クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

1990/11/26 エフゲニー・オネーギン

1990年11月26日   ウィーン・フォルクス・オーパ
チャイコフスキー  エフゲニー・オネーギン
指揮  アルフレッド・エシュヴェ
演出  ハリー・クプファー
アドリアンヌ・ピエチョンカ(タチヤーナ)、リオバ・ブラウン(オルガ)、ボー・スコウフス(オネーギン)、アドルフ・ダラボッツァ(レンスキー)、ヤニュシュ・モナルツァ(グレーミン公爵)   他


改めて見ると、なかなかすごいプロダクションである。
フォルクス・オーパーと言えば、レハールヨハン・シュトラウス、カールマンなどのオペレッタを中心にした演目が人気の大衆劇場。世界に誇るオペラの殿堂「ウィーン国立歌劇場」とは比べ物にならず、そもそも志向性が異なる。
その劇場で、この演目、この演出家、そしてこのキャスト。
十分に意欲的であり、魅力的であり、そしてある意味意外でもある。

これ、あらかじめ狙って観たのではない。ウィーンに行き、何かやってないかを現地で調べ、この日シュターツオーパーでもムジークフェラインでも特別に観たい・聴きたいと思う公演が見当たらず、「まあ、フォルクスでもいいか・・」みたいな感じでチケットを買ったのだ。

実際、この当時、指揮者もピエチョンカもスコウフスもまったく知らなかった。後になって「あれー!? ピエチョンカだったんだ!? スコウフスだったんだ!? すごいじゃん」と驚いた次第。リオバ・ブラウンも十分に名歌手。モナルツァだって、国立歌劇場の脇役を固める常連の人物となっていく。

ピエチョンカは、ここフォルクス・オーパーから本格キャリアをスタートさせたと聞く。どんな歌手、演奏家でも、駆け出しの頃というのは必ず存在する。その過程の一端を垣間見ることが出来たのは、幸運だった。
ただし、あくまでも後から振り返っての話ではあるが・・・。

さすがに、ハリー・クプファーの名前だけは知っていた。
バイロイトに登場し、世界をあっと言わせ、一躍名を馳せた革新演出家。
なので、どんな舞台になるのかは、興味津々。
一方で、普通の演出、オーソドックスな演出であってほしいとも思っていた。
私はまだオペラ初心者。生鑑賞は両手で数えられるほど。前日と前々日にシュターツオーパーで観たボエームとマイスタージンガーは、伝統的なオーソドックスタイプで十分満足した。それでいいのだ。
というわけで、クプファー、実は内心恐る恐るという感じだった。


心配は杞憂だった。さすがはクプファー。刺激的であり、衝撃的な舞台だった。
いや、今なら別にそれほど衝撃的ではない。欧州の読替演出は過激の一途を辿っており、目を覆わんばかりの舞台も珍しくない。今の私はそういう演出を見慣れてしまっている。この舞台も、今観ればむしろ「比較的穏当な演出」と感じるだろう。

だが、この時は目を見張った。と同時に、恐れていた「よく分からない変な読替え」というほどでもなく、ホッとした。

舞台は極限にシンプル化。パステルカラーの淡い色調で統一。背景を表す絵も、建物や部屋などの装置もない。
中央にブランコが見える。幼い少女たちがこれに乗り、遊んでいる。

そうか! 分かった。
これは思い出、昔の追憶なのだ。現実ではない。すべて夢の中の出来事なのだ。

なるほどー、こういう舞台表現の方法があるのか・・・。感心した。


演奏面においても、予想を上回る好演だった。シュターツオーパーの二公演を聴いた後だったので、図らずもレベルの違いを目の当たりにし、がっかりするのではないかという事前の不安もあったが、そんなこと全然無かった。フォルクス・オーパー、結構なレベルじゃんか。
そこらへん、さすがにウィーン。音楽の都の面目躍如というわけだな。


人生初のウィーンでのオペラ・コンサート鑑賞は、以上をもって終了。
ああ、終わってしまった・・・。
まだ海外旅行経験に乏しかった中、感動でバッチリ思い出を刻んだ物もあれば、「ちょっと失敗だったな、もうちょっと上手くやってもよかったな」と思う反省点もあった。

とりあえず、この次はやっぱりムジークフェラインでウィーン・フィルを聴きたい。
飛び込みで、たまたまやっている物を鑑賞するのではなく、きちんとリサーチし、真に聴きたいものを聴くべきなのだ。
マーラーのお墓参りのリベンジもしなくちゃ、だしな。
また来よう、ウィーン。いつか必ず・・・。

このように決意しながらフォルクス・オーパーの劇場を後にしようとした時、最後の最後にちょっとした事件が起きた。
終わったと思ったら、まだ終わっていなかった・・・。