2024年9月16日 東京・春・音楽祭 オーチャードホール
《イタリア・オペラ・アカデミーin東京 vol.4》
ヴェルディ アッティラ(コンサート形式上演)
指揮 リッカルド・ムーティ
管弦楽 東京春祭オーケストラ
合唱 東京オペラシンガース
イルダール・アブドラザコフ(アッティラ)、フランチェスコ・ランドルフィ(エッツィオ)、アンナ・ピロッツィ(オダベッラ)、フランチェスコ・メーリ(フォレスト)、大槻孝志(ウルディーノ) 他
世界中のオペラ・ファンの皆どもに告ぐ。
本物のオペラとは何か、オペラの真髄とは何か、それを知りたいのなら、日本に来るがよい。
その秘儀を教えてくれる指揮者がいる。世界的な巨匠であるその指揮者は、自ら培った経験と知識を惜しげもなく伝授するため、毎年のように日本に来て、今年なんかは2回も来て、答えを詳らかにしてくれる。
巨匠のコンサートに行きたいだけなら、ウィーンやザルツブルクに行けばいい。機会は見つかる。
だが、オペラに関しては、世界中を探しても、その機会を見つけることは至難だ。
彼はもう、どこかの歌劇場と客演契約し、限られたリハーサルの中でレパートリー演目を振り、何回かの公演をこなし、お金を貰ってまた次の劇場に行く・・・そういう仕事にまったく興味がなく、眼中にない。
オペラについて、ヴェルディについて、自らが考える音楽について、じっくりと腰を据えて取り組み、至高のオペラを探求するアカデミーの開催、これこそが自らの使命だと思っている。そして、ここがキャリアの最終地点だと考えている。
それを具現化する場所の一つが、日本なのだ。
日本はマエストロによって選ばれた。だから、もう一度世界中のオペラ・ファンの皆どもに告ぐ。
日本に来るがよい。
もし、日本に来られないというのなら・・・そいつは残念だったね、まあせいぜい指をくわえて羨ましがるがよい。
今回の演奏も圧倒的だった。3年前の「マクベス」の時に「これ以上はない」と思ったが、もしかしたら超越したかもしれない。
指揮者のタクトに連動し、即応する東京春祭オーケストラの演奏が、究極絶品である。
奏者たちはものすごい集中力で音を奏で、ドラマを語り、登場人物の心情を表現する。音色に変化を付けて情景を描写する。そこに、色彩が見える。人の息遣いが聞こえる。
聴いている人なら、誰でも気付く。「あ、この音は、ここの箇所は、マエストロの指示・要求があって、それに応えた渾身の回答なのだな」と。
およそ2週間、みっちりと鍛えられ、叩き込まれたマエストロ直伝の極意が、露わになって表出している。この音こそが、彼らがアカデミーで掴み、体得した成果品なのだ。
歌手たちも凄い。異次元とはこのことだ。
特に、I・アブドラザコフとF・メーリは、自他ともに認める世界トップ級の歌手。その威力、破壊力たるや、とんでもない。我々聴衆は、何度も射抜かれ、張り倒され、そして卒倒した。
ところが、そんな彼らでさえ、ムーティの掌の中では、音楽の駒の一つにすぎない。
驚くべきは、むしろ積極的主体的にムーティの音楽の駒の一つになろうとしていること。
既に超一流の域に達した歌手たちが、巨匠のタクトの下、あたかもアカデミー生の一員となって、持てる力すべてを発揮し、精魂込めて歌っている。
更にもっと言えば、ムーティさえもが演奏の駒になっている。
誰もが崇敬するマエストロであっても、偉大なる作曲家ヴェルディの前では下僕。ヴェルディのために演奏し、ヴェルディに音楽人生を捧げているのである。
終演後、会場を後にするお客さんの中から、「まるでスカラ座で聴いているみたいだったな」「本場のヴェルディって、こんな感じなのかな」という声が聞こえた。