クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2018/2/25 二期会 ローエングリン

2018年2月25日   二期会
指揮  準・メルクル
演出  深作健太
金子宏(ハインリッヒ)、小原啓楼(ローエングリン)、木下美穂子(エルザ)、小森輝彦(テルラムント)、清水華澄(オルトルート)、加賀清孝(伝令)
 
 
このプロダクションを、もしそのままドイツに持っていき、そこで披露したら、爆発的にウケたのではないだろうか。非常に高い評価を得たのではないだろうか。
また、このプロダクションを、もしドイツ人が観て、演出を担ったのが純日本人であることを知ったら、その造詣の深さに思わず感嘆するのではないだろうか。
 
作品の本質を念入りに探索し、歴史や時代、社会や政治的背景を研究し、「いったい何なのか」「そこに何があるのか」「何をどう捉え、どう描くべきなのか」について、徹底的に追求。導き出した答えについて、強い確信を持って正々堂々と世に問う潔さ。
演出家、深作健太
私は、この若き俊英が日本のオペラ芸術界で今まさに開花しようとしていることを、非常に喜ばしく思う。この才能は、日本の舞台芸術の宝だと思う。
 
読替え演出の源となった着想、構想、下地については、演出家本人がメディア等を通じて既に披露解説しており、今さら一観客の私ごときが説明するまでもないのだが、感心したことが二つ。
 
これまでこのオペラを国内外でいろいろと観てきているが、多くの演出家が「エルザの夢物語(もしくは妄想)」に仕立て上げていたのに対し、深作さんの場合、しっかりと「ローエングリンとは何者か」に迫り、ローエングリンを基軸にした物語を作ったこと。
 
また、一見こじつけのようでありながら、まるでそこに真実があるかのような説得力に満ちていたこと。
 
バイエルン国王ルードヴィッヒ二世は孤独だった。
せっかく閉じ籠もった自分の世界に居場所を見出していたのに、それが許されず、王としての体面と責務を負わされ、誰からも真意を理解されず、ついには精神疾患と診断されて幽閉されてしまう。
その悲しみ。
 
第三幕のローエングリン出自の語りは、ルードヴィッヒの悲痛な叫びと絶望がひしひしと伝わってきて、本当に涙が出た。
 
ローエングリンの物語は悲劇である。
そしてルードヴィッヒの物語も、これまた悲劇なのであった。
 
舞台をノイシュヴァンシュタイン城の城内に置いたこと。テルラムントを主治医グッデンに、エルザをエリーザベト妃に、ハインリッヒ王をプロイセン王に仕立てたこと。エルザの弟ゴットフリートをルードヴィッヒの幼少期の自分に重ねたこと。エルザとの新婚初夜の場で、太陽王ルイ14世の絶頂期とルードヴィッヒの憧れを重ねたこと。悲劇の行き着く先が、ルードヴィッヒが身を投じて命を断ったとされるシュタルンベルク湖だったこと・・・。
すべてが鮮やかにリンクし、しっかりとした糸で結ばれていた。(上で「私ごときが説明するまでもない」などと書いておきながら、結局言及してしまった・・。)
 
また、オルトルートを女ヴォータンに仕立てたこと、エルザを陥れるためにフライアのリンゴを出してきたこと、第二幕冒頭で矢で首を射られて落ちてきた白鳥がパルジファルの物語を想起させたこと・・・すべてをワーグナーの世界観としてまとめ上げたことも、見事なアイデア構成だった。
 
歌手、指揮者、オケについて、あちこちのSNS等でたくさん語られているが、ほぼ同感。
準・メルクルのタクトは安定感抜群だった。都響の演奏は本物のワーグナーで、完成度が高かった。
歌手では、オルトルートの清水さんが絶賛されているが、本当に素晴らしかった。
清水さんだけでなく、すべての出演者に拍手を贈りたい。
出演者だけでなく、公演に関わったすべてのスタッフに拍手を贈りたい。
 
で、とにかくこのプロダクションをドイツの劇場に売りつけちゃえ!!
再演しないでお蔵入りにするくらいなら、なおさらのこと。