クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2023/3/28 東京・春・音楽祭

2023年3月28日   東京・春・音楽祭   東京文化会館
イタリア・オペラ・アカデミー in 東京 vol.3
ヴェルディ  仮面舞踏会(コンサート形式上演)
指揮  リッカルド・ムーティ
管弦楽  東京春祭オーケストラ
合唱  東京オペラシンガーズ
アゼル・ザダ(リッカルド)、ジョイス・エル・コーリー(アメーリア)、セルバン・ヴァシレ(レナート)、ユリア・マトーチュキナ(ウルリカ)、ダミアナ・ミッツィ(オスカル)、山下浩司(サムエル)、畠山茂(トム)   他


頑固一徹の巨匠ムーティは、現代的な演出が嫌いである。
正確に言うと、音楽とかけ離れた演出、あるいは音楽を侵害する演出が嫌いである。

もっとも、音楽を侵害する演出が好きな指揮者なんて、そんなのいるわけないが・・・。

エストロは言う。
「音楽が語っているのです。必要なこと、表現すべきことは、楽譜に書いてあるのです。」と。

今回もそうだし、前回2年前の「マクベス」の時もそうだったが、演出が付かないコンサート形式上演でムーティが作り上げた演奏を聴くと、彼の言っていることがすごくよく分かる。彼の言うとおりなのである。
演技なんかなくても、装置や小道具がなくても、音楽を聴いて場面を想像することが出来る。「あ、今、こうしたことが起こっているんだな」ということがリアルに聴こえてくる。
それはもちろん、指揮者がそうした音型をきちんと拾い出し、重要なモチーフとして提示しているからにほかならない。

ムーティが歌手に稽古をつけるリハーサルの様子を、映像、あるいは東京春祭のアカデミー講座などで見たことがある。
面白いなと思ったのは、マエストロが話す内容というのは、純粋な音楽や声楽の話だけでなく、演技に踏み込みながら指示や注文を付けることが多々あるということだ。
例えば、「ここはこういう表情、ニュアンスで」とか、「ここはもっと怒りの仕草を表出させて」とか。
これは、別にムーティが演出家を気取っているわけではなく、指揮者の視点から、楽譜の中にある手掛かりを見出し、書かれていることを忠実に再現する、という作業を徹底しているわけである。

この日の仮面舞踏会を聴き、なぜムーティが音楽とかけ離れた演出を忌み嫌うのか、なぜコンサート形式上演なのか、その意味を改めて噛みしめた次第だ。


それにしても、歌手陣や合唱もそうだが、特に東京春祭オーケストラの指揮者に対する絶大な信頼と忠実性といったら・・・。
オーケストラは、まさに指揮者の手となり足となって、音楽を体現させようとする。そのあまりにも真摯な献身性は目を瞠るばかり、唖然とするほどだ。

これを目の当たりにして、そこにムーティのもう一つのこだわりというのが浮かび上がってきた。
それは、アカデミー形式の採用と実践だ。

エストロは、言う。
「自分もいい年になり、これまでに体得したこと、経験したことを、次の世代に残していく義務がある。」と。

このように、口では「次世代への継承、伝授」と言っている。
だが、本当は、自らの音楽を完璧に作り上げるためには、自らの音楽に完璧に従ってくれる若き音楽家たちのアカデミー方式が最善との結論に至っているのではあるまいか。

ムーティは、世界的な名声を持つ歌手が、本番で裏切りのひけらかし歌唱を繰り出すことを、時々嘆いている。
アカデミーなら、ソリスト歌手は決してそんなことをしない。練習時間もたっぷり取れる。オーケストラも合唱も十分にコントロールできる。
レパートリーシステムを導入している常設劇場ではこのようにいかない。

しかも、東京春祭オーケストラは、単なる学生の集まりではなく、プロ、もしくはセミプロの若くて優秀な奏者たちが揃っている。既に日本のオーケストラの首席を担っている人も多数いる。あまり知られていないが、実は選りすぐりのエリートオーケストラなのである
そんな奏者たちが、「ムーティの下で演奏したい」と意欲満々で集結し、100%の集中力で演奏する。これは指揮者としてはたまらないだろう。

要するに、東京・春・音楽祭は、彼が本当にやりたいこと、彼がこだわっていることを実現できる貴重な場なのだ。だからこそ、ムーティはこの東京のフェスティバルに毎年出演してくれるのだ。