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2017/3/15 ダフネ

2017年3月15日   ハンブルク州立歌劇場
R・シュトラウス   ダフネ
演出  クリストフ・ロイ
サラ・ヤクビアク(ダフネ)、エリック・カットラー(アポロ)、ペーター・ロダール(ロイキッポス)、ティガン・マルティロッシアン(ペナイオス)、レナーテ・シュピングラー(ゲーア)   他
 
 
ダフネは知られざる名曲だ。シュトラウスの他のメジャーな作品と比べても、決して劣らない傑作だと思う。私自身、大好きな作品の一つである。
でも、日本ではまず舞台上演されないレア作品。(10年前に二期会が採り上げたが、シュトラウス上演に執念を燃やしていた故若杉弘さんがいたからこそ実現した。もうないだろう。)
実は、レア扱いなのは欧州でも同様である。今回のハンブルク公演は、そういうわけでとても貴重だ。
 
期待が大きかった本公演だったが、こと演出面については不満が残った。
著名な現代演出家、C・ロイ。日本でも昨年新国立劇場で彼が演出したイェヌーファが上演され、斬新な舞台が話題になった。
だというのに・・・。
 
読替演出なのは当然。ロイなんだから。それは分かりきっていることなので、別にいい。ギリシャ神話における羊飼い達の祝宴を、現代ドイツのビール祭り会場の裏方現場に置き換えているが、それだって別に構わない。
 
重要なのは、演出家が作品に潜む本質を探ろうとしているか。そこにアプローチしようとしているか。
 
ここでは、少女ダフネが男女の愛の営みや、幼なじみの死を目の当たりにし、その後はたして変わるのか、それとも変わらないのか、というのがポイントのはず。だというのに、そこの部分の堀下げ方が浅いし、甘い。
 
もしダフネが変わることを拒否するのであれば、それは原作の神話のとおりであり、彼女の身体は樹木に変容する。もし変わることを受け入れるのであれば、それは彼女の成長の証であり、大人の女性になるということである。
ここをどう捉えるかがこの作品の演出上の核心だと私は思うのだ。
ロイの演出は、そこがぼやけている。なので、早い話が「だから?要するに何?」となってしまう。
 
彼らしいオリジナリティとして目に付いたのは、ロイキッポスはアポロに殺されるのではなく、ダフネが自らの覚悟で手に取ったナイフによってアクシデント的に殺されてしまい、結果、彼女は警察に逮捕されてしまうこと。
いかがなものか、この解釈。なんだかあまりにも唐突だ。
 
最後の美しいダフネの変容の場面では、舞台上で殺されたロイキッポスの亡骸が放置されたまま、何も手を付けない。単なる殺風景。
音楽にすべてを委ねるのなら、それでもいい。
でも、それならもう少しましなやり方があるのではないか? 聴衆に想像力を働かせることが必要だ。イメージを膨らませるような、印象的な場を作ってほしかった。
 
一方、音楽面ではかなりの成功を収めたと言えるだろう。
最大の功労者は、タイトルロールを歌ったS・ヤクビアク。2016年プレミエ時のキャストではないが、抜擢は大成功。私は彼女に期待していて、その期待どおりであった。役が自分の物になっており、音楽を完全に消化している。演技、発声コントロール、すべて完ぺきだった。
 
アポロのE・カットラーやロイキッポスのP・ロダールは、出来としてはまずまずで、シュトラウスの音楽の推進力、流れによく乗れていたと思う。
 
指揮のM・ボーダーは、ちょっと老けた感じ。音楽を手玉に取っていて危なげなかったが、溌剌さに欠けていたような気がした。