クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2021/11/19 蔵王

「山形に行こう。温泉に行こう。米沢牛食おう。」
自分としては、山形交響楽団のコンサートに引っ掛けた国内小旅行なのだが、このように弟くんを誘うと、まんまと話に乗ってきた。金曜日は普通の平日だったが、無事に休暇も取れたらしい。

次に、「さて、じゃあどこの温泉に行こうか」と話を向けると、弟くんは即答で言った。
蔵王!」
まあ、おそらく山形で温泉といったら、彼は真っ先にそれが浮かんだのだろう。

ふーむ、蔵王ねぇ・・・。
何を隠そう、私は以前に行ったことがある。随分の昔だが。スキーでね。
有名な樹氷の景観は、本当に見事だった。どうせ蔵王に行くのなら、樹氷があった方がいいんじゃないの?と思ったが、弟くんは「別になくてもいい」という。私は行ったことがあっても、弟くんは蔵王に行ったことがないので、せっかくのこの機会、是非行きたいとのことだった。

よっしゃ分かった。ということで、蔵王に決定。

この時期の蔵王はというと、紅葉のシーズンがほぼ終わり、本格的なスキーシーズンを目前に控えての、ちょっと谷間のような頃だった。ロープウェイも、1基(蔵王中央ロープウェイ)は整備期間で運行休止。
せっかくなので、運行していた蔵王ロープウェイに乗って丘に登る。天気が良くて、見晴らしはなかなか良い。

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午後4時にお宿に到着。これから明日の朝までは、ひたすら温泉に入って、食って、また温泉に入って、を繰り返します。

2021/11/17 エフゲニー・キーシン ピアノリサイタル

2021年11月17日  エフゲニー・キーシン ピアノリサイタル   サントリーホール
バッハ(タウジヒ編)  トッカータとフーガ ニ短調
モーツァルト  アダージョ ロ短調
ベートーヴェン  ピアノソナタ第31番
ショパン  マズルカ集より、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ


いやあ、凄かった。唖然とするくらい凄かった。このピアニストが凄いということはとっくに知っていたが、やっぱり凄いことを再認識したリサイタル。

キーシン、今、絶頂期、全盛期を迎えているのではないだろうか。(今年に恩師を亡くし、本人は失意の中にいるのかもしれないが。)

世界最高のピアニストといえば、現役ではポリーニアルゲリッチの二人が既に称号を得て、長らくその地位に君臨している。二人とも80歳近くになり、円熟期を迎えているが、残されている録音も含め、これまでに蓄積された実績が物を言い、依然として世界最高と崇められている。

しかし、技術と音楽性の両面で現在最高潮を迎えているピアニストというのなら、私は躊躇なくキーシンを推す。
(もしかしたら、今ヨーロッパで大絶賛されているグレゴリー・ソコロフが名乗りを上げるかもしれないが、大変残念なことに、私はまだ聴いたことがない。)

私は以前、キーシンの演奏を聴いて、「現代のリヒテル」と評し、ブログに書いたことがある。
自分としては、最大級の褒め言葉のつもりだった。
本人からすれば、どうだろう。目指しているのは唯一無二で、誰かの二番目ではないと、喜ばないかもしれない。

それでも私は敬意を込めて、「現代のリヒテル」と呼ばせていただきたい。理由がある。

言うまでもなく、リヒテルは伝説のピアニスト。
で、キーシンもまた、将来いつか、伝説のピアニストと称され、語り継がれる可能性がある。私はそう睨んでいる。
それともう一つ。
私はリヒテルの生演奏を聴いている。もう30年以上も前のこと。
キーシンのステージ上の姿を見ると、その佇まい、オーラがリヒテルを彷彿とさせるのである。二人とも求道者のような風格が備わっている。

共通していると思われる点がまだある。
演奏の中に、パッションや天才の閃きとは異なる、突き詰められた論理の展開が見える。披露されるのは、とことん考え抜かれた完成形だ。
こうした究極さを併せ持つイメージも、リヒテルに似ていると思うのである。

そのリヒテルがもし今のキーシンの演奏を聴いたら、どう思うだろう。
「後継者が出現した」と喜んでくれるのではないかな。

「オレと肩を並べようだなんて、いい度胸してるじゃねーか」だったりして(笑)。

2021/11/14 東響

2021年11月14日   東京交響楽団   ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮  クシシュトフ・ウルバンスキ
合唱  新国立劇場合唱団、東京少年少女合唱隊
弓新(ヴァイオリン)、盛田麻央(ソプラノ)、彌勒忠史(カウンターテノール)、町英和(バリトン
シマノフスキ  ヴァイオリン協奏曲第1番
オルフ  カルミナ・ブラーナ


ウルバンスキが東響を振ったのを私が初めて聴いたのは、2011年6月。シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第2番(ソロ:諏訪内晶子)、メインがショスタコーヴィチ交響曲第10番というプログラムだった。

今でも覚えている。実に鮮烈な演奏だった。
「あれからもう10年も経ったのか・・・」
何だか感慨深い。

彼が東響を初めて振ったのは、これよりも更に2年前の2009年だという。
つまり東響は、当時まだ20代そこそこだったこの若き俊英に大いなる可能性と魅力を見出し、以後、何年かに一度ずつのタイミングで招聘を続けてきたのであった。

これはなかなか目ざといと言えよう。
私自身も、この若者がただならぬ才能を秘めていることは、その時感じ取れた。「どこかに持っていかれる前に、今、唾つけちゃえ!」と、当時のブログに書いたのだった。

10年経ってもまだ30代の若さということもあって、切れ味抜群のタクトは相変わらず健在だ。一言で言い表すのなら「冴え」。

特に、カルミナの扱い方、音楽の作り方が絶妙絶品で、唸る。
ご存知のとおり、この曲は合唱が肝となっていて、ある意味、声の迫力を駆使して賑やかに表情豊かに演奏しさえすれば、血沸き肉踊り、聴き手のハートはバッチリ捉えられる。

ところが、コロナの影響で、こうした大合唱団を揃えられない。

こうしたピンチに動ぜず、むしろチャンスに変換できるのが、ウルバンスキの才能であり実力だ。
大きいとは言えない合唱の編成に合わせてオーケストラのバランスを緻密に整えながら、精度を上げ、ニュアンスを巧みにしてコントロール
効果はてきめんで、各声部がくっきりとクリアに浮かび上がる。
一方で、迫力を削ぐことなく、パンチの効いたダイナミクスを繰り広げる。
実に見事な仕事ぶりであった。


それにしてもカルミナ・ブラーナ、本当にいい曲。なんて楽しいんだろう。
大合唱作品の演奏が困難な中、安易に曲目変更せず、よくぞやってくれた。大感謝。
きっと主催者・関係者は、厳しい状況下であっても「ウルバンスキなら、なんとかしてくれる。制約の範囲下でも必ず仕上げてくれる」という信頼を寄せていたのだと思う。


コンチェルトを演奏した弓新さん。
最初、中国人キュー・シンさんかと思ったよ(笑)。
「ゆみ」さんだなんて、ヴァイオリニストとして出来すぎ。本当に本名?
なんて失礼なことを言ってごめんなさい。
この日の演奏、ソリストとしての強烈なオーラはあまり感じなかったけど、シマノフスキ作品の良さを感じることが出来た。
私の場合、「ああ、いい曲だなあ」と作品の魅力を感じ取ることが出来た時、それはすなわち良い演奏だったと認めることにしている。
よって、オーケー、ブラヴォー。

2021/11/13 ニッセイオペラ カプレーティ家とモンテッキ家

2021年11月13日   ニッセイオペラ   日生劇場
ベッリーニ  カプレーティ家とモンテッキ家
指揮  鈴木恵里奈
演出  粟國淳
管弦楽  読売日本交響楽団
山下裕賀(ロメオ)、佐藤美枝子(ジュリエッタ)、工藤和真(テバルド)、須藤慎吾(ロレンツォ)、狩野賢一(カペッリオ)


ノーマークだったが、新たな才能を発見してしまった。
ロメオ役の山下裕賀さん。大器へと変貌する可能性を伺わせる見事な歌唱だった。
歌もそうだが、佇まいが良い。舞台に立っている姿が凛として、落ち着いている。(ロメオという男性役だったから、というのもあるだろうが。)

よくいるじゃないか。「私、一生懸命歌ってます、演技してます」が前面に出ちゃう歌手。
そういうのを感じさせちゃダメなんだよな。
で、山下さんは、スッと物語の中に入り込んでいて、歌手じゃなくてロメオになっている。

また、声のコントロールが上手い。技術がしっかりしているんだと思う。
特にヴィブラートの波長が絶妙。ジュリエッタ役の佐藤さんのヴィブラートが私にとってはちょっと押し付けがましい感じがするので、なおさら山下さんのが心地良く響く。

今回の公演で、私はしっかりとその名を覚えました。これからのご活躍、祈念します。
ていうか、海外に出なよ。中村恵理さんみたいに。あなたならやれるよ、きっと。保証はしませんが(笑)。


指揮の鈴木恵里奈さん。あー、一昨年、新国立劇場研修所公演の「イオランタ」振った人だね。覚えていますよ。
こうしてオペラ公演に携わり、オペラ指揮者として着実にキャリアを積んでいるのは素晴らしい。
ただ、日本の場合、管弦楽に比べ、オペラ文化は根付いているとは言えない。演目もプロダクションも限定されるし。
いっそのこと、あなたも海外に出たら?
劇場叩き上げ指揮者の道。厳しい世界だとは思いますが。


国内オペラですっかりお馴染み、粟國さんの演出。
壁があり、剣のオブジェがかかっており、その壁を真っ二つに割りながら舞台にする装置。
はいはい。いがみ合っている両家の対立、そして引き裂かれた愛し合う二人の象徴化。
分っかりやすいねー。
ま、でもこれくらいの穏当な演出が、日本人向けとしては適しているんでしょうねぇ。いいでしょう、いいでしょう。

2021/11/11 ウィーン・フィル2

2021年11月11日  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団   サントリーホール
指揮  リッカルド・ムーティ
モーツァルト  交響曲第35番「ハフナー」
シューベルト  交響曲第8番「ザ・グレート」


前回記事でウィーン・フィルの演奏に相応しい表現として、私は「風格」と「薫香」という言葉を用いた。
今度は、ムーティがタクトを振るウィーン・フィルとの関係について、相応しい言葉を探してみたい。

簡単に見つかった。

「盤石」、そして「鉄壁」。
もう、これに尽きるんじゃなかろうか。

ムーティウィーン・フィルの間には、50年という熟成の歳月を経て、阿吽の呼吸が完全に出来上がってしまった。
ムーティ自身が年齢的に円熟しているというのもあるが、オーケストラをいちいちグイグイ引っ張らない。オーケストラはマエストロのやりたいことを分かっており、だからグイグイ引っ張る必要がない。

極論かもしれないが、ムーティがやっていることは、もしかしたらエッセンスの投入だけかもしれない。それで、あの名演が生まれる。
これぞ「盤石」、「鉄壁」たる所以なのだ。

こうした名人芸が生まれる要因は、実はプログラムにもある。
この日演奏されたのは、モーツァルトシューベルト、アンコールでヨハン・シュトラウス。いずれもオーストリアの作曲家だ。要するに、ウィーン・フィルの十八番。
思い出すのは、ムーティニューイヤーコンサートに招かれた時、「これらの音楽はあなた達の物。だから、私は学ばせてもらう立場」と語ったというエピソード。
天下無双、皇帝と称されるムーティだが、実はこうした謙虚さ、懐の大きさを併せ持つ。
で、その懐の大きさが、イコールそのまま音楽の雄大さに繋がっているのだ。

一方で、この日の演奏で見られたような盤石さというのは、一歩間違えば予定調和化し、スリリングさを欠いてしまうという危険性が孕む。
もし、私がこの日の演奏だけを鑑賞したとしたら、もしかしたらそのような感想を抱いたかもしれない。

だが、私は聴いているのだ。3日前のアンコールで演奏された、目眩を起こすほどの鮮烈なヴェルディを。
だから心配する必要は無し。この日は、モーツァルトシューベルトの確立された作品の様式美をオーソドックスに楽しめれば、それでいい。

奇を衒わない王道の演奏。よく考えてみれば、これもまたウィーン・フィルの十八番と言えるのではないだろうか。

2021/11/8 ウィーン・フィル1

2021年11月8日  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団   サントリーホール
指揮  リッカルド・ムーティ
シューベルト  交響曲第4番「悲劇的」
ストラヴィンスキー  妖精の口づけより ディヴェルティメント
メンデルスゾーン  交響曲第4番「イタリア」


外来オケの演奏をこれまでに何百回も聴いてきた。外来オケを含めたクラシックやオペラの公演に足を運んだ回数は、優に2千回を超える。
だから、どんな演奏だったのかについては、感じたこと捉えたこと、それなりに雄弁に語ることが出来る、そう思っていたし、勝手に自負していた。

ところが、である。
久しぶりの外来オーケストラ公演で、それが天下のウィーン・フィル
圧倒されちゃったのであった。
「いやー、まいった」とか「うーん、すごい」みたいに唸っちゃってさ、悲しいくらい美辞麗句の形容詞が出てこないんだ。
これでは「良かった~!」などと言って喜んでいるライトな人たちと何も変わらない。
いやー、まいった(笑)。

情けないし、それではブログ記事に何も書けないので、必死に何か言葉を探し、ようやく2つの単語を見つけ出した。

「風格」と「薫香」。

いずれもウィーン・フィルの魅力について言い表す的確な言葉で、既に用いたことがある人もいるかもしれない。
でも、この日の公演の感想として、これ以上に相応しい言葉は私には見つからない。

風格については、ステージに居並ぶエリート奏者達の演奏する姿を見渡せば、すぐに目に見えて分かる。
クラシック界を牽引し、本場本物のハイグレードな演奏を披露する使命感に溢れた、強烈なプライド。これらが滲み出ている。

そして薫香。
本来目に見えないものなのに、聴覚を通じて視覚化された、沸き立つ甘美。
ウィーン・フィルは「伝統のサウンド」などと言われるが、抽象的でイマイチよく分からない。
でも、聴けば分かる。プンプン香ってくるし、見えてくる。
その意味が分からない人には、会場に連れて行き、聴かせ、「ほら、これだよ」と指し示せばよい。「なるほど、これか!」と必ず納得する。
それがウィーン・フィルの薫香、伝統のサウンドなのだ。


今年がウィーン・フィルデビュー50周年だというムーティ
80歳になってもなお壮健なマエストロについては、もう一つのプログラムの公演に行ってから、合わせて記事にしてみることにしたい。

圧倒されて、再び「いやー、まいった」になっちゃったりして(笑)。

今月は盛りだくさん

明日、いよいよウィーン・フィルのコンサートに出陣だ。外来オーケストラの来日公演が依然として困難な中、こうして世界最高のオーケストラ(の一つ)が昨年に続きまた来てくれたのは、本当にありがたいこと。感謝しかない。80歳のムーティ先生も相変わらずお元気みたいだし、楽しみである。

さて、話は変わるが、実は私、昨年に今の職場での勤続30周年という節目を迎えた。
で、我が社では永年勤続表彰というのがあって、別にただ長く勤めただけで偉くも何ともないのだが、これによって特別休暇を貰える。5日も、だ。有効期間は来年1月まで。
なかなか良い福利厚生制度だねー。
もっとも、それくらいの年齢の連中はそれなりに責任あるポストに就いている人が多く、いざ休暇を貰っても立場上なかなか休めないという人が、現実的には結構多いようだ。

私であるが、わりぃけど権利を行使し、ありがたく休ませてもらう。当然。

本当だったら、海外遠征の絶好の機会だった。こんなチャンスはない。長期で海外に行こうとしたら、タイミングはゴールデンウィーク、夏休み、年末年始くらいしか無いわけで、普通のウィークデーに正々堂々と「ちょっくら海外旅行してくる。あとはよろしく~」と言い張れる大チャンスだった。

そういう意味では運が悪かった。
が、とにかく仕方がないこと。世界中が困難に直面しているわけだし、諦めはつく。

ということで、何か海外旅行以外でこの絶好の機会、節目となる一生に一度のこの休暇をどうやって使い、過ごそうか、一生懸命考えました。

最初に思い付いたのは、音楽鑑賞とはまったく関係ない、ごく普通の旅行をしようか、ということ。コロナの状況も落ち着いており、行くのなら今だ。

実は私、大学時代に体験ダイビングやシュノーケリングをやったことがあって、ならばと、久しぶりに沖縄など南国の島に行ってみようかと思い付いた。ビーチリゾートでのんびり長年のお勤め生活の疲れを癒す。いいねー。

そしたら、例の軽石の漂着問題ときたもんだ!
軽石の件がなくても、リゾート地は天候に左右されやすい。天気が悪いと、お金をかけて何しに行ったのか分からなくなる。
ということで、あえなく断念。

結局、やっぱり、オイラらしく、音楽鑑賞を絡めた旅行をしようと決めた。
7月に鹿児島に行ったみたいにさ。

それでは、計画をここで発表しよう。

まず、11月20日に山形で山形交響楽団(阪哲朗指揮)を聴く。その前後2泊3日で、温泉に行き、山形観光し、米沢牛を食ってくる。弟くんとの二人旅。
次に、翌週関西に行って、11月27日に兵庫芸術文化センター管弦楽団ユベール・スダーン指揮)、28日に関西二期会ヴェルディオテロ」)を聴く。これは単独行。
それらの間にも、23日に東京佼成WO、24日に新国立「マイスタージンガー」、25日にN響ルイージ指揮)を挟み、大阪から帰ってきた翌日29日に新日本フィルデュトワ指揮)、という豪華(?)ラインナップ。どうだ!

山響、兵庫芸文オケを聴くのは初めて。
コロナの影響で海外に行けなくなって以来、その代わりに、広響、九響、OEK、名古屋フィルといったオケを、本拠地まで出掛けて聴いてきた。今回もその一環になりそう。
本来なら、別に地方に出掛けなくても、いくつもある在京オケを聴けばそれで十分なのだが、泊まりがけにして旅行気分を味わいつつ、コンサート会場に足を運ぶのは、なかなか楽しい。海外に行けないからなおさらだ。

「今回が初めて」というのが、実はもう一つある。
山響にソリスト出演する辻彩奈さん、兵庫芸文オケにソリスト出演する竹澤恭子さん。日本を代表するヴァイオリニストである彼女たち、何を隠そう、私はまだ一度も生で聴いたことがないのであった。
特に竹澤恭子さんはキャリアが長いのに、一度もないとは、びっくりするくらい意外。なんでだろう。これまで不思議とチャンスが無かったとしか言いようがない。

なにはともあれ、こうして私のヴァカンス計画は整った。
今月は冒頭に書いたとおり、ウィーン・フィルがあり、それ以外にもニッセイオペラ「カプレーティ家とモンテッキ家」があり、キーシン・リサイタルがあり、とにかく盛りだくさん。

思い出深い、濃厚な月間になりますように。
でも、楽しいことはあっという間に過ぎ去る(笑)。