クラシック、オペラの粋を極める!

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2022/7/17 新国立 ペレアスとメリザンド

2022年7月17日  新国立劇場
ドビュッシー  ペレアスとメリザンド
指揮  大野和士
演出  ケイティ・ミッチェル
管弦楽  東京フィルハーモニー交響楽団
ベルナール・リヒター(ペレアス)、カレン・ヴルシュ(メリザンド)、ローラン・ナウリ(ゴロー)、妻屋秀和(アルケル)、田村由貴絵(ジュヌヴィエーヴ)、九嶋香奈枝(イニョール)   他


前日の「パルジファル」に続き、2日連続でオペラ鑑賞となった。
外国からの歌劇場引っ越し来日公演で、演目が並んだことにより2日連続で鑑賞することは時々あったことだが、国内カンパニーではなかなかない。
ましてや、「パルジファル」と「ペレアスとメリザンド」だなんて・・・。
これは実に興味深い。なぜなら、この両演目、決して初心者向けではない手ごわい作品だからだ。

特に「ペレアスとメリザンド」。
オペラの奥座敷に鎮座する作品ではないだろうか。
私が初めてこの作品を生鑑賞したのは1998年の新日本フィルによる舞台公演だったが、さっぱり理解できなかった。フワフワして掴みどころがなく、上演がやたら長く感じたことを今でも覚えている。(テレサ・ストラータスやジョセ・ファン・ダムなどが出演して、キャストはそれなりに豪華だった。)

一筋縄ではいかない作品。しかし、ひとたび開眼すると、一気にその魅力に惹きつけられる。そして、ついに上級レベルの扉を開けることとなり、オペラの奥深い神秘に迫ることになる。


そういうわけなので、新国立劇場開場から四半世紀、上演にまで至るのにこれだけの時間を要したのも、なんとなく分かるような気がする。
で、これを採用したのが他ならぬ大野和士さんだというのも、決して偶然ではないだろう。王立モネ劇場やリヨン国立歌劇場で音楽監督・首席指揮者を務め、フランスオペラに造詣が深い大野さんならでは、というわけだ。


さて、本プロダクションは、エクサン・プロヴァンス音楽祭との共同制作(レンタル?)で、先行上演されたライブの収録映像が、NHK-BSのプレミアムシアターで既に放送されている。私も視聴した。だから、演出の中身について知った上での舞台鑑賞だ。いかにも女性演出家らしい解釈で描かれているのが特徴である。

花嫁として嫁いできたメリザンドが見つめる世界。
その視点は、時に主観的であり、時に客観的で、その客観性を生み出すために、「もう一人の自分」という黙役が登場する。
邸宅内の各部屋は仕切られていて、メリザンドがそこを行き来することで、物語の場面や時間の経過が表現されるわけだが、同時に、彼女の孤独や閉塞感からの逃避だったり、あるいは謎めいたゴロー家の裏側を覗き込む好奇心なども併せて暗示させている。
女性の思考や感情は揺れ動き、彷徨いを続け、願望や妄想、抑えられない衝動なども入り混じって、やがて事実と想像の境界線がどんどんと曖昧になりながら、クライマックスへと突き進んでいく。こうした手法はまことに鮮やかで、見事としか言いようがない。

ただし、一点だけ不満がある。最初からこの物語を「メリザンドの夢」に仕立ててしまっていることだ。

どうして夢にしてしまうのだろう。なぜ現実にしないのか。揺れ動く感情や衝動の様はそのまま現実の世界にあるものだし、現実の中の過程において人は成長を遂げるはずなのだ。

現代演出において、演出家がこのように物語を夢だったり妄想だったりの世界に読み替える舞台は非常に多い。ていうか、そればっか。
私は、ずるいと思う。
なぜなら、夢や妄想なら、何でもあり、何でも出来てしまうからだ。
はっきり言わせてもらうが、それは解決手段として安易。私はそう思う。


歌手陣は皆立派で作品の魅力を余すところなく伝えていた。
特にこの作品の場合、フランス系の外国人キャスト頼みになってしまうのはどうしても致し方ないが、妻屋さんを始め日本人キャストもフランス語に違和感はなく、健闘していた。
エクサン・プロヴァンス音楽祭のプレミエにも出演していたローラン・ナウリは、さすがの安定感。カレン・ヴルシュは新国立初登場だが、2014年のN響の同作品コンサート形式上演(デュトワ指揮)にも出演していて、あの時の感動が蘇った。

大野和士さんのコンダクトによる東京フィルの演奏も、実に瑞々しく、美しくて、素晴らしかった。さすがは芸術監督。「やっぱり芸術監督が振ると違う」というところを、まざまざと見せつけたと思う。
だというのに、彼が振るのはシーズンのうちわずかに2回のみ。
もったいない。そもそも総合プロデューサー的な芸術監督ではなく、音楽監督または首席指揮者として迎え入れるべき人なのだ。
音楽に専念させてあげなさいよ。芸術監督なんて、どうせ誰がやったって大した演目ラインナップを組み立てられないお粗末な二流歌劇場のポストなんだからさ。