本日はスーパーボウルTV観戦のため、仕事を休んだ。
だが、そのスーパーボウルが始まる前の早朝、思わず釘付けになって観てしまったのが、昨晩NHK-BSプレミアムシアターで放映されたミラノ・スカラ座「マクベス」だ。
本当は、後でゆっくりじっくり観ようと思っていた。単に朝起きてきちんと録画されているかチェックしようとしただけだった。
でも、チラッと見たら、もう止めらなくなった。完全に引きずり込まれてしまった。
(前日、大雪警報が出ていたので、録れているかどうかについてはハラハラドキドキだった。パラボラアンテナで受信する電波は、雪など悪天候に弱いのである。)
画面を汚す「警報テロップ」(これ、ホント嫌い)も出ず、無事に録れたのは幸い。
それより何よりも、スカラ座が無事に昨年12月7日の幕を開き、公演が開催されたのがとにかく幸いだ。
ドイツでは、キャパ制限し入場者数を減らす措置を採っている劇場もあるようだが、ミラノはどうやら大丈夫だった模様。
ただし、観客は日本と同様に場内でもマスクを着用しているし、指揮者シャイーを始めとするピット内も、弦楽器奏者などはマスク姿だ。開幕公演では、例年、上演前に国歌が演奏され、観客が全員起立して高らかに歌うのが常だが、今はまだ皆自制し、マスクの下で口ずさむか、心の中で歌っている。コロナ制限の完全解除は、まだ当分先の話のようである。
それにしても、「さすがはスカラ」と唸る。超強力キャストの威力には、ただただ恐れ入るばかり。
A・ネトレプコ、L・サルシ、I・アブドラザコフ、F・メーリ・・・ヴェルディ上演においてこれ以上ない世界最高の陣容。まるで「これこそがスカラ座なのだ」と居丈高に勝ち誇るかのような尊大さである。
ネトレプコのマクベス夫人は、威圧感がハンパない。圧倒的な貫禄だ。
だが、彼女はそれを手に入れるために、体の容積を増やし、喉を鋼のように強靭にした。
メフィストフェレスとの取引とも言える諸刃の剣。そのために犠牲にした物が確実にある。そして、もう元には戻れない。
その行く末の予感に複雑な思いが交錯するのは、私だけなのだろうか・・。
(案の定、カーテンコールでは多くのブラヴォー(ブラーヴァか)に混じって、ごく一部でブーが飛んでいた)
もう一人の主役、サルシ。彼の場合はネトレプコとまったく異なって、好対照を為す。
その歌唱スタイルは、私の聴く限りにおいて、ここ10年ほとんど変わっていない。洗練さの中にほんの少しの野暮ったさが隠れ混じり、十分に立派でありながらスター特有の華やかさに欠ける、ちょっと不思議な歌手だ。絶対的な実力で頂点に登り詰めたというよりは、じわじわとライバルが落ちて行き、いつの間にか一流に祀り上げられてしまったみたいな感じ、などと言ったら彼に失礼だろうか。
もっとも、そんな彼だからこそ今回のマクベスは絶妙に適役、相応しい。
出番が少ないのがあまりにも残念だが、メーリのマクダフはワールド・ヘリテージ級の絶品。第4幕のアリアたった一曲を聴くだけで、もうすべての元を取ったようなもの。
もういいかげん「三大テノール」を懐古するのはやめようではないか。我々にはメーリがいるのだ。いったい何の不足があるのか。
シャイーのタクトは手堅く、盤石。「これぞシャイーのヴェルディ」みたいなガツンとした音楽的主張は聴こえないが、ドラマは存分に際立っており、まさにそこのフォーカスにおいて存在感を見せつけた。なんつーか、指揮者というより劇場支配人。それがまたいかにもシャイーらしい。
更に、マクベスの死に際のアリアが含まれるエディション採用といった版へのこだわりも、やっぱりシャイーらしい。
リヴェルモーレの演出は、現地において賛否両論あったと聞いていたし、実際カーテンコールでかなり強烈なブーイングに見舞われていたが、私は好印象に捉えた。
舞台を現代(未来?)に移し、大都会の裏社会で実権を握るマフィアの興亡盛衰を描いているが、十分にマクベスのオリジナル物語にフィットしていると思う。
そうした現実味を可能にしたのが、大掛かりかつ鮮明リアルな背景映像。
更に注目ポイントは、多角度からのカメラ配置によるアングルを使用し、「映像ソフト作品」として完成度を高めていることであろう。なんと、劇場でライブ鑑賞している人には見えないシーンが映像にふんだんに盛り込まれているのである。マクベス夫人が高層ビルから飛び降り自殺することをほのめかすシーンはその典型で、面白い。
まるで、コロナ禍で劇場に足を運べない多くの人たちのために製作したかのよう。だとしたら、それはそれで我々にとって、とってもありがたいことではある。
が・・・。
ミラノ行きてぇよな、ホント。