2015年6月11日 ユーリ・テミルカーノフ指揮の読響
2015年6月13日 ラザレフ指揮の日本フィル
注目のテミルとラザレフによるショスタコ対決で、決着が付いた。はっきりと白黒が出た。
本当のことを言うと、比較をして優劣を語るのは好きじゃないし、そもそもあまり意味が無いことだと思っている。曲も違えば、オケも違う。音楽は勝ち負けの付く試合ではないのである。私はテミルカーノフもラザレフも、両方とも大好きな指揮者だし、尊敬もしている。ならば、それぞれの良さだけを語ればそれでいいではないか。
だがしかし、あえて「決着」とさせていただく。そう言わざるをえないのだ。なぜなら、否が応でも優劣が目についてしまったからだ。
ズバリ言おう。ラザレフの完勝である。
いや、と言うよりも、テミルの完敗だ。
テミルカーノフ、この日はいったいどうしてしまったのか。私は目の前で起きていることが信じられなかった。
私が知っているドクター・テミルは、作品が完全に体内に染み込んでいて、大きな身振りなどしなくても、鋭い眼光とサッと振りぬく手刀のタクトで作品とオーケストラの両方を沸き立たせ、超然たる演奏をやってのける奇跡の指揮者だ。
ところが、この日は手刀にいつもの威力がない。作品の偉大さに押し負かされ、スコアを再現するのに精一杯。ロシアを代表する巨匠が、まさかショスタコーヴィチ作品で振り回されるとは・・・。テミル、衰えたか。もう歳か・・。
それに対してラザレフ。
まず、作品に対する愛と献身が感じられる。これもテミルカーノフではまったく感じられることが出来なかったことだ。作品に何が書いてあって、何が潜んでいて、何をやるべきなのか、強い確信がほとばしっている。ラザレフはショスタコーヴィチに心酔している。その心意気が我々に伝わり、それが大きな感動につながっていった。本当に素晴らしかった。
テミルカーノフのこの日の演奏は、忘れることにする。もしかしたら私の耳の調子が悪かったのかもしれない。そうであると信じたい。
この日は読響の名誉指揮者就任の喜ばしいニュースが入った。だというのに・・・。やっぱり何かの間違いだ。