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2015/4/4 東京・春・音楽祭(ワーグナーシリーズ)

2015年4月4日  東京・春・音楽祭  ワーグナーシリーズ   東京文化会館
ワーグナー  ニーベルングの指環より第1日「ワルキューレ」演奏会形式上演
指揮  マレク・ヤノフスキ
ロバート・ディーン・スミス(ジークムント)、シム・インスン(フンディング)、エギルス・シリンス(ヴォータン)、ワルトラウト・マイヤー(ジークリンデ)、キャサリン・フォスター(ブリュンヒルデ)、エリーザベト・クールマン(フリッカ)   他
 
 
 東京・春・音楽祭が、コンサート形式とはいえ、数年をかけたプロジェクトで本格的なワーグナー上演に取り組んでいるのは、実に素晴らしい。これはワグネリアンにとって貴重な機会であり、本物を体験できる意義がある。
 昨年のラインの黄金に続き、今回も「これだけ上等なワーグナー演奏を東京で聴けるとは!!」という感涙モノの公演だった。たとえ日本のオーケストラであっても、演出がついてなくても、一流指揮者と一流歌手の力を借りれば、本場での上演に勝るとも劣らないとびきりの公演が実現するという典型事例を示したと言えるだろう。
 
 それぞれの歌手の素晴らしさは言わずもがなであるが、まずはやっぱりヤノフスキの渾身のタクトによるN響の力強い演奏を讃えたい。
 昨年のラインゴールド鑑賞記で「ヤノフスキは大胆剛毅、それでいて繊細緻密」、「弦楽器が統制されていて弛緩することがなく、響きが重厚」と書いたが、今回も同じ感想だ。「弦に比べると管楽器の音色がやや薄っぺらかったのが少し残念」と思った点さえもまったく一緒だったが、ということは逆に指揮者がそういう音を求め、バランス統制を行った結果によるものだったのかもしれない。
 
 昨年に続き、コンマスはキュッヒル氏が登場。ウィーン・フィルの時はそれほど気にならないが、やはり日本のオケの最前列に鎮座すると、その存在感と迫力に圧倒される。弾き方が二列目以降の奏者たちと全然違うのである。「なるほど、ワーグナーはあのように弾くべきなのね」と思わず納得。N響の演奏スタイルに何らかのインパクトが与えられたとしたら、それはとても良いことだろう。そうであったことを願う。
 
 歌手たちは皆ブラヴォーだったが、特にマイヤーには驚いた。90年代からワーグナー歌手として第一人者であり、今もなお君臨し続けている。
 ここ数年、何度か「あれ?ちょっとイマイチか?」と感じることもあり、もう峠を越えてしまったのかなと思ったが、そうではなかった。きっと、その時はただ単に調子が悪かったのだろう。調子さえ良ければ、彼女は依然として世界最高級。そのことをこの日、如実に証明した。恐るべしマイヤー様。
 
 もう一人、フリッカのクールマン。いや、彼女もすごかった。
 彼女を聴くのはこれで4回目だが、これまでの3回はすべて脇役だった。(「神々の黄昏」の第2のノルン、「アンナ・ボレーナ」のスメトン、そして昨年の「ラインゴールド」のエルダ」)
 そういう意味では今回のフリッカが本格的な主役級として初めてになるが、ついにヴェールを脱いだという感じ。その威力は想像を絶した。「こんなにも凄い歌手だったのか!」と感嘆した。驚きのあまり、思わずリサイタルのチケットを買ってしまった。いやいや・・。
 
 フォスターは、今までにない新たなブリュンヒルデ像を打ち立てていたのはとても興味深い。声量はあるが、決して威圧的ではない。むしろソフトな印象さえ受ける。やや表面的な感じもするが、こういう声でもブリュンヒルデが成立するんだ、という意外な発見。
 今でこそバイロイトの現役ブリュンヒルデとしてその名を世界に馳せているフォスターだが、私はまだドイツの地方劇場の専属歌手だった時の彼女を聴いている。11年前、ワイマール国民劇場の「さまよえるオランダ人」で彼女が歌うゼンタを聴いた。
 もっとも、しっかり記憶に残っていたわけではない。自分の公演データベースで調べ物をしていたら、たまたま引っかかって「あっ!」と気が付き、驚いた次第だ。あの時一緒に聴いたKさん、覚えてます??
 
 ジークムントのR・D・スミスは、実を言うとそんなに好きな歌手ではないのだが、今回は率直に素晴らしいと思った。
 フォスターのついでに、スミスについてもMyデータベースで調べてみた。すると、私が初めて彼を聴いたのは新国立劇場のトーキョー・リングの「ワルキューレ」だったことが判明。あれからもう13年。月日が経つのは早い・・・。