2025年6月19日 パリ管弦楽団 サントリーホール
指揮 クラウス・マケラ
サン・サーンス 交響曲第3番 オルガン付き
ベルリオーズ 幻想交響曲
熱狂に包まれたコンサートであった。
熱狂の渦のド真ん中にいたのが、指揮者クラウス・マケラである。熱狂の渦を自ら作り出し、疾風を飛ばす。
熱血的に楽団をリードする姿は英雄そのもの。切れ味鋭いタクトを振る舞う姿はアスリートの輝き。ステージ上の奏者は力強い求心力で音を引き上げられ、ステージを取り囲む聴衆は、彼の一挙手一投足から目が離すことが出来ない。
クラウス・マケラは、まさしく空間の支配者であった。
オーケストラは、さながら強力な風による推進力を得て波の上を疾走するヨット。指揮官の巧みな操縦によってスピードをグングンと上げていく。時折り風向きが急変したり、コースを曲げたりする強い力が働くが、高性能マシンはこれらを軽々と乗り越える。
ブリリアントなオーケストラだということは知っていた。それこそがパリ管の持ち味であった。
こんなにもパワフルで機動力を備えていたのか、パリ管。
元々パワフルさも機動力も潜在的に持っていたが、それを引き出したのがこの俊英指揮者だったということか。結局、クラウス・マケラということなのか。
だとしたら、なんという指揮者だ!
決して、ただ風を作って、スピードを作って、音楽を引っ張り、疾走していただけではない。
相応しい音色、相応しい旋律を作っていた。着色し、強弱やテンポの変化を加えて、表情を作っていた。情景だけでなく、感情も生み出していた。やるべきことを着実にやっていた点は、決して見逃してはいけない。
こんなにも有能な指揮者だというのに、ベルリン・フィルにデビューした際には、現地での評は決して絶賛という程ではなかったのだという。
私には、なんとなくだが、その理由が思い当たる。
ドイツの保守的な批評家が見つめたのは、作品に対する洞察力だ。素材を鮮やかに飾るのではなく、素材そのものの魅力を引き出すアプローチ。
そこを鋭く厳しく指摘されたのではないかと思う。あくまでも想像だが。
そう言われると、確かにその点はまだまだの部分はあるかもしれない。
しかし、だ。
「そんなことを29歳の指揮者に求めるな」とも言いたい。
そんなことは、これから自然に身に付いてくる。経験が深い洞察を育んでいくのだ。
いいじゃないか、今、この活きがよくて、眩いばかりの輝きを備える若きカリスマを「カッコイイ!」と見つめたって。こんなにもスリリングな指揮者が世界に登場したのである。我々は、諸手を挙げて歓待すべきだ。