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2011/12/28 ドン・ジョヴァンニ

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2011年12月28日  ミラノ・スカラ座
ペーター・マッテイ(ドン・ジョヴァンニ)、イルデブランド・ダルカンジェロ(レポレッロ)、クワンチュル・ユン(騎士長)、タマール・イヴェーリ(ドンナ・アンナ)、ジュゼッペ・フィリアノーティ(ドン・オッターヴィオ)、バルバラ・フリットリ(ドンナ・エルヴィーラ)、アンナ・プロハスカ(ツェルリーナ)、ステファン・コツァン(マゼット)
 
 
 さすがロバート・カーセン。念入りに練られたコンセプトは実に明快。なおかつ巧妙な演出であった。
 冒頭の序曲が荘厳に奏でられる中、ドン・ジョヴァンニはいったいどこから現れたか。
 スカラ座の平土間席からだ。正装をしている。舞台に颯爽と登場し、緞帳を引き破るかのように手繰ると、そこに巨大な鏡が現れて客席を映し出す。やがて鏡は歪み、ゆらゆらと揺れだす。ドン・ジョヴァンニは着ていた礼服を脱ぎ捨て、客席に睨みを利かせながら見渡す・・・。
 
 この導入部だけで、カーセンは「ドン・ジョヴァンニとはいったい何であるか」を端的に明示した。
 
 手がかりは「鏡」。ミラー。
 
 鏡は人間の内面に潜む裏の本性を映し出し、暴露する。ドン・ジョヴァンニは単なる低俗な好色魔ではない。彼は貴族である。舞台正面に張った巨大な鏡が客席を映したということは、つまり、社交の場とも化すスカラ座のような一流劇場で、高級紳士面しながら観劇している連中にも、本性には「悪」が潜在しているということを、カーセンはつまびらかにしたわけだ。
 
 ドン・ジョヴァンニの暗躍は、鏡の中に潜り込んだ「内なる世界」の出来事だと解釈することも出来る。そこで繰り広げられる様々な人間模様は、鏡の反射のごとく屈折し、また、万華鏡のような変幻をもたらす。スカラ座の緞帳やボックス席を映した舞台壁が形を変え、大きさを変えながら舞台上で展開し、こうした鏡の中の複雑な事象を表現していく。憎むべきであるにもかかわらず愛してしまう、拒んでいるのに受け入れてしまう、許せないのに許してしまう・・・ドン・ジョヴァンニの存在は、現実世界の理屈ではもはや説明がつかず、鏡の中のおとぎの世界で繰り広げられる一種のファンタジーなのかもしれない。
 
 大団円であるドン・ジョヴァンニの地獄落ちの後、彼が復活して再登場し、逆に他の連中を地獄に突き落とす衝撃の結末はさすがにこちらも驚いたが、人間の本性を描く以上、「最後に悪が堕ちてめでたしめでたし」という勧善懲悪の単純ドラマでは片付かないというメッセージだと思った。
 
 以上のように、演出について、私は概ね高評価を与えるものであるが、若干注文を付けたい部分があったことも正直に言わせていただく。それが何であるかについては後述する。
 
 
 豪華歌手陣による声の饗宴は、まさにスカラ座のシーズン開幕公演にふさわしい。世界から集結したスター歌手たち。だが、公演水準の底上げに一際貢献し、天下のスカラ座の名誉を誇らしく守護したのは、母国イタリア代表のフリットリとダルカンジェロの二人であった。
 
 特に、ダルカンジェロの素晴らしさといったら!彼こそがこの日の主役。圧倒的な声の威力、完璧なディクテーション、抜群の存在感、色気のある演技・・・他に彼を褒め称える形容句は何かないものか?
 きっと淑女の皆さまは彼の強烈なフェロモンにやられちゃうんだろうなあ(笑)。
 
 また、殿方にとっても、妖艶なフリットリ妃の悩殺黒スリップ姿は、十分目の保養になったことだろう。私もオペラグラスでしこたま覗き込みました(笑)。
へっへっへ・・・。
 
・・・・・・。
 
えーー。真面目に戻って(よだれを拭いて)、歌手の論評を続ける。
 今回の出演者は、個々に見れば上でも述べたとおり、いずれも劣らぬ一流歌手ばかりである。その実力の程に何ら疑う余地はない。
 ところが、カーセンの舞台上演形式によって、残念ながらその演出によって埋没し、歌の魅力が失せてしまった役があった。被害に遭ったのは、ツェルリーナのプロハスカ、ドン・オッターヴィオのフィリアノーティ、そしてマゼットのコツァン。
 この3役については、演出家がそれほど重きを置かなかった結果、ポイントがずれてモーツァルトが付与した音楽との乖離現象が起こった。このため、音楽的に強いインパクトを残せなかったのは残念としか言いようがない。
 もちろん、これは演出家だけでなく、演出家のコンセプトを十分に掌握した上で総合的な音楽芸術を監督する立場にある指揮者バレンボイムの責任でもある。
 
 そのバレンボイムにとって、今回のドン・ジョヴァンニスカラ座音楽監督として初めて臨んだ公演。だが、音楽面において、この世界的な巨匠は今さら肩肘張って見栄を張るような新機軸を打ち出すつもりはさらさらなかったようだ。良く言えば、安心して聴けるモーツァルト。悪く言えば、新鮮味のないモーツァルト
 ただし、オーケストラのバランスに対する舵取りはさすがに万全で、非常にまとまりが良い。基本的には声がしっかり通るようにオケを制御してくれるから、歌手たちも安心して歌うことが出来たに違いない。
 
 それにしても、既に手中に収めてあって、無難とも言える演目でスタートしたスカラ座バレンボイムだが、真価が問われるのはやはりヴェルディプッチーニロッシーニドニゼッティなどのイタリア物を採り上げた時だろう。その時、果たして天井桟敷に棲息するうるさ型連中はどういう判断を下すのだろうか。今後のスカラ座の行方について、固唾を飲んで見守るとしよう。
 
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