指揮 デニス・ヴラセンコ
演出 松本重孝
何はともあれ、なかなか上演されない珍しい作品を採り上げてくれたことと、シラグーサという世界的な歌手を呼んでくれたことについて、「よくやった!」と賞賛したい。
ていうか、今回はもうそれに尽きますな。それがすべて。個々に見ればいろいろあるかもしれないが、上記のことを考えると、もう何も言えません。
・・えーと、言いますけど・・(笑)
まあとにかくシラグーサのおかげで公演に箔が付いたことは間違いない。彼がいるのといないのでは大違い。シラグーサの出演が決まった時点で、公演の成功は約束されたのである。
実際、観客は彼の歌と演技に釘付けだった。コミカルな演技はシラグーサがやるから面白いのだし、セリフの中に時折り日本語を混ぜるのもシラグーサがやるからウケる。彼は何をやればお客さんが喜ぶのか心得ていて、持ち前のサービス精神で観客を虜にする。千両役者、生粋のエンタテイナーだ。
それにしても、こういう愛すべき歌手が毎年のように日本に来てくれるのは素晴らしい。震災の年だって来てくれた。フローレスは来てくれないが、シラグーサは来てくれる。嬉しいなあ。日本人はあたなに感謝の意を捧げます。
他の出演者も皆好演だった。不安定な歌手はおらず、安心して音楽に身を委ねることが出来た。特にイゾリエ役の松浦さんには好感を持った。
演技について、一般的に日本人歌手は動きが固かったり、特にブッファではオーバーで不自然さが目立つことも多々あるのだが、この日は各人が随所にニヤリとさせる動きを見せていた。もちろんシラグーサ効果もあったかもしれないが、ここはやはり演出家がうまく演技を振り付けたということだろう。みんなとても活き活きとしていたのが良い。
その演出についてだが、幕が開いて、まるで学芸会のような陳腐な舞台セットが現れた時は、思わず頭を抱え、「おお神よ!どうして我々はここまでバカにされなければならないのですか?」と嘆きそうになった。
だが、そうした「いかにもな安っぽさ」こそが演出の狙いであることに気付くのにそう時間はかからなかった。そもそもこの作品自体がバカバカしさの極致である。ならば徹底的に軽薄さ、わざとらしさ、アホらしさを追求すればいい。きっとロッシーニもそれを望んでいる。だって音楽が笑っているのだから。
もしお客さんの中で、演奏を聴き終えた後、ロッシーニの「どうです、面白いでしょ?ほっほっほ(笑)」という声が頭の中で聞こえた人がいたら、そのお客さんは最高。
そういうお客さんが一人でもいたら、上演した藤原歌劇団もやった甲斐があったということで最高。