クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2013/11/28 ドイツ・カンマーフィル

2013年11月28日  ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団   横浜みなとみらいホール
ベートーヴェン  歌劇フィデリオ(コンサート形式上演)
合唱  東京音楽大学合唱団
ブルクハルト・フリッツ(フロレスタン)、エミリー・マギー(レオノーレ)、ディミートリ・イヴァシュチェンコ(ロッコ)、ゴルダ・シュルツ(マルツェリーネ)、ユリアン・プレガルディエン(ヤキーノ)、トム・フォックス(ドン・ピツァロ)、デトレフ・ロート(ドン・フェルナンド)、ヴォルフ・カーラー(語り)
 
 
平日の横浜公演は普通なら無理なのだが、休日勤務の代休をわざわざこの日に当てて、万全にして臨んだ。その甲斐があった素晴らしい公演だった。
 
 ところで、指揮者ヤルヴィはパリ管の来日公演が終了した後も欧州に帰らず、そのままずっと日本に滞在していたらしい。その間、N響やコンセルトヘボウ管の公演会場に足を運んだ姿が目撃されている。(私もコンセルトヘボウの時に会場で見かけた。)
 売れっ子指揮者は超多忙らしいから、この2週間は多少なりともゆっくりと有意義な時間を過ごせたのではないかと推測する。心身ともに充電し、本公演の準備も万端に整え、はやる気持ちを抑えながら、遅れて来日してくるドイツ・カンマーフィルとソリストたちを「早く来い来い」と手ぐすね引いて待っていたであろうヤルヴィ氏。いや絶対そうだったに違いない。なぜなら、それくらいエネルギーに満ち溢れた演奏だったから。
 
 2006年の来日公演で衝撃的とも言える全曲チクルスを披露し、当時大きな話題になったこのコンビのベートーヴェン。どういうわけか私はその公演を聞き逃してしまった。評判を聞いて「しまったなあ」と後悔したわけであったが、今回聴いて「なるほどねー。こりゃ確かに話題になるわなあ。」と感心した。
 
 我々はベートーヴェンが活躍していた当時の演奏について、そのものズバリを直接聴くことは出来ず、せいぜいノリントンなどその筋の専門家によって「それらしきもの」を聴けるのみだが、今回の演奏を聴くと「当時の聴衆が耳にしていたのはきっとこれに違いない」と確信せずにはいられなかった。それほどまでに説得力があり、なおかつスタイルが確立されていた。
 ノンヴィヴラートやアタックの奏法を多用した固めで弾けるような音。いかにも小編成らしい室内楽的でまとまりのある音。歯切れのよいリズム。スタイリッシュで、颯爽として、鮮やか。思わず身を乗り出してしまいそうな生き生きと躍動する音楽。
 
 更に素晴らしいと思うのは、単なる当時の音の再現にとどまらず、不屈の精神、自由の希求、人間賛歌といったベートーヴェンのメッセージを、スコアや物語の中からしっかりと汲み取って我々に届けている点だ。
 それが証拠に、この日多くの聴衆が「やっぱりベートーヴェンの音楽ってすごいよね」と改めて感じたはず。作曲家の偉大さを再認識させてくれただけでも、ヤルヴィは十分称賛に値しよう。
 
 
 また今回、ドイツからわざわざ俳優を呼び寄せ、「4年後のロッコ」という語り付きの上演を行ったのは、試みとしてはなかなかユニークで面白かった。そうすることで、歌手はセリフがない分音楽に集中することが出来、同時に物語の進行と理解もキープできる。
 ただし一つだけ難癖を付けると、語りの俳優さんが結構お歳だった一方、歌手のイヴァシュチェンコが若々しかったため、同一人物の4年後という状況にまったく見えなかった。
 ま、こちらとしては音楽を聴きに来ているわけだから、どうでもいいんだけどさ。
 
 それよりもむしろ、コンサートホールの舞台でありながら、譜面台にライトを設置して照明を上手く利用し、あたかもオーケストラピットのように仕立てながら劇空間を作っていたのは、これからのコンサート形式上演の一つの可能性を示すものであった。
 
 あと、コンサート形式上演だからといって譜面台を立てて直立不動で歌うのではなく、少しでもいいから演技しながら歌うのはとてもいいと思う。オペラは音楽であると同時に演劇的要素もあるわけだから。
 
 ソリスト歌手の出来は、全体としては概ね満足。
 フロレスタンのフリッツは抑制を効かせた歌唱が囚人らしくて良かった。また、イヴァシュチェンコは海外で何度となく聴いて以前から好感を持っていたのだが、ようやく日本でも聴けて嬉しかった。
 ただ、一番期待していたシュトルックマンが落っこちてしまったのは残念至極。代役のフォックスがちょっとイマイチだっただけに、余計にそう感じた。
 レオノーレを歌ったエミリー・マギー。役を掌握し、つぼにハマった時の彼女は、信じられないくらいスゴいのだが、今回はちょっと不完全燃焼の印象。レオノーレ役で更なる熟成を期待したい。(別に彼女だけ譜面を持ちながら歌っていたからそう聴こえた、というわけではないからね。そこんとこはよろしく。)