クラシック、オペラの粋を極める!

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皇帝ティートの慈悲 その2

チューリッヒ版に続き、今度はメト版を見ました。
2012年12月の収録。指揮H・ビケット、演出J・P・ポネル。ティート=G・フィリアノーティ、セスト=E・ガランチャ、ヴィッテリア=B・フリットリ、セルヴィリア=ルーシー・クロウなど。
 
同じ作品を連続して鑑賞すると、どうしても二つを比べてみてしまうが、今回はなぜかそうならなかった。
メトの方はレチタティーヴォを採用していたし、演出もぜんぜん違うし、何よりも両プロダクションとも歌手の個性が際立っているので、比較による優劣の問題を超越していたというのが大きい。それぞれを純粋に楽しめたというのは良かった。
 
ダントツに素晴らしかったのが、ヴィッテリアを歌ったフリットリだ。
その歌唱には内に秘められた強い感情が籠っていて、訴える力がとても強い。表情も豊かで、華がある。さすがと言わざるをえない。
 
2012年、わずか5年前だが、この頃フリットリは人気実力ともに絶頂だった。世界最高の歌姫の一人だったし、純正イタリアン・ソプラノとしては間違いなくナンバーワンだったと思う。実際、このヴィッテリアを聴けば、だれもが頷くだろう。
 
気のせいだろうか、最近、世界の檜舞台で彼女の名前をあまり見かけない。
今、オペラファンに「現時点における世界最高の歌手は?」と質問した時、いったい何人が彼女を挙げるだろう。
下降、凋落しているとは思えないし、干されているという噂も聞こえない。
彼女自身が出演を絞っているのだろうか。
ひょっとして世紀の公演かもしれない今夏のザルツのアイーダだって、ワタシ的には別にネトレプコじゃなくてフリットリでも十分だったのだけどな。
 
ティート役のフィリアノーティは、ちょっとモーツァルトっぽくない。なんだか角が削れ、曖昧で、古典的な様式が感じられない。なので、彼だけが妙に浮いちゃっている。
そのくせ幕間インタビューでは、「モーツァルトを歌うときは、ヴェルディプッチーニと異なり、はっきりした旋律や澄んだ音が大切です。」なんて話しているんだから、笑ってしまう。
 
この公演では、世界的な歌手に囲まれながら、これからを期待される若手歌手を織り交ぜて出演させているのも特徴だ。ルーシー・クロウ、ケイト・リンゼイといった歌手がビッグネームに臆することなく、堂々と渡り合っている。その姿は、実に瑞々しく、輝かしい。