2016年10月2日 新国立劇場
指揮 飯守泰次郎
演出 ゲッツ・フリードリッヒ(演出補 リーッカ・ラサネン)
ステファン・グールド(ジークムント)、アルベルト・ペーゼンドルファー(フンディング)、グリア・グリムスレイ(ヴォータン)、ジョセフィーネ・ウェーバー(ジークリンデ)、イレーネ・テオリン(ブリュンヒルデ)、イレナ・ツィトコーワ(フリッカ) 他
まず、演出面について。
「読替えのない、原作に忠実なオーソドックスな舞台を」
結局、これが新国立劇場のポリシーなのだ。演目ラインナップもそうだし、演出もそう。上演によって何かを打ち出そう、何かを訴えよう、世に問おう、という姿勢はゼロ。
だから、歌劇場最大のチャレンジであるはずの「ニーベルングの指環」で、とっくに鬼籍に入っている演出家が制作したクラシカルな舞台を借りてきてしまう。
昨年ラインゴールドを鑑賞し終え、その時「果たして、これからの三作でG・フリードリッヒが目指している物が何か見えてくるのだろうか?」と思ったが、ワルキューレを観終わっても依然として不明。
何とももどかしいが、終演後、中年ご夫妻が「演出が良かったわよねえ~」と語り合っているのが聞こえ、「ああ、もうこれは仕方がないことなのだな」と思った。諦めるしかないということが分かった。
もちろん、個々の人物の演技において、よく練られていると感心する部分があったことはきちんと報告しておく。特に、ヴォータンの苦悩、娘を愛しながらも罰を与え、決別しなければならない悲しみは、非常によく出ていた。そこはしっかり評価することとしたい。
音楽面について。
結局、外国人キャスト頼み。彼らが上演水準を高め、満足度を高めた。すべては彼らのおかげであった。
特に、ジークムントのグールドが素晴らしい。パワーがあるがパワーに頼らず、歌唱が実に音楽的である。彼の歌を聴いていると、脳裏に楽譜が浮かんでくる。本当に見事。
その他の歌手も、まったく文句なし。このメンバーなら、世界の主要歌劇場においてワルキューレを成立させることができるだろう。
飯守さんのオーケストラのリードはかなり力強くて、ワーグナーに必要な重量感は備わっていたと思う。
ただし、その力強さ、重量感は、全体的な響きの厚さから来るものではなく、打楽器や金管楽器といった大きい音が出る一部の楽器群によって導かれている。
となると、それは指揮者の問題というよりオーケストラの容量の問題なのかもしれない。比較するのは本当に申し訳ないし、すべきじゃないことは十分分かっているのだが、やっぱり海外で色々聴いちゃうとオーケストラの厚みに歴然とした差を感じてしまうのは、偽らざるところだ。