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2015/3/14 ホフマン物語

2015年3月14日  メトロポリタン・オペラ
演出  バートレット・シャー
マシュー・ポレンザーニ(ホフマン)、カリーヌ・デエ(ニクラウス)、オードリー・ルーナ(オランピア)、スザンナ・フィリップス(アントニア)、エレナ・マクシモヴァ(ジュリエッタ)、ローラン・ナウリ(リンドルフ他3役)   他
 
 
 なにはともあれ、レヴァインである。一時「メトの指揮台に立つのはもう無理か?」と危ぶまれたが、長いリハビリ期間を経て復帰した。なにしろ、この人なくしてメトは語れない。メトロポリタン・オペラとはすなわちレヴァインなのだ。関係者だけでなく、多くのオペラファン、劇場に通う地元の人たちが安堵し、喜んだはずである。
 
 で、実際のところはどうなのか。本当に名実ともに完全復活を遂げているのだろうか。
 なんとなく日本における小澤征爾の状況に似てなくもないが、依然として長時間公演に耐えられない小澤に対し、レヴァインは大丈夫なのだろうか。
 
 ピットへの登場は車椅子だった。車椅子のまま指揮台の位置に付き、ピットの設備機構によって車椅子ごと指揮する高さまで持ち上げる。客席に答礼するために向きを回転させる機能も付いている。
 移動に労を要するので、演奏開始のかなり前からスタンバイしている。このため、通常ピットへの登場と同時に沸き起こる指揮者に対する拍手儀式はカットであった。
 
 さて、そのレヴァインの指揮だが、能動的なタクトで音楽をしっかりと導いていたのは誠に喜ばしい。見たところ腕はかなり振れている。かつてのようなギラギラしたエネルギッシュさはないが、これは単に年齢的なせいかもしれない。出てくる音も非常に生き生きして瑞々しい。ホフマン物語は各場面の性格がまったく違うが、それぞれの描き分けも見事だった。
 
懸念や危惧は吹き飛んだ。レヴァイン、完全復活だった。
 
 歌手について。
 悪魔のような4つの役を演じたL・ナウリが最高絶品国宝級のナイス。「ナウリって本性はこういう嫌なヤツなんじゃないか?」と思わせるくらい、悪役がハマっている。毒々しさ、いやらしさ、憎たらしさ、大胆不敵さ、すべてを併せ持っていて、彼が舞台に登場すると、思わず「うえぇぇ、出たあー」と悲鳴を上げてしまいそうだ。
 
 次に良かったのは、アントニアのS・フィリップス。純粋に歌唱が美しい。あと容姿も美しい(笑)。
 オランピアを歌ったルーナは、例のアリアでアクロバット的な超高音を出して聴衆を唖然とさせた。しかしサーカス技としてはすごいが、はたして音楽的な必然性があったのか。
 ニクラウスを歌ったデエは、フランス人ということで当たり前だがフランス語の発音が美しく響く。ジュリエッタを歌ったマクシモヴァは普通。
 
 ホフマンを歌ったポレンザーニは、主役だというのにイマイチ存在感が薄かったが、これはおそらく演出上の要請ということもあり、仕方がなかったかもしれない。
 
 きっと演出家シャーは、ホフマンの孤独、寂しさ、疎外感というものを描こうとしたのだと思う。黒を基調とした舞台が何となくそれを物語っている。
 狙いどころとしては悪くないが、ホフマンよりもナウリの4役の方が際立つという逆転現象はいかがなものか。
 もっともそれさえも演出家の狙いの一つだというのなら、こちらとしては「はあ、そうですかい」と押し黙るしかない。
 
 終演時間は午後11時40分。いや、さすがに疲れた。もう本当にヘトヘト、クタクタ。朝早く起きてボストンからニューヨークへ電車で移動し、到着早々劇場に駆け付け、二つのオペラを鑑賞し、終わってみたらもうすぐ日付が変わろうとしている。
 正直、エピローグの場面では「もういい、頼むから早く終わってくれ」と思いながら観ていた。幕が閉じたら、拍手も早々に切り上げて席を立った。カーテンコールは悪いけどパスさせてもらった。
 指揮者レヴァインに対してどれほどの喝采が沸き起こるのか、本当は興味があったし、見届けたかったが、体力の限界だった。どうもすみません。
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