2021年11月17日 エフゲニー・キーシン ピアノリサイタル サントリーホール
バッハ(タウジヒ編) トッカータとフーガ ニ短調
モーツァルト アダージョ ロ短調
ベートーヴェン ピアノソナタ第31番
ショパン マズルカ集より、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ
いやあ、凄かった。唖然とするくらい凄かった。このピアニストが凄いということはとっくに知っていたが、やっぱり凄いことを再認識したリサイタル。
キーシン、今、絶頂期、全盛期を迎えているのではないだろうか。(今年に恩師を亡くし、本人は失意の中にいるのかもしれないが。)
世界最高のピアニストといえば、現役ではポリーニ、アルゲリッチの二人が既に称号を得て、長らくその地位に君臨している。二人とも80歳近くになり、円熟期を迎えているが、残されている録音も含め、これまでに蓄積された実績が物を言い、依然として世界最高と崇められている。
しかし、技術と音楽性の両面で現在最高潮を迎えているピアニストというのなら、私は躊躇なくキーシンを推す。
(もしかしたら、今ヨーロッパで大絶賛されているグレゴリー・ソコロフが名乗りを上げるかもしれないが、大変残念なことに、私はまだ聴いたことがない。)
私は以前、キーシンの演奏を聴いて、「現代のリヒテル」と評し、ブログに書いたことがある。
自分としては、最大級の褒め言葉のつもりだった。
本人からすれば、どうだろう。目指しているのは唯一無二で、誰かの二番目ではないと、喜ばないかもしれない。
それでも私は敬意を込めて、「現代のリヒテル」と呼ばせていただきたい。理由がある。
言うまでもなく、リヒテルは伝説のピアニスト。
で、キーシンもまた、将来いつか、伝説のピアニストと称され、語り継がれる可能性がある。私はそう睨んでいる。
それともう一つ。
私はリヒテルの生演奏を聴いている。もう30年以上も前のこと。
キーシンのステージ上の姿を見ると、その佇まい、オーラがリヒテルを彷彿とさせるのである。二人とも求道者のような風格が備わっている。
共通していると思われる点がまだある。
演奏の中に、パッションや天才の閃きとは異なる、突き詰められた論理の展開が見える。披露されるのは、とことん考え抜かれた完成形だ。
こうした究極さを併せ持つイメージも、リヒテルに似ていると思うのである。
そのリヒテルがもし今のキーシンの演奏を聴いたら、どう思うだろう。
「後継者が出現した」と喜んでくれるのではないかな。
「オレと肩を並べようだなんて、いい度胸してるじゃねーか」だったりして(笑)。