ブロムシュテット 2

95歳の奇跡の指揮者、ブロムシュテット。11年前、私はこのブログで彼に関する記事を書いている。

https://sanji0513.hatenablog.com/entry/29474448

いやー、改めて読み返してみると、生意気にエラそうなこと書いて、我ながらホント恥ずかしい。

『どれも水準は一定に高いのだが、決して忘れ得ぬ決定的な名演となると、「はて??」と首を傾げてしまう。個人的な感想として、ブロムシュテットの音楽は、なんか枠にはまっている気がする。堅実であるが、はじけないというか。』

40歳くらいの中堅指揮者についてだったらまだしも、既に84歳の巨匠に対してこれでっせ。
あーヤだ、こういうマニア気取りのシロウト・・・。

そして、記事の最後に結んでいるのが、次のくだり。

ブロムシュテットが往年の伝説的指揮者に肩を並べて神々しく後光が差す時、それは今のように元気でスタスタと歩いてヒョイッと指揮台に飛び乗ることができなくなり、オケに対して40分も口頭指示を与えるような粘り強さやしつこさが消え、ただ指揮台に乗って後はオーラだけでタクトを振るような時期に差し掛かった時ではないかと思う。』

この当時の自分の意見が正当かどうかはさておき、その時期は到来していると言っていいだろう。今、ブロムシュテットの指揮姿には神々しく後光が差している。
(相変わらずオケに対して長々と口頭指示を与えるしつこさが残っているのかどうかは知らないが・・。)


そのブロムシュテットの現在について、先日、NHK-BS「プレミアムシアター」において特集番組が放映された。
3本立てとなっていて、最初が2021年ザルツブルク音楽祭でのウィーン・フィル公演、次にドイツで制作された『音楽が奏でられるとき、魂は揺さぶられる』というタイトルのドキュメンタリー、最後が2020年ルツェルン音楽祭でのルツェルン祝祭管公演という構成だ。

特に興味深かったのは、人間としてのマエストロの姿に迫ったドキュメンタリーである。
ウィーン・フィルやゲヴァントハウス管、シュターツカペレ・ドレスデンといった名門オケと組んで音楽を作り上げていくリハ風景はどれも見ものだが、それよりも、彼が若かりし頃から経歴を積んでいく過程でのエピソードを語る話が面白い。

例えば、シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者就任の際のエピソード。
ブロムシュテットがこのオーケストラから招待を受けた時、当時の国家体制を考え躊躇をしたのだとか。
すると、楽団側は、カラヤンがこのオーケストラ奏者たちに対して語ったメッセージの録音テープを黙って彼にプレゼントした。録音に収められていたカラヤンのメッセージはこうだった。
「戦禍によりこの街は廃墟となっているが、皆さんは生きた記念碑です。ずっとこのままでいてください。私は必ず戻ってきます。もしベルリンの仕事がなかったらここを受けたことでしょう。」
このメッセージを聴き、ブロムシュテットは招聘を即断受諾。やがて首席指揮者に就任する。

へぇーー。いい話だね。

フルトヴェングラートスカニーニについて語るエピソードも面白い。
フルトヴェングラーのリハーサルは非常に興味深く、彼が『ううぅ・・・もう一度!』と言っただけで団員は理解。マジシャンみたいだった。」
トスカニーニフルトヴェングラーのことをよく思っていなかった。フルトヴェングラーも同様で、彼はトスカニーニのリハーサルに参加したことがあったが、数分後には出て行った。『ひどい指揮だ』と言い残して。」

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ドキュメンタリーではN響との結びつきについても紹介していて、こう語っている。
「彼ら(N響)は新しいものを吸収しようとする意欲に満ちている。150%の集中力で椅子に座っている。ドイツ、ヨーロッパ、アメリカが見習うべき点がたくさんある。日本は私たちにとってお手本だ。」

なんだかこそばゆいが、嬉しいねー。


そのN響を振るため、毎年必ず日本にやってくるブロムシュテット。今年もまた10月の来日が予定されている。
年齢的に「もうそろそろ最後か」「潮時か」と思い、つい毎回チケットを買ってしまうわけだが、今年はちょっと心配。6月に転倒し、入院して、シュターツカペレ・ベルリンのコンサートをキャンセルしているのだ。
ご無事に回復されてほしい。いつものようにスタスタと歩いて指揮台に立ってくれることを、私だけでなく多くのファンが願っている。

外来公演はやっぱ高!

コロナは依然として収束に向かう気配がなく、それどころか止め処無い爆発状態だが、政府はそれでもwithコロナで緊急事態宣言を発せずに、何とか乗り切ろうとする姿勢を見せている。
もちろん情勢は予断を許さず、医療のひっ迫状況等によりいつ方針転換されるか分からないが、とにかく今のところは行動制限の無い日常だ。
外国人の入国要件も緩和され、外来の演奏家たちが日本のステージに戻ってくるようになったのは、何はともあれ喜ばしい。今月初旬はついにドイツからの外来オーケストラ公演も実現した。
この調子を持続させてほしい。制限がかからず、秋以降、本格的に外来オーケストラが来日できる方向へと進んでほしい。
そんなことを願う今日このごろである。

そういうわけで、この秋来日予定のロンドン響、ボストン響などの公演チケットが既に売り出された。先日は12月のバレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンも発売開始となった。パリ管の発売も目前だ。
私も久しぶりにこうした名門オケのチケットを手に入れるため、発売初日の申込みクリックに魂を込めたわけだが、いやー参った、チケット、高いねえ!

コロナになってからずっと日本のオケばかりを聴いてきたが、チケット代はせいぜい3千円から8千円の範囲。
それが、上記のような名門オケだと最低カテゴリーで1万円から1万5千円だもんな。コロナになる前までこんなにも高いチケットを嬉々として買っていたわけか・・。信じられん。
あのさ、値段、上がってない??
円安の影響? 世界情勢不透明リスクによる物価高の影響?
それとも日本のオケの安チケットばかり買ってきたせいで感覚が鈍り、久しぶりの舶来価格にびっくり仰天現象を起こしているのか?


SKBの公演は、最初から全3公演制覇は断念した。ブラームスの2公演狙い。
1公演は無事に最低カテゴリーのP席を確保出来たが、それが精一杯。やっぱり二兎は追えない。1公演をゲットして、すかさず2公演目の手配に突入したものの、あっという間にP席だけでなく、その上のカテC席もソールドアウト。仕方なくB席を購入。2万5千円。高ぇ~。
結局2公演で4万。ブラームスで4万・・・。
うーむ、むむむ・・。


東京公演の売れ行きはどうやら好調のようだ。さすがはバレンボイムムーティと並んで指揮者界の横綱級なだけはある。
春先に病に倒れ、一時公演をキャンセルして療養したバレンボイム。元気の塊みたいだったが、いつまでも不死身というわけにもいかない。後になって「しまった、あの時聴いておけばよかった」という後悔だけはしてはいけない。
そう思って高ぇチケットを無理してでも買った人も、少なからずいたかもしれない。


ところで、このSKB公演。
国内演奏ツアーとして熊本公演があるのだが、ここが安くて狙い目だ。
なんと最高ランクSS席の値段が2万円。最低カテが9千円。
しかも、25歳以下の人と障がいのある人は各3千円引き。
更に、小学4年生から18歳以下の人について抽選で300名をS席に無料招待。
うーむ、これは恐れ入った。地方の自治体にとっては立派な文化事業。がっつり補助金投入というわけだ。

私も一瞬、旅行も兼ねて熊本行っちゃおうか検討したが・・やっぱ止め(笑)。結局高くつくわけだからね。
当日の会場では、1回席の良席はたくさんの若い人たちで埋まっている光景が見られるのかな。まあ、それはそれでええこっちゃ。

2022/7/22 読響

2022年7月22日   読売日本交響楽団   サントリーホール
指揮  アレホ・ペレス
諏訪内晶子(ヴァイオリン)、エフゲニ・ホジャノフ(ピアノ)
エトヴェシュ  セイレーンの歌
メンデルスゾーン  ヴァイオリンとピアノのための協奏曲
ショスタコーヴィチ  交響曲第12番 1917年


欧州などの劇場演目ラインナップをザッピングすると、チラホラと名前を見かけるアレホ・ペレス。現フランダース歌劇場の音楽監督で、日本では2018年に二期会が主催したウェーバー「魔弾の射手」を指揮した。来年、新国立劇場の「タンホイザー」を振る予定にもなっている。
また、彼が振ったローマ歌劇場プロコフィエフ「炎の天使」ライブ収録映像ディスクは市販されており、私も持っている。

以上のような経歴からすれば完全にオペラ指揮者っぽいペレス。そんな彼が読響を振るというので、大好きなショスタコもプログラムに入っていることだし、さっそくコンサートホールに駆け付けた。
読響とは上記の二期会「魔弾の射手」で手を合わせている。おそらくその時の感触が良かったので、オケ側からお呼びが掛かったのだろう。

改めてその指揮ぶりに注目すると、音を引き出すにあたり、予めきちんと頭の中に作り上げたい音のイメージと完成図が出来ている感じがする。このため、タクトが明確であるし、聴いている側にとっても音楽がとても分かりやすい。
また、いかにもラテン人らしい熱いパッションも垣間見せる。「ファビオ・ルイージ」タイプとみた。
「誰々みたい」といった評価は、本人からすれば好まれないかもしれないけど(笑)。


メンデルスゾーンのコンチェルトにおいても指揮者の音作りは揺るぎなかったが、どういうわけか、そこにヴァイオリンのあの方の演奏がハマってこない。なんだか一人「あっちの方を向いている」みたいな。
ソリストだからそれでいいのだろか。
合わせるべきは指揮者の方、ということなのだろうか。
まあ確かにそう言われればそうかもしれないが。

気のせいか、私が知ってる諏訪内さんの音じゃない感じもした。
楽器が変わったからだろうか。
楽器の違いを聴き分けられるほど、私の耳は肥えていないはずだが。

ところで、なんでストラディバリウスの名器じゃなくてグァルネリ・デル・ジェスになっちゃったの?
最初から有期限の貸与だったのかな。

2022/7/17 新国立 ペレアスとメリザンド

2022年7月17日  新国立劇場
ドビュッシー  ペレアスとメリザンド
指揮  大野和士
演出  ケイティ・ミッチェル
管弦楽  東京フィルハーモニー交響楽団
ベルナール・リヒター(ペレアス)、カレン・ヴルシュ(メリザンド)、ローラン・ナウリ(ゴロー)、妻屋秀和(アルケル)、田村由貴絵(ジュヌヴィエーヴ)、九嶋香奈枝(イニョール)   他


前日の「パルジファル」に続き、2日連続でオペラ鑑賞となった。
外国からの歌劇場引っ越し来日公演で、演目が並んだことにより2日連続で鑑賞することは時々あったことだが、国内カンパニーではなかなかない。
ましてや、「パルジファル」と「ペレアスとメリザンド」だなんて・・・。
これは実に興味深い。なぜなら、この両演目、決して初心者向けではない手ごわい作品だからだ。

特に「ペレアスとメリザンド」。
オペラの奥座敷に鎮座する作品ではないだろうか。
私が初めてこの作品を生鑑賞したのは1998年の新日本フィルによる舞台公演だったが、さっぱり理解できなかった。フワフワして掴みどころがなく、上演がやたら長く感じたことを今でも覚えている。(テレサ・ストラータスやジョセ・ファン・ダムなどが出演して、キャストはそれなりに豪華だった。)

一筋縄ではいかない作品。しかし、ひとたび開眼すると、一気にその魅力に惹きつけられる。そして、ついに上級レベルの扉を開けることとなり、オペラの奥深い神秘に迫ることになる。


そういうわけなので、新国立劇場開場から四半世紀、上演にまで至るのにこれだけの時間を要したのも、なんとなく分かるような気がする。
で、これを採用したのが他ならぬ大野和士さんだというのも、決して偶然ではないだろう。王立モネ劇場やリヨン国立歌劇場で音楽監督・首席指揮者を務め、フランスオペラに造詣が深い大野さんならでは、というわけだ。


さて、本プロダクションは、エクサン・プロヴァンス音楽祭との共同制作(レンタル?)で、先行上演されたライブの収録映像が、NHK-BSのプレミアムシアターで既に放送されている。私も視聴した。だから、演出の中身について知った上での舞台鑑賞だ。いかにも女性演出家らしい解釈で描かれているのが特徴である。

花嫁として嫁いできたメリザンドが見つめる世界。
その視点は、時に主観的であり、時に客観的で、その客観性を生み出すために、「もう一人の自分」という黙役が登場する。
邸宅内の各部屋は仕切られていて、メリザンドがそこを行き来することで、物語の場面や時間の経過が表現されるわけだが、同時に、彼女の孤独や閉塞感からの逃避だったり、あるいは謎めいたゴロー家の裏側を覗き込む好奇心なども併せて暗示させている。
女性の思考や感情は揺れ動き、彷徨いを続け、願望や妄想、抑えられない衝動なども入り混じって、やがて事実と想像の境界線がどんどんと曖昧になりながら、クライマックスへと突き進んでいく。こうした手法はまことに鮮やかで、見事としか言いようがない。

ただし、一点だけ不満がある。最初からこの物語を「メリザンドの夢」に仕立ててしまっていることだ。

どうして夢にしてしまうのだろう。なぜ現実にしないのか。揺れ動く感情や衝動の様はそのまま現実の世界にあるものだし、現実の中の過程において人は成長を遂げるはずなのだ。

現代演出において、演出家がこのように物語を夢だったり妄想だったりの世界に読み替える舞台は非常に多い。ていうか、そればっか。
私は、ずるいと思う。
なぜなら、夢や妄想なら、何でもあり、何でも出来てしまうからだ。
はっきり言わせてもらうが、それは解決手段として安易。私はそう思う。


歌手陣は皆立派で作品の魅力を余すところなく伝えていた。
特にこの作品の場合、フランス系の外国人キャスト頼みになってしまうのはどうしても致し方ないが、妻屋さんを始め日本人キャストもフランス語に違和感はなく、健闘していた。
エクサン・プロヴァンス音楽祭のプレミエにも出演していたローラン・ナウリは、さすがの安定感。カレン・ヴルシュは新国立初登場だが、2014年のN響の同作品コンサート形式上演(デュトワ指揮)にも出演していて、あの時の感動が蘇った。

大野和士さんのコンダクトによる東京フィルの演奏も、実に瑞々しく、美しくて、素晴らしかった。さすがは芸術監督。「やっぱり芸術監督が振ると違う」というところを、まざまざと見せつけたと思う。
だというのに、彼が振るのはシーズンのうちわずかに2回のみ。
もったいない。そもそも総合プロデューサー的な芸術監督ではなく、音楽監督または首席指揮者として迎え入れるべき人なのだ。
音楽に専念させてあげなさいよ。芸術監督なんて、どうせ誰がやったって大した演目ラインナップを組み立てられないお粗末な二流歌劇場のポストなんだからさ。

2022/7/16 二期会 パルジファル

2022年7月16日  二期会  東京文化会館
ワーグナー  パルジファル
指揮  セバスティアン・ヴァイグレ
演出  宮本亞門
管弦楽  読売日本交響楽団
黒田博(アンフォルタス)、大塚博章(ティトレル)、加藤宏隆(グルネマンツ)、福井敬(パルジファル)、門馬信樹(クリングゾル)、田崎尚美(クンドリー)    他


まずは二期会創立70周年、おめでとうござる。
歌劇団体として名乗りつつ、その実態は歌手組合。劇場を持たず、専属オーケストラも首席指揮者も持たない、世界的に見てかなり特殊な運営方式でありながら、出演歌手はゲストを呼ばず頑なに「日本人」にこだわる。
一方で、著名な演出家を招聘したり、海外の劇場と共同制作契約を結ぶなど、独自性と一貫性を発揮。日本のオペラ芸術を牽引してきた存在感は、間違いなく70年という伝統の矜持と言えるだろう。

今回はその70周年の記念公演と銘打ち、フランス国立ラン歌劇場(ストラスブール)との共同制作で「パルジファル」に挑んだ。二期会は10年前にもこの作品を手掛けており、節目となる記念公演に相応しい作品と位置付けているようだ。

実は、先行して上演された国立ラン歌劇場の公演(2020年1月)、現地に観に行く計画を真剣に検討した。最終的に断念したが、諦めが付いたのは、既に二期会との共同制作が発表されていたので、「いずれ日本でもやるから、まあいいか」と思ったからである。
わざわざストラスブールまで観に行く検討を行ったのは、言うまでもなく宮本亞門氏が演出を担ったから。欧州の名門歌劇場で、オペラの頂点に君臨するワーグナー作品の演出を日本人が任され、手掛ける。これって単純にあり得ない、すごいことだと思ったのだ。

亞門さん自身も、その重責を強く意識したと思う。この作品から何が読み取れるのか、何を提示すべきかについて、徹底的に研究した跡が伺えた。
舞台を博物館(美術館)に設定したこと、母と子の黙役を置いたこと、その母と子をパルジファルとヘルツェライデ、あるいはパルジファルとクンドリーの関係に重ね合わせたこと、聖杯儀式の参加者を戦争で命を落とした戦士の亡霊に仕立てたこと・・・そうした読替えの一つ一つに、鋭く貫かれた裏付けと意味があった。そして、パルジファルの核心的なテーマである「救済」について、演出家としての最終回答を導き出した。これは本当に見事な解析であり結論だったと思う。

ところで、第三幕の前奏曲のシーンで、背景の紗幕に爆撃によって破壊された建物や街並みの映像を写していたが、これ、2020年のラン歌劇場のプレミエにもあったのだろうか。
もしそうだったとしたら、恐ろしいほどの先見、予言であろう。


歌手陣も大健闘だった。いつも二期会公演を聴いて印象を抱く「一生懸命頑張ってます」感はほとんど見られず、それぞれがワーグナーの歌唱を滔々と紡いでいたのは、素直に感嘆した。


ピットがヴァイグレ指揮の読響だったことも殊の外大きい。
ヴァイグレの仕事は、まさにカペルマイスターの趣。小細工を使わず、悠揚で骨太でどっしりした基盤を作り、絶対的な安定感で音楽を支える。さすがとしか言いようがない。


最後になるが、当初予定でティトレル役にキャスティングされていた長谷川頸のご冥福を心からお祈りする。

2022/7/10 東京フィル

2022年7月10日  東京フィルハーモニー交響楽団  オーチャードホール
指揮  出口大地
木嶋真優(ヴァイオリン)
ハチャトゥリアン  バレエ音楽「ガイーヌ」より、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第2番「鐘」


前日の新日本フィルはモヤモヤした後味悪いコンサートだったが、この日は一転してそのモヤモヤを吹き飛ばす爽快な公演。いやー楽しい。
そりゃそうだ。なんたってハチャトゥリアンなのだ。血湧き肉躍るエキゾチックな民族音楽。しかも、滅多に演奏されない交響曲第2番を聴ける喜び。
ハチャトゥリアンは誰が何と言おうと最高。私にとって悶絶級の作曲家だ。

そういえば、3年前も東京フィルはハチャトゥリアンをやってくれたっけな。まさか交響曲第3番を生で聴けるとは夢にも思わなかった。期待どおりの爆演に思わず「バンザーイ!」と叫び、感涙で嗚咽した。

その時、実は東京フィルも気が付いたんじゃないかな。
「ん? ハチャトゥリアン、もしかしてヤバくね?」
で、再度取り上げる機会を探っていたところ、なんとそこにハチャトゥリアン国際コンクール指揮部門で優勝した日本人が現れた。
「およ!? これはビッグチャンス到来か?」
かくして本公演は企画され実現した。
どうよ。スバリじゃね??

正直に言うと、私は指揮者出口さんのことまったく知らなかったし、期待もしてなかったし、ぶっちゃけどうでもよかった。指揮者なんて誰でもいい。ハチャやってくれるんだったらそれだけで十分だったのだ。

ところが実際聴いてみると、この指揮者、なかなかいい。さすがコンクールの覇者らしく作品をばっちり掌握しているし、オーケストラに対して臆することなくグイグイとリードしている。タクトの切れ味も良い。何と言ってもこの作曲家の最大の魅力である土着性メロディをうねるように聴かせ、鳴らすところをしっかり鳴らしているのがグッド。ハチャはそこが肝だからな。

同じことがソリストの木嶋さんにも当てはまった。
舞曲のように音楽をスイングさせながらテクニックを縦横無尽に披露し、そして楽器を鳴らす。

このヴァイオリニスト、テレビのバラエティ番組でも見かけるし(芸能プロダクションに所属しているらしい)、人気先行タイプかと思っていたが、いいじゃないですか。ちょっとだけ見直しました。
(ちょっとだけかよ)