クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2022/11/13、14 ボストン響

ボストン交響楽団   サントリーホール
指揮  アンドリス・ネルソンス
2022年11月13日
マーラー  交響曲第6番 悲劇的
2022年11月14日
ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第5番 皇帝(ピアノ:内田光子
ショスタコーヴィチ  交響曲第5番


2日続けて鑑賞したが、マーラーインパクトがあまりにも大きかったため、そちらの感想を基軸にして書く。ただし、内容はショスタコーヴィチの演奏にも相通じており、差異はない。

さすがはアメリカのメジャーオケ、名門ボストン。ものすごい音だった。
聴いた人が漏らした感想をネットからザッピングしても、同様に「凄」という文字が踊っている。

ぶっちゃけ言うと、マーラーの曲そのものが壮絶極まる逸品の故であり、それを容易く演奏の成果として「超絶的名演!」と一刀両断してしまうのは、憚りがある。
だが、それを差し引いても、冷静かつ客観的に見ても、やはりマーラーの演奏は凄かったと思う。

何が凄いって、オーケストラの潜在的パワーと技術。これに尽きる。勝負あり。パワーと技術を要する作品に対し、パワーと技術を備えるオーケストラが演奏したら、もう完全にお手上げなのだ。我々聴衆は、音楽的解釈や創造性もさることながら、単純に「うめー!」に圧倒され、問答無用で聴き惚れてしまったのである。

一つ指摘しなければならないのは、ここで言うパワーとは、何も音の強さや大きさだけに留まらない。弱音にもパワーが潜んでいる。
マーラーショスタコも、弱音の美しさを強調するシーンが多々あったが、そこでも湧き上がるパワーが伝わってくる。弱音とは単なる小さな音ではない。小さな音量の中にハッとするような美しさを醸造させるためのエネルギーが満ち溢れており、それが流麗に放出されている。

もちろん、強音の輝かしさは言わずもがなで、ただただ惚れ惚れするばかり。特に金管とパーカッション。ここでは、劇的な迫力と高揚感、浮遊感に包まれ、聴き手をカタルシスに誘ってくれる。


それにしても、ボストンってこんなにも鳴るオケだったっけ?
なんだかイメージが覆された。
アメリカのメジャーオケはどこも皆「がたい」がデカく、ブリリアントで、シカゴやニューヨーク、フィラデルフィアなどがその典型。
その中で、クリーヴランドとボストンは比較的欧州の伝統を感じさせるシックな佇まいが持ち味だった・・・ような気がする。

もっとも、今、世界の潮流はインターナショナル化で、均一化し、個性が失われつつある。ボストンがシカゴやニューヨークと同じ傾向になりつつあるのだとしたら、それはそれで少し寂しい気もするが・・。


指揮者のネルソンスのタクトも、なんだか変貌を遂げている気がする。
以前のネルソンスは、手を大きく弧を描くように回し(ヤンソンス流)、かと思うと、ギュッと体を縮めて弱音を要求し、要所要所で緩急に変化を付けながら、オーケストラを引っ張るタクトだった。
それが、今回の指揮では、泰然とリズムを刻みながら、オーケストラに委ねるところは委ね、冷静に鳴っている音やスコアの構成を見つめている場面が目立った。
指揮者とオーケストラの良好な信頼関係の賜物と言うことも出来るだろう。あるいは、彼自身の円熟の境地を示す証ということか。

ということで、今回の公演のポイントは、「指揮者とオーケストラ両方の進化と熟成の目撃」とまとめ上げていいかもしれない。


最後になるが(付け足しみたいで大変申し訳ないが)、内田光子女史のベートーヴェンは、毎度のように繰り広げられる彼女独自の世界観を伴っていて、唯一無二であった。

2022/11/12 N響 A定期

2022年11月12日   NHK交響楽団 A定期演奏会   NHKホール
指揮  井上道義
伊福部昭  シンフォニア・タプカーラ
ショスタコーヴィチ  交響曲第10番


2024年末での引退を宣言している井上道義氏。ということは、あと2年。
良い決断だと思う。「体が動かなくなって、周りから支えられて、それで巨匠扱いされるのは御免である」と本人は言っているらしいが、理解できるし、潔い。情熱的な全身の動きでオーケストラを導き、音楽を開花させることが彼の真骨頂であり、それが彼自身の指揮者としてのアイデンティティなのだから。

あと2年の間に、何回彼が指揮する公演に行くことが出来るだろうか。
良いプログラム、「あー、これ聴きたいな」と思うプログラムをやってくれれば、私は行く。そうじゃなければ行かない。だから、これからは毎回が「これが最後かも」と思って行くことになるだろう。もしかしたら、本公演が最後かもしれないし・・。

その井上さんがライフワークとして取り組んできたのが、他ならぬショスタコーヴィチだ。私も何度も彼のショスタコを聴いており、てっきり過去に10番を聴いたことがあると思っていたのだが、調べてみたら、なんと、無かった。ならば、全力で行かねばなるまい。


その前に、まずは伊福部作品。
北海道アイヌの民謡をベースにしており、旋律といい、リズムといい、エキゾチックさ満載。よく「伊福部サウンド」と称されるが、有名な「ゴジラ」の映画音楽に通じるドラマチックな親しみやすさが魅力だろう。

で、こういうのをやらせたら天下一品なのが、井上ミッキーというわけ。
もう笑っちゃうくらいノリノリで、得意のタコ踊り炸裂。出た~(笑)。

案の定、会場も大盛り上がりだったが、私はというと、いかにも聴衆ウケって感じがして、少し冷めてましたが・・・。民謡をオーケストレーション化した作品は、ドヴォやスメタナに相通じるものがあり、個人的にちょっとね。


メインのタコ。
こちらはライフワークにしているだけあって、スコアを完全に掌握した的確な描き分けが見事。陰影のある響かせ方も巧みで、重量感も申し分ない。
N響はさすがの合奏能力を発揮し、指揮者の要求に応えた。特に弦楽器のアインザッツがビシッと決まり、まるでピアノの強靭な打鍵のような「ガッ!」というサウンドが何ともカッコいい。


配布されたプログラムによれば、井上ミッキーさん、「ショスタコーヴィチは自分だ」と豪語しているのだとか。
思わず苦笑し、「何言うとるねん!」とツッコミたくなったが、最後の音を輝かしく鳴り響かせた後、サッと客席側に振り向いて大見得を切った姿は、まさしく「オレがショスタコーヴィチ」でした(笑)。

2022/11/5 A・メルニコフ ピアノリサイタル

2022年11月5日   アレクサンドル・メルニコフ ピアノリサイタル  トッパンホール
ドビュッシー  前奏曲集 第2集
ベルリオーズ  幻想交響曲(リスト編曲版)


前回の2021年1月、メルニコフは厳しい入国制限の中、2週間の隔離待機条件を受け入れて来日した。その時のリサイタルでは、チェンバロを含む4台の鍵盤楽器をステージに並べ、作品に応じた弾き分けを試みるというユニークな企画を実行したらしく、私もその評判を耳にした。

また、この時、同じく2週間隔離待機を受け入れて来日したヴァイオリンのイザベル・ファウストとのデュオ・リサイタルも併せて行っていて、この公演には私も会場に足を運んだ。

ただ、残念なことに、メルニコフの印象はあまり強く残っていない。
印象が薄いということは、ある意味、伴奏あるいはアンサンブルに徹していたとも言えるわけで、決してネガティブに捉える必要はない。だが、ソリストとしての活躍も目覚ましいメルニコフにしては少々控え気味だったのかな、という感じがしないでもない。

今回はソロ・リサイタルで、彼の実力の程をじっくり伺えるチャンスの到来だ。
何と言っても、プログラムがいい。
まず、ドビュッシー前奏曲集第2集。
一般的に、第1集のほうがより印象派っぽくて人気がある。リサイタルで採り上げられるのは圧倒的にこっちだ。
第2集は、より複雑でシニカルで難しい気がする。でも、音形が高度でテクニカルであり、音の跳躍も鋭く、音楽的に無限の広がりが感じられる。私はこっちの方が断然好きだ。

次に、ピアノ版幻想交響曲
言わずと知れた、ベルリオーズの傑作のリスト編曲版。リストはベートーヴェン交響曲ワーグナー作品などのピアノ編曲版を世に出しているが、幻想も彼の手にかかっているとは知らなかった。ピアノ曲としてどんな感じに仕上がり、どんなふうに聴こえるのか、興味津々だ。


メルニコフの演奏は、デュオの伴奏の時と打って変わるのはある意味当然だが、ダイナミックなピアニズムで、ホールを完全に制圧した。
いかにもロシア出身ピアニストらしい、打鍵が強くて重い音。これでフランス物を奏でるわけだから、本来なら違和感があってもおかしくない。
だが実際には、色彩ではなく、彫琢の深さで音楽を作り上げようとするアプローチであり、遙かなる創造性を感じさせる。違う志向性であるが故に、一層存在感と独自性が際立つわけである。


管弦楽作品のピアノ編曲版を聴くと、聴覚でピアノの音を感じつつ、往々にして脳内でオーケストラサウンドが鳴っている、なんて現象がよく起こる。
ところが、今回の幻想を聴いても、頭の中で何の変換作業も行われなかった。メルニコフのピアニズムに圧倒され、説得力を伴って心に響いた証左であろう。

ワールドカップがもうすぐ始まる

カタール・ワールドカップの日本代表メンバーが発表された。
考えてみれば、もう開幕まで20日を切っている。間近なんだな。

選ばれたメンバーについて、個人的には特段の感想はない。
毎回、サプライズ選出が話題になるが、今回はサプライズ落選についてちょっと騒がれただけ。でも、それほど大したことではなく、ふーんという感じ。
それよりも、協会も、監督も、選手も、「ベスト8を目指す」「いや、ベスト8以上を目指す」と高らかに息巻いているが、「事前に口でほざくのは、なんと簡単なことか」と改めて思ってしまう。誰でも言えるわけである。まさに、言うは易く行うは難し。

例えば、これがアトレティコの名将シメオネだったら、こう言うだろう。
「目の前の試合に勝つことに集中する。一試合一試合、すべての試合において全精力を賭けて戦う。」

これなんだよな。これぞ歴戦の勇士の指揮官。慎重かつ重厚な言葉だ。
片や、ベスト8に入ったことない国の監督が、軽々しく「ベスト8」。
片や、選手としてベスト8の経験があり、監督としてチャンピオンズリーグ準優勝、ラ・リーガ優勝の経験のある人物が「目の前の試合」。
虚勢を張らず、現実を直視。一つ一つ勝利を重ねていけば優勝に辿り着くという確信的理論と信念。
私なんかは、協会はともかくとして、「森保監督が言うべきは、これじゃねえの?」と思ってしまうわけ。(協会が高い目標を掲げ、監督やチームにプレッシャーを与えるのは正しい)
それともなにかい、世間の注目を気にして、つい風呂敷を広げちゃうわけかい?


以前にも同じことを述べたことがあるが、私の期待は、「華々しく撃ち合いに臨み、華々しく散ってしまえ」だ。
日本はチャレンジャーであり、世界から見ればアウトサイダーである。優勝なんか絶対に出来ない。どこかのステージで必ず負けておしまいになるわけだ。
だからこそ、相手の頬に強烈な張り手の一発をぶちかまし、世界を驚かせ、相手を本気にさせ、ガチの殴り合いをしてほしい。「守って守って、引き分け狙い」なんてくそくらえ。現実的にはそれが有効なオプションであったとしても。

前回のワールドカップのグループリーグ最終戦ポーランド戦で、負けているのにも関わらず、このままならグループリーグ突破できるかも、ということで、攻めずに後方でボール回しを選択したが、あれは最悪だった。シメオネだったら、辞任に値する戦術だろう。恥を知るがよい。
で、次の決勝トーナメント1回戦のベルギー戦で、2点を先制して追いつかれ、ロスタイムで逆転されたあの試合。あの試合こそ、私が見たかったもの。日本のワールドカップ史に残るベストゲーム。あれよ、あれ。あれを見せてくれ。

国民も、「よくやったニッポン!」「感動をありがとう!」じゃダメなんだ、といい加減気がつくべきだ。
「ちくしょう、何で負けたんだ、バカヤロー!」
選手、協会、国民すべてが打ちひしがれ、悔しさを燃え上がらせる。
この積み重ねが、「ベスト8以上への道程」なのだ。

いずれにしても、日本戦に限らず、生きるか死ぬかを賭けた、激しい試合を見せてほしい。国を背負って世界一を目指す戦いは、かくも崇高で美しいのだということを、見せてほしい。


中継にネットTVのABEMAが入り込み、全試合を配信するのも、時代の流れということか。
今回に関して言えば、全試合無料ということだし、NHKや民放も大半を中継するので、何の問題もないが、そうやって優良コンテンツの放映権を巡る札束合戦に、いずれは視聴者が巻き込まれ、振り回されるのは、憂慮すべき事態と肝に銘じておかねばならない。

ま、いずれにしても、連日サッカー漬けの毎日まで、あとわずか。

1990/11/26 ウィーン5

「外国語で何て言うのか分からない」事件がまた起きてしまった。
同じ日に2度も・・。

フォルクス・オーパーの劇場で、コートをクロークに預けた。引き換えとして、預り証を受け取った。番号の記載されたカード、というか紙切れの半券だった。
終演後、コートを引き取ろうとしたら、その紙切れが見当たらない。
ポケット、財布やカードケースの中、ありそうなところをくまなく探したが、無い。

んー、これはマズイぞ。まさか失くしたか。

何度も自分の体をまさぐったが、どうしても出てこない。仕方がないので、私は諦め、クロークの係員に申し出ることにした。
すみません、引換券が見当たりません。どうやら紛失したようです・・・・

ん?? ちょっと待て。紛失した、失くした、英語でなんて言うんだっけ??
ん?? 思い出せない。なんて言うんだ? あれ? あらら~??

昼間にグリンツィングに行った時、「墓地」という単語が出てこなかったのは、それはその言葉の外国語を知らなかったからだ。知らないものはいくら考えたって浮かばない。だからどうしようもない。

今、私が探している言葉「失くした」は、明らかに学校で習い、知っている単語のはず。つまり、「ど忘れ」である。だから「何だっけ? 何だっけ?」と必死に思い出そうと頭を巡らした。しかし、どうにもこうにも出てこない。

やれやれ。中学生に笑われちゃうね。
正解はロスト。lost。loseの過去形。ロストバゲージのロスト。簡単な初級英単語だよな。

このロストがどうしても出てこなかった。焦りまくった私。身振り手振りはもう懲り懲り、イヤだ。こうなったら、何か類義語はないか、言い換えられる単語はないか、他に相手に伝わる言葉はないか・・。

一つの英単語が浮かんだ。もうこれしかないと思った。その瞬間はあながち変な言い換えではないと思った。十分にこれで伝わると思い、私は係員のおばさんに言った。

「チケット、ディサピアード  The ticket I received, disappeared・・・」

ディサピアー disappear  消える    ディサピアード disappeared  消えた

引換券は消えた・・そうなのだ。捨ててないんだから、消えたんだ。信じてくれよ~。

この時私の申し出を聞いた係員のおばさんの驚いた顔を、私は終生忘れることはないだろう。
目ん玉をひん剥き、口を開け、その顔を思い切り私の顔に近づけ、
「でぃっさぁーぴああ~~ど???」

「はああ~???? 『消えた』だって???」みたいな感じだね。

顔から火が噴いたのが分かった。恥ずかしくて、まともに相手の顔を見ることが出来ず、伏し目がちに黙ってこっくり「うん」と頷いた。穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。

心の中で呟く。
「うっせーなぁ・・・。あーそうだよ、消えたんだよ。本当に消えたんだよ。文句あっかよ。もう頼むよ。勘弁してよ。あーうぜぇ。くっそー。」

そうしている間にも、クロークはお客さんが次々とやってきて自分のコートや荷物を引き取っていき、だんだんと数が減っていった。やがて、最後にぽつんと一つ残った私のコート。

「あれですよ、あれ! 私のコート。あれです!」

他に誰も引き取りをするお客さんがいなくなり、最後、私だけが一人残っていることを確認して、ようやくコートは無事返却された。引換券ナシで。

ホテル(ペンション)に戻る道中でも、私はずっと引きずり、落ち込んでいた。
またブツブツと呟く。
「ちくしょう。なんてこった。こんなことになるとは。ホント恥ずかしい。しかも、一日に2度もだ。あーイヤだ。で、結局『失くした』ってなんて言うんだよぉ~・・・」

突然頭に灯りがポッと点灯した。
「ロスト・・ロストだ。そうだよ、ロストだよ・・」
「くっそー、何だよ、何でロストが出てこないんだよ。何であの時出てこなくて、今思い出すんだよ。ったくもう・・。」


ホテルの部屋に戻った。上着を脱ぎ、ポケットの中から財布などの小物類を取り出した。
そのうちの一つ、手帳を取り出した時、そのページとページの挟み込んだ間から、ひらひらと一枚の紙切れが舞い落ちた・・・。

「あ”あ”ぁーー! ぐあぁ~~! ■●※§々∀▲っっっ!!!!!」

とりあえず、ベッドに八つ当たりで蹴りをぶっ込んだ。

1990年11月のウィーン旅行記、おわり。

1990/11/26 エフゲニー・オネーギン

1990年11月26日   ウィーン・フォルクス・オーパ
チャイコフスキー  エフゲニー・オネーギン
指揮  アルフレッド・エシュヴェ
演出  ハリー・クプファー
アドリアンヌ・ピエチョンカ(タチヤーナ)、リオバ・ブラウン(オルガ)、ボー・スコウフス(オネーギン)、アドルフ・ダラボッツァ(レンスキー)、ヤニュシュ・モナルツァ(グレーミン公爵)   他


改めて見ると、なかなかすごいプロダクションである。
フォルクス・オーパーと言えば、レハールヨハン・シュトラウス、カールマンなどのオペレッタを中心にした演目が人気の大衆劇場。世界に誇るオペラの殿堂「ウィーン国立歌劇場」とは比べ物にならず、そもそも志向性が異なる。
その劇場で、この演目、この演出家、そしてこのキャスト。
十分に意欲的であり、魅力的であり、そしてある意味意外でもある。

これ、あらかじめ狙って観たのではない。ウィーンに行き、何かやってないかを現地で調べ、この日シュターツオーパーでもムジークフェラインでも特別に観たい・聴きたいと思う公演が見当たらず、「まあ、フォルクスでもいいか・・」みたいな感じでチケットを買ったのだ。

実際、この当時、指揮者もピエチョンカもスコウフスもまったく知らなかった。後になって「あれー!? ピエチョンカだったんだ!? スコウフスだったんだ!? すごいじゃん」と驚いた次第。リオバ・ブラウンも十分に名歌手。モナルツァだって、国立歌劇場の脇役を固める常連の人物となっていく。

ピエチョンカは、ここフォルクス・オーパーから本格キャリアをスタートさせたと聞く。どんな歌手、演奏家でも、駆け出しの頃というのは必ず存在する。その過程の一端を垣間見ることが出来たのは、幸運だった。
ただし、あくまでも後から振り返っての話ではあるが・・・。

さすがに、ハリー・クプファーの名前だけは知っていた。
バイロイトに登場し、世界をあっと言わせ、一躍名を馳せた革新演出家。
なので、どんな舞台になるのかは、興味津々。
一方で、普通の演出、オーソドックスな演出であってほしいとも思っていた。
私はまだオペラ初心者。生鑑賞は両手で数えられるほど。前日と前々日にシュターツオーパーで観たボエームとマイスタージンガーは、伝統的なオーソドックスタイプで十分満足した。それでいいのだ。
というわけで、クプファー、実は内心恐る恐るという感じだった。


心配は杞憂だった。さすがはクプファー。刺激的であり、衝撃的な舞台だった。
いや、今なら別にそれほど衝撃的ではない。欧州の読替演出は過激の一途を辿っており、目を覆わんばかりの舞台も珍しくない。今の私はそういう演出を見慣れてしまっている。この舞台も、今観ればむしろ「比較的穏当な演出」と感じるだろう。

だが、この時は目を見張った。と同時に、恐れていた「よく分からない変な読替え」というほどでもなく、ホッとした。

舞台は極限にシンプル化。パステルカラーの淡い色調で統一。背景を表す絵も、建物や部屋などの装置もない。
中央にブランコが見える。幼い少女たちがこれに乗り、遊んでいる。

そうか! 分かった。
これは思い出、昔の追憶なのだ。現実ではない。すべて夢の中の出来事なのだ。

なるほどー、こういう舞台表現の方法があるのか・・・。感心した。


演奏面においても、予想を上回る好演だった。シュターツオーパーの二公演を聴いた後だったので、図らずもレベルの違いを目の当たりにし、がっかりするのではないかという事前の不安もあったが、そんなこと全然無かった。フォルクス・オーパー、結構なレベルじゃんか。
そこらへん、さすがにウィーン。音楽の都の面目躍如というわけだな。


人生初のウィーンでのオペラ・コンサート鑑賞は、以上をもって終了。
ああ、終わってしまった・・・。
まだ海外旅行経験に乏しかった中、感動でバッチリ思い出を刻んだ物もあれば、「ちょっと失敗だったな、もうちょっと上手くやってもよかったな」と思う反省点もあった。

とりあえず、この次はやっぱりムジークフェラインでウィーン・フィルを聴きたい。
飛び込みで、たまたまやっている物を鑑賞するのではなく、きちんとリサーチし、真に聴きたいものを聴くべきなのだ。
マーラーのお墓参りのリベンジもしなくちゃ、だしな。
また来よう、ウィーン。いつか必ず・・・。

このように決意しながらフォルクス・オーパーの劇場を後にしようとした時、最後の最後にちょっとした事件が起きた。
終わったと思ったら、まだ終わっていなかった・・・。

バレンボイムの代役はティーレマン

病気療養のため、当分の間音楽活動を休止すると宣言したバレンボイム
日本のクラシックファンにとっては、さしずめ12月に予定されているシュターツカペレ・ベルリンとの来日公演がいったいどうなるのかが最大の関心事であったが、このたびC・ティーレマンが代理を引き受けて指揮することが主催者から正式に発表された。

うーーん、なるほどそうきたか・・・。

私はてっきり公演そのものが中止になると思っていた。

これは、ただのシュターツカペレ・ベルリンのコンサートではない。
バレンボイムが振る”シュターツカペレ・ベルリンのコンサートである。指揮者バレンボイムこそが公演の目玉であり、聴衆は彼の出演に対して高い金を払う。
指揮者というのは、いわばオーケストラの顔だ。誰が振るかによって、チケットの値段も変わってくるし、売れ行きも変わってくる。「誰だっていい」ということは決してないわけである。

ましてやバレンボイムは、今や指揮者界の中でも大御所中の大御所。彼の代わりを堂々と務められる指揮者は、世界中を探しても2、3人しかいない。そこらにいる指揮者では、高い金を払ったお客は絶対に納得しないだろう。

ところが、今回、その2、3人のうちの一人が代わりを務めることになったのだから、これはもう唸るしかない。

もちろん、中には「ティーレマンになってがっかり」というアンチもいるだろう。ファン側には好みというのがあり、「聴きたい」「聴きたくない」という思いを勝手気ままに抱く権利がある。当然のことだ。
だが、実際問題として、他にバレンボイムの代わりを務められる人がいないのは厳然たる事実。そこはもう受け止めるしか無い。むしろ、「よくティーレマンを確保できたな」と素直に評価すべきではなかろうか。

ティーレマンは、12月の来日公演だけでなく、今月、ベルリン州立歌劇場の「新リング」プレミエ上演も代役を引き受けた。バレンボイムが直々に依頼したという噂も聞く。
そうなってくると、いよいよベルリン州立歌劇場とSKBのポストもバレンボイムから禅譲されるのではないかという憶測がにわかに湧き上がってくる。ティーレマンにとって、ベルリンは出身地でもあるし、ドレスデンの契約も終わるし、決して悪い話ではないと思うが・・・こればかりは政治的な面もあり、双方の駆け引きもあるだろうし、一寸先は闇だ。


いや、その前に、まずはバレンボイムの健康状況の回復を祈ろう。
先日、ちょうどNHK-BSのプレミアムシアターでバレンボイムの特集が組まれ、病に倒れた後に復帰した今年8月のザルツブルク音楽祭公演(ウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラ)のライブ収録が放映されたが、やはりバレンボイムは相当に弱々しかった。
辛うじて立って指揮していたし、必要最低限のタクトを振っていたが、音楽を自在かつ縦横無尽に操るには程遠かった。かつての勇猛果敢な指揮ぶりを知っているだけに、余計に衰えが目立った。

病というのはかくも残酷だが、それでも医学の力と、本人の頑張りと、神様の思し召しによって、これを克服することも出来る。
それまで「いったいそのパワーはどこから生まれてくるのか」と驚嘆するくらい元気に活躍していたバレンボイム。音楽だけでなく、世界平和にも少なからずの貢献を果たした氏に対し、神様がささやかな奇跡を授けたとしても、何の不思議もない。