2013年11月23日 東京フィルハーモニー交響楽団 オーチャードホール
ワーグナー トリスタンとイゾルデ(コンサート形式上演)
指揮 チョン・ミュンフン
合唱 新国立劇場合唱団
アンドレアス・シャーガー(トリスタン)、ミハイル・ペトレンコ(マルケ王)、イルムガルト・フィルスマイヤー(イゾルデ)、クリストファー・モルトマン(クルヴェナール)、エカテリーナ・グバノヴァ(ブランゲーネ)、大槻孝志(メロート) 他
秋の外来オーケストラ祭りはようやく一段落。禿山の一夜。兵どもが夢の跡・・・。
なんとなく抜け殻状態になっているが、しかし宴はまだまだ終わらない。今度はオペラが続く。
チョン・ミュンフンによるコンサート形式のトリスタン。たった一公演だけのためによくぞこれだけ外国人キャストを集めたものだと思ったら、実は福岡、富山と公演を重ねてきたとのこと。満を持しての東京公演。チケットは完売である。
あくまでも東京フィルの定期公演というだけあって、その主役である東京フィルが見事な演奏だった。もちろん指揮者チョンの功績は大きい。さすがとしか言いようがない。この人が振ると東京フィルは豹変する。
ただし、一般的なワーグナーの音のイメージとはちょっとかけ離れている。重厚で滔々とした響きというより、きびきびとした切れのある響きだ。テンポが早いので余計にそう感じる。歌による官能や陶酔の表現よりも、オーケストラの機能美に重きを置いているのだと思う。それがまた斬新さを醸し出す。いかにもチョンらしいアプローチだ。
こういう演奏を聴くと、つくづく思う。やっぱり音楽というのは指揮者なんだな、と。
歌手ではトリスタン役のシャーガーが出色。この歌手はすごい!ノーマークだったが、なんと立派な歌唱!こんな素晴らしいワーグナー歌手がいたのか?驚愕した。外見がヒョロっとしていて線が細そうに見えるが、声はストレートに伸び、パワーもある。本物のトリスタンだ。こんな逸材が今回代役登場だったなんて!人材不足と言われるワーグナーテノールだが、探せば世界には掘り出し物が見つかるんだなあと実感。(物、とか言っちゃいかんわな。)
とにかく、彼は今後、こんな東京の代役出演じゃなくて、ウィーンとかバイロイトに登用されるべき。
パワーという点ではイゾルデ役のフィルスマイヤーも負けていない。歌い方はどことなくガブリエーレ・シュナウトに似た印象。高音や早いパッセージにはかなり難があったが、硬質の声で強引に押し切った。結構拍手をもらっていたが、ワタシ的にはちょっとイマイチだったかなあ。
ブランゲーネ役のグバノヴァは声量はそれほどでもないが、歌い方がとても丁寧で安定感もあり、良かった。第2幕、夜の帳の中で愛に耽る二人に警告を発する歌は、耽美な旋律と相まって本当に美しく、ジーンときた。
ところでグバノヴァさん、以前はもっと恰幅が良かったような気がしたが、少しスリムになった?気のせいかしら。気のせいだったらスマン(笑)。
クルヴェナール役のモルトマン、マルケ王役のペトレンコ、日本人キャストもみな好演で、しっかりと役割を果たしていた。
ところで、第二幕では主役二人の二重唱の場面で、カットが入っていた。あそこの場面ではカット演奏がしばしばあるので、今回だけを目くじら立てるつもりはない。
しかし、あそこは音楽的に決して冗長惰性に陥っておらず、むしろワーグナーの狂気的な異才が遺憾なく発揮されている場面だと思うので、個人的にはカットに反対。ゆえに残念。
マエストロ・ムーティが先日の講演会で「ヴェルディでカットがまかり通るのは間違っている。モーツァルトやワーグナーのオペラでカットが行われないのと同様だ。」と話したそうだが、実際はワーグナーでもカットはあり得てしまうというわけ。
そう言えばギュンター・ヴァントもブルックナーにおいて、カットが多いノヴァーク版を大批判していたなあ。
カットは演奏効果、演奏側の技術的負担、時間的制約など、諸問題解決のための妥協的産物なので、一概には否定出来ない。難しい問題だと思う。