2013年11月2日 東京都交響楽団 横浜みなとみらいホール
マーラーツィクルス第Ⅱ期
指揮 エリアフ・インバル
ビックリするような事がいくつもあって異様なコンサートだったが、とにかくインバルのマーラーについて語る。本質と違う所で騒ぎ立てることはとりあえず控える。(何が起こったかを知りたい方は、ネットやツイッターで検索すれば、すぐに見つけられる。)
これまでのチクルス演奏で示してきたとおり、この日の6番の演奏もインバルらしい力強い統率力によって白熱の演奏が繰り広げられた。その巨大さと高揚感は「さすがインバル、まさにインバル」というもの。スケールの大きさという意味では他のどんな演奏も足元に及ばないだろう。完全に別格、孤高、異次元の世界だ。
それでいて、ただむやみに大きく鳴らしているだけでなく、陰影があって、豊かな叙情性と感傷性が備わっている。狂おしいほどの咆哮の中に突然に現れるメランコリーに、聴いていて何度もゾクゾクした。
こんなことを言ったら「何を大げさな」と笑われるかもしれないが、「インバルによるマーラーの演奏」ではなく、もはや「インバルそのものがマーラー自身」なのではないかとさえ思える。インバルがマーラーを演奏するとき、そこにマーラーが現れてインバルの身体に乗り移っているのではあるまいか。聴こえてくるのはインバルの解釈ではなく、マーラー本人の心情の吐露ではあるまいか。だからこそマーラーの音楽がストレートにダイレクトに我々の心に響くのではないだろうか。
これはインバルに対する最大級の褒め言葉だろう。
だが、実際彼はこの褒め言葉に相応しい演奏をこれまで何度も何度も披露し、本物であることを証明し続けてきた。だからこそ、熱狂的なマーラーファンが毎度彼のコンサートに集結するわけである。