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2002/4/26 トリスタンとイゾルデ

2002年4月26日  ベルリン州立歌劇場(フェストターゲ)
ワーグナー・チクルスⅡ』
ワーグナー   トリスタンとイゾルデ
指揮  ダニエル・バレンボイム
演出  ハリー・クプファー
ルネ・パーペ(マルケ王)、クリスティアン・フランツ(トリスタン)、デボラ・ポラスキー(イゾルデ)、アンドレアス・シュミット(クルヴェナール)、リオバ・ブラウン(ブランゲーネ)、ライナー・ゴールドベルク(メロート)


このプロダクションは、本公演から5年後の2007年10月、ベルリン州立歌劇場来日公演の3演目の一つとして、日本でも披露された。上演をご覧になった方もいらっしゃるかもしれない。
キャストは何人か入れ替わっていて、日本公演ではイゾルデ役がW・マイヤー、クルヴェナール役がR・トレケル、ブランゲーネ役がM・デ・ヤングだった。

マイヤーのイゾルデも天下一品だが、この頃、ポラスキーは最高のドラマチック・ソプラノの一人として世界を席巻し、イゾルデ、ブリュンヒルデエレクトラなどの役で大活躍していた。
2002年1月から2月にかけてのベルリン州立歌劇場「ニーベルングの指環」来日公演でも、ブリュンヒルデ役で「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」に出演し、日本の聴衆に強いインパクトを残している。

ポラスキーの魅力は、やはり圧倒的なスケールの大きさだろう。
豊かな包容力に満ちている。声はストレートで強靭だ。
一方で、強靭ではあっても決して制圧的なキツイ印象を与えず、透き通った水性的な声質を活かし、ヘルデンテノール役とのデュエットでも、オーケストラとの掛け合いでも、絶妙なブレンド加減を生み出していた。

トリスタン役のフランツは、この当時においてベストのワーグナーテノールの一人と評されていた。ニーベルングの指環来日公演でも、ジークフリートを堂々と歌った。
素晴らしい歌手であることは間違いない。それは否定しない。

だが、こんなこと言っちゃ本当に申し訳ないけど、「谷間世代の一人」なんだろうなと思う。

絶対的存在だったルネ・コロとペーター・ホフマンが第一線を退くと、最高級のワーグナーを上演したい世界の一流歌劇場は喪失感を味わった。彼らに代わる存在は、簡単に出現しなかった。
J・F・ウェスト、C・フランツ、R・ギャンビル、R・D・スミスらが台頭したが、役不足の面は否めない。

今、K・F・フォークト、J・カウフマン、A・シャーガー、S・グールドといった頼れる歌手たちと時代を共にしている我々は、もしかしたら幸せなのかもしれない。


クプファー演出、シャヴェルノッホ装置による舞台は、非常にシンプル。
中央に、大きく羽を広げた天使の背中のオブジェ(天使が臥して、悲しみ嘆いているかのように見える)が置かれ、これを舞台機構で回転させて、各場面を作るというもの。

この天使の羽、いったい何なのだろう? 何かを象徴させる物なのだろうか。
考えを巡らせたが、何も思い浮かばなかった。
もしかしたら抽象化された物であり、イメージを前面に押し出すことで、登場人物の心理的な一面に着目しながら、音楽と演技によって物語の核心に迫ろうとする意図なのかもしれない。

また、私は、オブジェを場面ごとに回していく見せ方が、この音楽の際立った特徴とも言える「終止しない半音階進行の連続」を表しているのではないかと睨んだ。
実際のところ、それがクプファーの狙いだったのかどうかは分からない。
だが、少なくとも演出家は、この舞台を通して聴衆一人一人が何かを想起するために、一つの提示を行ったことは間違いなく、そうしたアプローチは十分評価に値すると思う。

昨年末にこの世を去ったハリー・クプファー。ベルリンで残した功労は、劇場の歴史にしかと刻まれたはずだ。


終演となり、指揮者やソリスト歌手たちの一通りのカーテンコールが済んだ後に、今度はピットで演奏をしていたオーケストラ奏者たちをステージの上に乗せ、彼らの演奏も称えスポットライトを当てようとするバレンボイムの流儀。
今ではすっかりお決まり、お馴染みの光景。他の劇場でも真似をするところが出てきているくらい。
だが、当時は珍しかったし、とても新鮮だった。同時に、非常に素晴らしいアイデアだと思った。
なぜなら、オペラが立派に上演された時、その功績の一部は間違いなくオーケストラの物だからだ。

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