クラシック、オペラの粋を極める!

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2017/3/21 A・シフ ピアノリサイタル

2017年3月21日  アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル   東京オペラシティコンサートホール
モーツァルト  ピアノ・ソナタ第17(16)番
ベートーヴェン  ピアノ・ソナタ第31番
ハイドン  ピアノ・ソナタ ニ長調
シューベルト  ピアノ・ソナタ第20番
 
 
面白く、興味深いプログラムだと思う。
モーツァルトベートーヴェンハイドンシューベルト音楽史の礎を築いた偉大な作曲家たち。
今回の来日公演は、彼らの「最後のピアノ・ソナタ」と「最後から二番目のピアノ・ソナタ」という2つのプログラムだった。もしかしたらシフは、そこに「何らかの意味」「何らかの共通点」みたいなものがきっとあると、探求したのかもしれない。
 
プログラム的には、おそらく「最後」の方が人気があり、関心が集まるだろう。最後というのは、集大成だ。そこに結論がありそうだ。
でも、私は2つを見比べて、「最後から二番目」の方が面白そうだと思った。
集大成ではない。結論でもない。にも関わらず、シフはそれらを束ねた。ならばそこから何が見えるのか。シフは何を見出すのか。そこに個人的興味が湧いたのだ。
 
この日の演奏。シフはどこまでも自然体だった。誇張がなく、でしゃばることもない。技術や解釈を聴かせようという押し付けがましさが微塵もなかった。だから、演奏者シフではなく、純粋に音楽が聞こえた。
 
これこそがシフのアプローチなのだろう。
ありのままの作品を披露する。演奏者が強引に「何らかの意味」「何らかの共通点」を掘り出すのではなく、ありのままを聴衆に提示する。そこに何かがあるかどうかは、聴衆に感じ取ってもらう。
 
一方で、聴衆はどのように聴こうと、感じようと自由だ。
私も、普段から偉そうに語っているが、この日「最後から二番目」という作品群に何かを見つけられたかといえば、よくわからなかった。
正直に言うと、「ああモーツァルトだなあ」「やっぱベートーヴェンだよなあ」「ん? 天国的なハイドンからアタッカでいきなりシューベルトに突入し、曲想が変わったぞ」みたいな単純なことを思いながらずっと聴いていた。
 
でもそれをおおらかに許容し、包み込んで音楽の喜びを教えてくれたのが、シフの演奏であった。
 
「いや良かった!」
 
何が良かったかって?
「いや、その、なんかとにかく良かった!」
 
そんなコンサートだった。ダメっすか?