クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2002/4/30 レヴァークーゼン

もし「バイヤー・レヴァークーゼン」というブンデスリーガのクラブがなければ、私は「レヴァークーゼン」というドイツのローカル市の存在、名前を知ることはなかったかもしれない。
アスピリンを製造している世界的な医薬品・化学メーカー「バイエル」社の本拠地だと言われても、やっぱりピンと来ない。

日本で言えば、ジュビロのおかげで全国的な知名度をゲットした静岡県磐田市みたいなものか。
(なんでヤマハジュビロのホームタウンを浜松市にしなかったんだろう??)


それはいいとして、とにかく、チャンピオンズリーグ準決勝という大一番の決戦の舞台、レヴァークーゼンにやってきた。

やってきた・・はいいのだが・・・。

「ここはいったいどこ?」「ここにいったい何がある?」みたいな街。なんつーか、何にもないというか、本当にただの普通の街なのである。

私が下車したのは「Leverkusen mitte」という駅で、mitteというのは「中央」という意味。
だったら、ここは間違いなく街の中心部だよね?
だというのに、ヨーロッパの諸都市によく見られる、いわゆる旧市街があって、街の中心に教会があって、広場があって、みたいなエリアが見当たらないのだ。

情報不足の面は否めない。
光都市ではないので、ガイドブックに載っていないのは仕方がないとして、それでもネットでリサーチすれば、何か観光できる場所はそれなりに見つかっただろう。
でもろくに調べもしなかったわけ。

目的はサッカー観戦なのだから、観光なんかどうでもいいやみたいな気持ちが、もしかしたらあったのかもしれない。いや、多分、きっとそう。

とりあえず、ふらふらとなんの変哲もない普通の街をお散歩した。
すると・・・。
ほら、いましたいました、はるばるマンチェスターから駆けつけたサポ野郎どもが。

f:id:sanji0513:20200813190825j:plain

結局私も、お散歩は早々に切り上げ、この写真のカフェのテラスに座り、ユナイテッドサポ連中と同じようにビールを飲んで、夜の試合に向け気分の高揚に努めました。
もっとも、彼らの豪快な飲みっぷりには全然付いていけないのだが・・。

2002/4/29 ベートーヴェン・オーケストラ・ボン

2002年4月29日  ベートーヴェン・オーケストラ・ボン   ベートーヴェンホール
指揮  マーク・スーストロ
モーツァルト  ドン・ジョヴァンニ序曲
ハイドン  交響曲第103番 太鼓連打
メンデルスゾーン  交響曲第5番 宗教改革


ところでさ。みんな、このオーケストラ、知ってる?

ドイツには天下のベルリン・フィルを筆頭に、数多くのオーケストラが存在して、それぞれがしのぎを削り、存在感をアピールしているが、ベートーヴェン・オーケストラ、これだけ偉大な作曲家の名を冠しているにも関わらず、いまいちメジャーとは言い難い。

たぶんそれは、ベートーヴェンというより、ひとえにボンというローカルな街のせいだ。
ボン=凡
あ、いや、そういう意味じゃなくて(笑)。
ベルリンやミュンヘンハンブルクといったドイツを代表する大都市と比べて見劣りしてしまうのは、それはもう仕方がないこと。
オーケストラのグレードも、結局は都市のグレードに比例する傾向が見られるわけだ。

ただし、拝借したベートーヴェンの名前を上手く活用して、当時の演奏スタイルの追求など、オリジナリティに明確な路線を打ち出そうとする気概があるのなら、それはそれで共感したいところである。
例えば、ドイツ・カンマーフィル・ブレーメンの指向性なんか、とてもいい見本だろう。
(まあ、ウィーンで昔のかつらや衣装を身に着け、完全に観光客向けの演奏会を行っているウィーン・モーツァルト・オーケストラに比べれば、数百倍もマシだけどな(笑)。)


本公演の演奏がどうだったかについて、今となってはほとんど思い出すことが出来ない。
印象が残らなかったのは、まあフツーの演奏だったということなのだろう。
元々それほど期待していたわけでもなく、斜に構えてコンサートに臨んだから、というのもある。

ていうかさ、ベートーヴェン聴きたかったよなー。ボンに来たんだからさ。
頼むよ、十八番、聴かせてくれよ!

なんてな・・・。
彼らがこうして地元で演奏会をやる時、フツーの一般プログラムになるのは、ある意味当然。
おそらく彼らが外国を始め各地に演奏旅行に出かける時は、それこそ堂々とオール・ベートーヴェン・プログラムを披露するんだろうね。

思えば、今年はベートーヴェン・イヤーだ。生誕250周年。
本当なら、彼らは世界中から引く手あまただったことだろう。忙しい年のはずだっただろう。
実際、日本にも6月に来る予定だった。交響曲第5番と第7番という勝負曲を引っ提げて。

それがコロナ禍だもんな・・・。

いやあ、本当に残念無念。

2002/4/29 ボン

まず、この日の滞在場所をボンに決めた経緯から、説明させていただきたい。

当初はこの日の滞在場所を、デュッセルドルフかケルンにしようと思っていた。
両都市とも翌日に訪れるレヴァークーゼンに近い。そして、両都市とも格式高い歌劇場を有している。
このどちらかで、オペラが観られないか? きっと何かやっているだろう。
そう目論んだ。

ところが、いざ劇場スケジュールを調べてみると、これがまるで申し合わせたかのように何もやっていないことが判明した。

実は、月曜日というのは、劇場、あるいは博物館、美術館などが週休日で、閉館になることが結構多い。知る人ぞ知る事実。私は後になって知った。
ただし、「すべて必ず」というわけでもない。
今思えば、ドルトムント、エッセン、デュイスブルクミュンスターゲルゼンキルヒェンなど、ルール地方に点在するその他の中核都市の公演情報を広範にリサーチすれば、もしかしたら月曜日であっても、どこかでオペラをやっていたかもしれない。
残念ながら、この当時はまだそうした考えに及ばなかった。

いずれにしても、私はデュッセルとケルンの滞在を断念。そこで、観光目的でボンに行ってみようと思い付いた。
大のクラシックファンなのに、私はベートーヴェンの生誕地をまだ一度も訪れたことがなかった。

ん? 待てよ。
ボンには確かベートーヴェン・オーケストラがあるな。
もしかして、コンサート、やっていないかな? 調べてみよう。
えーっと・・・・
おっ、やってるじゃん!(笑) ラッキー。


こうして行き先がボンに決まった。

1999年まで旧西ドイツの首都だったが、街を歩いてみると、そうした都会らしさが感じられない。ドイツのどこにでも見られるような、ごく普通の落ち着いた街の佇まいである。

f:id:sanji0513:20200809103142j:plain

街の中心部であるミュンスター広場にそびえ立つミュンスター教会。

f:id:sanji0513:20200809103200j:plain

その広場に、ベートーヴェンの像。

f:id:sanji0513:20200809103215j:plain

ここに来た以上は訪ねなければならないベートーヴェン・ハウス。生誕の場所に設けられた博物館だ。

f:id:sanji0513:20200809103236j:plain

ただし、こうした博物館というのは、はっきり言って、たいてい面白くない。
これまでにあちこちで、たくさんの偉人や音楽家の博物館を訪れたが、どこも皆同じ。
要するに、その人がどんなに偉大であっても、「ここで産まれました」という場所とその関連の展示品には、大した関心が沸かないということ。
まあ「そこ、行ったぜ」という話のネタにはなるだろう。
それだけだな。

2002/4/28 パルジファル

f:id:sanji0513:20200807191609j:plain

2002年4月28日  ベルリン州立歌劇場(フェストターゲ)
ワーグナー・チクルスⅡ』
ワーグナー   パルジファル
指揮  ダニエル・バレンボイム
演出  ハリー・クプファー
ロバート・ギャンビルパルジファル)、ジョン・トムリンソン(グルネマンツ)、ファルク・シュトルックマン(アンフォルタス)、ワルトラウト・マイヤー(クンドリー)、ギュンター・フォン・カンネン(クリングゾル)、クワンチュル・ユン(ティトレル)   他


素晴らしい公演を追い求めて日々コンサートに通ったり、海外に出かけたり、ということを続けていると、時に「生涯忘れられない極上の名演」というものに出会う。
頻繁にあることではないが、私にも一生の宝物のような体験が、これまでに何回かある。

この日の「パルジファル」は、まさにそうした公演の一つだ。

それまで、この公演の前まで、私にとって「パルジファル」は、ワーグナーの中でも難解で、掴みどころのない、厄介な作品だった。
「清らかなる愚か者」、「“あの人”を嘲笑してしまったがゆえに、未来永劫罪を背負う」・・・。
なんのこっちゃ全然分からなかった。

無理もない。舞台神聖祝典劇なのだ。信仰に縁遠い人間にとって、この作品の根底にある概念など、そんな簡単に理解できるはずがない。

だが、私はここで作品の本質に触れてしまった。本公演が私に啓示をもたらしたのだ。
あたかも、パルジファルが叡智を得たように・・・。

それは夢のような鑑賞体験だった。今でも「夢」とでしか説明できない瞬間があった。
クライマックスの場面で、パルジファルがアンフォルタスの傷に聖槍をかざした時、感動に打ち震え、嗚咽をこらえながら、私はそこに光が差し込んでくるのを見た。演出上のライティング効果でないことは、絶対に断言できる。

もちろん、それはあくまでも私の心の目に見えただけだ。気のせいということだってあるだろう。
だけどその時、「ああ、これって、いわゆる奇跡なのかもなあ」と思った。

今、改めて、私は思う。
あの現象は、天にいるワーグナーからの祝福だったのではないか。
一挙連続上演を通じてワーグナーの真髄を詳らかにしたバレンボイムの功勲に対する祝福だったのではないか。
そんな気がするし、「そうであった」と思い込んでいる。

バレンボイムが紡いだ音楽は、あたかも大聖堂の中で鳴り響いているかのごとく、巨大かつ壮麗だった。チクルスの最終日ということで、総仕上げという意味合いもあったのだろう。
カーテンコールで、熱狂、総立ちの観客の前に姿を表したバレンボイムの表情は、達成感に満ち、実に誇らしげだった。

f:id:sanji0513:20200807191635j:plain

この日、舞台上にもう一人、偉大な人物がいた。神々しさを称えた芸術の美の体現者がいた。

クンドリーを歌ったワルトラウト・マイヤーである。

何という存在感であろうか。
荒くれ者、誘惑する魔性の女、献身的な聖女、という3つの異なるキャラクターを完璧に演じ分け、それぞれに鬼気迫るほど没入していた。
マイヤーって、歌手だよな。歌手ってこんなにも凄い演技が出来るのか?
驚嘆すべきことだったし、にわかには信じられなかった。

彼女が演じたクンドリーを見て、私は初めて気が付いた。
聖槍の奇跡は、アンフォルタスの傷の治癒だけでなく、劫罰を背負わされたクンドリーの恩赦でもあったのだ。ワルトラウト・マイヤーが、それを私に教えてくれた。


本公演が、万人が認める名演だったのかどうかは分からない。
でも、そんなことはどうでもよくて、私にとって神懸かりの演奏だったということだ。

この時の超絶体験をまた味わいたくて、2005年9月、2016年3月と、私はベルリンを再訪した。いずれもバレンボイム指揮のベルリン州立歌劇場「パルジファル」公演で、ニュープロダクションだった。

素晴らしかったことは間違いなく、特に2016年の方は深い感動に包まれた。
しかし、それでもこの2002年の神懸かり演奏の域には到達しなかった。

まあそうだろう。奇跡なんてそんなに簡単に起きるわけがない。
だからこそ奇跡なんだ。

十分である。たった1回でもそういう演奏に立ち会うことが出来たのだから。

2020/8/3 バッハ・コレギウム・ジャパン

2020年8月3日   バッハ・コレギウム・ジャパン   東京オペラシティコンサートホール
指揮  鈴木雅明
櫻田亮テノールエヴァンゲリスト)、加耒徹(バス:イエス)   他
バッハ   マタイ受難曲


バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)、今年は創立30周年という記念年なのだそうだ。
せっかくの喜ばしい年だというのに、こんな情勢になっちゃって・・・。
本公演は、本当は4月に行う予定だった。
30周年記念公演だって、5月に行う予定だった。
「まったく・・まいったよなあ・・・」みたいなボヤキが聞こえてきそうである。

もっとも、こういう厳しい時だからこそ、選ぶべき道は「原点回帰」。
考えてみれば、この原点回帰こそ、BCJの長年にわたる活動の基本軸と言っていいのではなかろうか。
BCJ以上にバッハを研究し、バッハのオリジナルを見つめ、そして極めている演奏団体は、世界中を見渡してもそうはないだろう。それくらい彼らは真摯にバッハに向き合っている。

そんな彼らのマタイを聴こうではないか。
心の扉を開け、バッハの敬虔な音楽に虚心坦懐に耳を傾けようではないか。
もうなんだか、私は今、バッハにすがりたい気持ちでいっぱいだ。

人々は困難に直面した時、神に祈る。世界が厳しい状況にあるからこそ、キリストの受難を描いたバッハの音楽は、きっと心に響く。
かつての日常が失われてしまった今だからこそ、そこに一筋の光明を見出すことが出来るかもしれないのだ。


鈴木雅明氏のタクトによるBCJのマタイは、昨年の4月にも聴いた。
今回改めて聴いてみて、感じたこと、気付いたことがある。
それは、物語が非常に劇的であるにも関わらず、その劇的さを表現するために、カンタービレの抑揚やフレーズへの感情移入といった演奏者の技法に頼ることなく、ひたすらテキストと、そのテキストに当てている音符の強調でそれを成し遂げていること。
そして、そうしたアプローチと解釈が、すべての演奏者に浸透徹底されていることだ。

鈴木さんは、見た感じはとても穏やかそうだが、こうした厳格な姿勢を伺うにつけ、やはり相当のリーダーシップ、カリスマ性を持っているのだな、と見受ける。
あるいは、作品に対する圧倒的な理解と造詣、共感がすべてを物語っている、ということだろうか。

マタイを改めて聴いて感じたこと、もう一つ。
これは物語に関することだが、キリストを糾弾し、死刑求刑へと駆り立てる群衆行動のなんと恐ろしく、おぞましいことか。
彼らは、所詮は無知で、表層的で、迎合的な大衆。
そうした集団が何かの圧力によってけしかけられた時、抑えきれないほどの衝動エネルギーが発生する。
それは、なんだか戦争へと突き進んでいく狂気の心理状態に似ていなくもない。

そうした危うさや人間の弱さを物語る一面と、穏やかな信仰心を表す静謐なコラールが、美しいコントラストを織り成す。
これぞバッハの真骨頂であり、心揺さぶられる瞬間なのだ。

2002/4/28 ポツダム

ベルリン、三度目だったことに加え、既に前日まで四日間も過ごしたことで、さすがに市内の主な観光ポイントはだいたい回った感じになった。
ということで、この日は郊外のポツダムに出掛けた。市の中心部からSバーンで約40分。

ポツダムはこの後、2016年3月にも訪れたことがあり、このブログ旅行記でも報告している。

ここの観光で気を付けなければならないのは、見どころのエリアが市内に大きく広がっていて、短時間で効率良く回るのが結構難しいということ。
ポイントを絞るのなら、プロイセン王フリードリヒの夏の居城だったサンスーシ宮殿を押さえれば、それで良い。

f:id:sanji0513:20200802112651j:plain

f:id:sanji0513:20200802112705j:plain

f:id:sanji0513:20200802112719j:plain

このサンスーシ宮殿にしても、ポツダム中央駅から2キロ以上離れた広大な敷地の中にある。バスで向かい、宮殿を見学し、庭園、中国茶館などを見て回ったら、あっという間に午前中が終わった。
本当は第二次世界大戦の戦後処理について三カ国首脳会議が催されたツェツィーリエンホーフ宮殿にまで足を延ばしたかったが、断念した。

この時のやり残しと教訓が、2016年3月の再訪へとつながっていくわけである。
宿泊滞在し、なおかつレンタサイクルで足回りの機動力を大幅にアップさせて、2002年に回りきれなかった観光ポイントを補完。何とかリベンジを果たしたのであった。


この日、昼食を取ってホテルに戻ると、私は自室のテレビの前に陣取り、スイッチを付けた。観たいテレビ番組があったので、観光を早めに切り上げたのだ。

F1グランプリ第5戦バルセロナ大会の決勝。
鈴鹿で行われる日本グランプリ以外で、たとえテレビとはいえ、現地時間のライブでF1を観られるというのは、何だか嬉しい気分。

この頃のF1界には、絶対王者が君臨していた。
フェラーリ在籍のドライバー、ミヒャエル・シューマッハー
圧倒的な強さを誇り、この年、全17戦中11戦で優勝。バルセロナ大会でももちろん優勝。

「皇帝」「サイボーグ」というあだ名まで付けられたシューマッハー
だというのに、引退後、スキー事故に会い、今もなお闘病中。意思疎通が難しい状況は変わらないそうだ。
彼にとって、なんという人生の末路であろう。
それでも、ミヒャエル・シューマッハーは、F1界の偉大なるレジェンドとして、記録においても、人々の記憶においても、ずっと残り続ける。

f:id:sanji0513:20200802112742j:plain

 

2002/4/27 ニュルンベルクのマイスタージンガー

2002年4月27日  ベルリン州立歌劇場(フェストターゲ)
ワーグナー・チクルスⅡ』
ワーグナー   ニュルンベルクのマイスタージンガー
指揮  ダニエル・バレンボイム
演出  ハリー・クプファー
ロベルト・ホル(ザックス)、ルネ・パーペ(ポークナー)、アンドレアス・シュミット(ベックメッサー)、ライナー・ゴールドベルク(ヴァルター)、ステファン・リュガメル(ダーヴィッド)、エミリー・マギー(エヴァ)、カタリーナ・カンマーローラー(マグダレーネ)   他


この日、当初のヴァルター役だったフランシスコ・アライサが急遽降板となり、代役でライナー・ゴールドベルクが出演した。

ライナー・ゴールドベルクかぁ・・・。
80年代において、世界的に活躍していた往年の歌手だ。ワーグナーの諸役で、一時期重責を担っていた。バイロイトでヴァルターを歌ったこともあるし、Bunkamuraが招聘したバイロイト音楽祭引っ越し公演でも来日している。

しかしなあ・・。ちょっと峠を越しちゃった感があるわけである。
前日のトリスタンでは、メロート役で出演していた。
そう、今はメロートくらいが丁度いいんじゃないかなあ。

・・・なんて思っていたが、実際に聴いてみて、ゴールドベルクさん、良かった。峠を越しちゃったなんて言って、本当にゴメン。
そりゃ確かにちょっと年取った感じだが、声の張り、輝き、威力は十分にあった。
ただ、エヴァ役の若くてチャーミングなマギーと並んだ時、私は思わず心の中で突っ込んでしまった。
「親子かよ!」(笑)。
本当にゴメン。

その他の歌手では、一番肝心のザックス役のホルが、残念、イマイチ。
私自身の好みの問題だと思いたいが、声がとにかく重い。重厚感ではなく、鈍重感。

このオペラは、なんだかんだ言っても、ザックスにかかる部分が大きい。それがイマイチと感じた時点で、全体としてアウトなんだよな。

本公演で冴えを見せていたのは、ピット内のオケ、州立歌劇場管弦楽団バレンボイムの躍動的なタクトに導かれ、溌剌颯爽とした演奏が今も記憶に鮮明だ。

長年オペラを観続けていると、音楽の流れをリードする担い手が、舞台上ではなくピットの中に存在するという事に遭遇することがある。

もちろんそれは、すなわち指揮者のコントロールが卓越しているからであって、やっぱりバレンボイムの功績なんだろうけど、この時私は「うーん、さすがシュターツカペレ・ベルリンバレンボイムに鍛えられて、すっかり立派なワーグナー・オケに変貌したよなー」と思ったのであった。

クプファーの演出とステージについての感想は、ちょっと記憶が薄れているので、略。
「全体としてアウト」と上に書いたが、ザックスのイマイチ感が舞台の印象にまで及んでしまったとしたら、そりゃ罪なことだぜ、ホルさんよ。